春の旅ではGW(ゴールデンウィーク)対策が課題であった。今回はシルバーウィーク、
今年はよりによって五連休だ。その暦の並び方に恩恵をこうむる方々が大多数なので申し上げにくいが、
暇人系には「民族大移動」に伴う道路、観光地などでの渋滞、混雑が大変困り、やっかいなのだ。
今回も旅立ち前からそれはわかっていたので、その対処方法をあれこれ頭の中でシュミレーション
してみても、天候や紅葉次第で状況は一変するし、実際はほぼ出たとこ勝負でやり過ごすしかないと
思っていた。
19(土)と20(日)は、予報も実際の天気も悪かったので、東川~美瑛に避難していた。
そのままその付近に滞在していたら平穏に過ごせることはわかっていても、次の三間日は
晴れの予報で、こうなると、じっとしているのがもったいないと、少し腰が浮き立ってくる。
20日の夕方に層雲峡に戻った。ここ数年お目にかかっていなかった神奈川のNさんがユースに
来ているようなのでお会いするのが一番の目的だった。温泉界隈は車が溢れていて、
かろうじて路駐できたので、そこから層雲峡YHへ赴いて、夜の宴会だけ参加した。
21(月)は晴天の予報ながらまったく予定を立てられず、目覚めたらすでにピーカンの青空で、
いまさら動きようもなかった。二日酔いで頭が痛いのかと思ったら、加えて、どうもハチマキおじさんに
風邪をうつされたらしい。セイコーマートのカツ丼を早めにゲットし食べて、薬を飲んで
二時間ほど車内で昼寝した。温泉街の喧騒をよそにである。
この日は晴天(昼前から雲が多くなったが)で、ものすごい人出だ。ここ二日出控えた地元民が
いっせいに動いたと見られる。ロープウェイは長蛇の列、飲食店にも人が入りきれず、
路上には行き場のない車があふれ、コンビニの弁当、パン類なども早々に売り切れたことだろう。
白雲避難小屋もこの日が今季のピークで、50人宿泊者がいたらしい! 通路まで埋まったという。
それらを尻目に寝ていたのだから、賢いような、間抜けなような……であった。
15:00頃、上川(市街)へ移動した。写真は17:00開店と同時に飛び込んだあさひ食堂で食べた
「特みそ」。残念ながら私の好むセットメニュー(ご飯ものとラーメンのセット)は一切ない、
「繁忙期対策」の省略メニューであった。
22(火)も予報は晴れで、この日は愛山渓から沼の平方面へ登るべく、日帰り装備で準備していた。
3:00頃起床したら、どうも上空雲が多いように見える。それでも出発準備を始めようとしたら、
ポツポツと雨が降り出したので、これ幸いと中止に決めた。とたんに土砂降りの雷雨になった。これは
体調も悪いし「行くな」ということだ。実際、このあともほぼ一日中頭がボーっと朦朧としていた。
風邪のためなのか、飲んだ薬(PL)のためなのか? PLは風邪の引き始めに良く効くが、
睡眠薬の成分が多く含まれているようで、眠くなって仕方がない。
装備を山泊まりに換装したり、持参した朝日新聞の別冊を読んだりするのと平行し、
朦朧としてきたら居眠りするを繰り返して、夕方まで上川で過ごした。観光地の喧騒は蚊帳の外、
家族連れで公園に訪れ、小さな子供が遊びまわる、普通の休日ののどかな景観だ。
おそらくあさひ食堂(駐車場に車がいっぱいだった)などの有名店や、国道沿いのセブンイレブン以外は
いつもながらの静かな上川市街地だったと思われる。セイコーマートやスーパーいろはでは、弁当や
パン類などが普通に手に入り、今夜の車中泊と明日の登山の買い物をした。
これだけ休んでいても頭がすっきりせず、体もだるい。不安ではあったが、予定通り、夕方
上川を離れ、にぎわう層雲峡温泉街を素通りし、高原温泉駐車場へ赴いた。
体調のことがあるので少し迷ったが、大雪高原山荘で日帰り入浴。宿泊している札幌のIさん、大阪のYさんと
フロントでしばし談笑しているうちに気分がすっきりしてきた。温泉の成分が
良かったのか、それとも彼らとのおしゃべりが功を奏したのか? 今回は彼らペアとよく遭遇し、
明後日白雲小屋前で、またしても彼らと話す機会があった。
この場から立ち去るのに後ろ髪引かれたのは、彼らとの会話が楽しかったのに加え、
煌々と明かりが灯る至れり尽くせりの温泉宿を一歩出るとそこはもうサバイバル、
駐車場には漆黒の闇が広がり、トイレには「明かり」も「紙」もない、天地の差があるのがわかっているので、
なるべくそこを離れたくなかったのだ。
この秋は極端な気温低下がなくて、車中泊やテント泊でもあまり寒さを感じず助かった。
明日はそんな早くから動かなくていい。周囲が明るくなってからの行動開始だ。
いろはの弁当を食べ、少しお酒を飲んだら、寝袋にもぐりこむとしよう。