たびびと

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扉が開く

2012年06月20日 | こころの旅
死後の世界、臨死体験について知った。
誕生前の意識の存在については、自分の耳で真実が語られるのを確かめた。


死後から誕生前の間、何がどうなっているか。
輪廻転生を裏付ける証拠はあるのか。
人生の意味、地球の仕組みは。
いつ転生が終わるのだろう。


疑問への扉が開かれた。
次から次へと、人生の秘密、地球の仕組み、あの世のなりたちなどの秘密が、ぼんやりと開示されてきた。
当時読んだ一部の本を書いてみる。

1 臨死体験について

「かいまみた死後の世界」(評論社)
「「あの世」からの帰還―臨死体験の医学的研究」(日本教文社)
「未来からの生還―臨死体験者が見た重大事件」(同朋舎出版)


2 前世、転生について

「誕生を記憶する子どもたち」
「前世の言葉を話す人々」
「前世を記憶する子どもたち」
「輪廻転生―驚くべき現代の神話」


3 スピリチュアルについて

「アウト・オン・ア・リム」
「転生の秘密―超心理学が解明する (エドガー・ケイシー〈秘密〉シリーズ (1))」
「シルバーバーチの霊訓〈1〉」
「ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻」
「あるヨギの自叙伝」
「前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘」
「[完全版]生きがいの創造」


今では大きな精神世界コーナーが多くの書店に設置されてるいる。
当時は、大型書店のみ。
「怪しいなー」と思ったものを除き、次々と読破した。

どれも素晴らしい内容だった。
新しい発見があった。
これまで疑問に思っていたことの回答が、どの本にも書かれている。


どの本にも共通して書かれていることがある。


宇宙のおおもとは愛。
経験するために、自分を知るために魂はそのおおもとの愛から分離した。
新たしい自分を発見するために、おおもとの愛を成長させるために、果てしない成長の旅が続く。


幼少から続いていた死への恐怖。
臨死体験の書により、死後の世界の存在があるように思えた。

光の世界は美しく、臨死体験をした人の人生観は一変してしまうという。
臨死体験はしていないが、それを知ったぼくの人生も大きく変化した。

この頃から症状は好転してきた。

奇跡的な夢を数回見て、薬の服用が必要なくなった。


死について
生について
自殺について
人生の試練について
世の中、宇宙のしくみについて

その後も学びは続く。




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誕生を記憶する子どもたち

2012年06月18日 | こころの旅
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死後も意識が継続する。
とすると、生まれる前も同じように意識が継続していたはずだ。


では、なぜ、その意識の記憶を思い出すことができないのだろうか。


誕生を記憶する子どもたち
には、そのヒントが書かれていた。


母親の妊娠中のことを幼少期の子どもたちが語る。
お母さんのお腹の中にいたときのことについて描写をする。


信じられないかもしれない。
半信半疑だろう。


「わたしは覚えていない。そんなの子どもの妄想だ」


ある子どもは話す。結婚式のときの様子を。
ある子どもは話す。母親しか知りえない、父親の母親に対する暴力のことを。
ある子どもは語る。妊娠中の母親の健康状態のことを。


だれも子どもにその事実を話したことはない。
母親しか知りえないことを、子どもが知っている。幼い表現ではあるが、真実を語る。




教育実習で小学校1年生の担当をした。

授業が早く終了したとき、子どもたちに聞いてみた。
「お母さんのおなかの中にいたときのことを覚えている人」

担任の先生は用事があり席を外していた。教室にはぼくと子どもたちしかいなかった。
担任の先生がいる前で、こんな質問はできなかった。

「ハーイ」
32人のクラス。欠席はなし。9人の子どもが元気よく手をあげた。
ニコニコしている。何の疑いもない。純粋な1年生。

さらに聞く。
「お腹の中に入る前のことも覚えている人は」

2人がもう一度手をあげた。




給食を一緒に食べながら、詳細について聞いてみた。
担任の先生は、黒板横の先生の机で食事をしている。先生に聞こえないように、少し小声になった。
「お母さんのおなかの中にいたときのことを、もっと詳しく教えてくれるかな」

「いいよ。

最初はね、くもの上にいたの。とっても明るいところ。
おじいさんといっしょに、どこに行こうかお話をしていたの。

それで、お母さんのところに生まれると決めて、お母さんのおなかの中に入ったの。

光のうずまきのようにしてお母さんのとこに行ったんだ。

おなかの中はせまかったけど、お母さんといっしょで楽しかったよ…」




2年後、小学校教員として仕事をしていた。1年生の学級担任となる。
このきは、もっと落ち着いて、じっくり話をきくことができた。


自分の目と耳で子どもの話を聞いた。
手をあげた全員から話を聞いた。
どの子も、いっしょうけんめい、そのときの様子を語ってくれた。


「子どもの空想かもしれない」
そう思うのも当然だ。


話をしてくれた1年生の子どもたち。
毎日一緒に生活をしているからわかる。

空想からそのような話をする子たちではない。

何かいたずらをする。
「やってません」
この手のことはたまにある。

生まれる前のこと、母親のお腹の中のことは、これとは別である。
空想で、生まれる前のことを語ることができるようには思えない。
そのような話はお友達から聞いたことはないだろう。もちろん、両親からも。
絵本もテレビも、生前の記憶については言及していない。

仮に、思いつきで話をしている子がいたとする。
そうだとしても、何人かは、本当の記憶にもとづいて語っているだろう。




生前の記憶を覚えている子どもについて学級通信に書いた。
どの親も肯定的に受け取った。




死後に意識が存続するだけではなく、生前にも意識があることがわかってきた。

少しずつ、少しずつ、世の中の真理がわかりかけてきていた。


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臨死体験

2012年06月16日 | こころの旅
交通事故で病院に運び込まれた患者。手術中、心臓が停止する。医学的に死んだ状態になる。
家族が泣き叫ぶベッドの中、この患者は目を覚ます。生き返ることができた。

彼は、何を語ったのだろうか。

体かから離脱し、自分の姿を上空から見つめた。自己現場の詳しい描写をしたばかりではない。手術室での執刀医師、看護師の人数、手術の様子、会話までも詳しく描写した。手術にたちあった人しか知りえることのない情報を語ったのだ。


意識がない全身麻酔の状態で、なぜそのような証言が可能なのだろうか。




「かいまみた死後の世界」(評論社)を読み進むにつれた、体外離脱、死後の光の世界の存在に関する数々の証言に圧倒される。




興味深いことに、臨死体験をした人は、その後、人生がまったくかわってしまうという。

光は愛の世界。すべての人がその愛の一部である。
愛の一部であるだけでなく、その全体でもあった。

一粒の雨(自分の意識)が大海(愛)に流れ込むように…

死の恐怖の中で生きていく必要がないことを、自らの体験をとおして、知ってしまったからだ。




「かいまみた死後の世界」(評論社)を読んだ数ヶ月後、立花隆氏によるNHKスペシャル臨死体験が放送された。


最も印象深かったのは、脳神経学者ペンフィールド博士の実験とコメントである。

ペンフィールド博士は、てんかんの治療のために、局部麻酔で患者が意識を保ったまま頭蓋骨を開き、脳を直接刺激して、患者の反応を調べた。この時、「シルビウス裂」を刺激すると、患者が、様々の幻覚を見たり、自分の肉体から自分が離れる体験や、神を見たり、死んだ肉親に出会ったりする体験を持つ事を確認した。

すべての臨死体験が「シルビウス裂」で説明できるかという問に、モース博士は、次のように答える。

「体外離脱をしている時に周囲の様子を見ているのが、魂なのか、それとも脳の何らかの機能なのかは説明がつかない。また、どうして、脳は、死ぬ直前になって初めてこのような現象が起こるようにプログラムされているのか説明できない。」

体外離脱体験は、側頭葉の「シルビウス裂」が起こす幻覚だとも考えられるし、魂と肉体とをつないだり切ったりするスイッチのような場所だとも考えられるわけで、この論争に終止符を打つ決め手にはならないことになる。

この実験結果から、博士は次のような結論を導いた。

「死後を無の世界だとします。人は死んだ後、意識がなくなりすべてがなくなると仮定します。だとすると、死の瞬間、人はそのまま死んでいくはずです。

しかし、実験の結果はそれを否定するものでした。人は死の瞬間に、人間の意識、あるいは、何らかの意識体とよべる物体が、肉体から離れるというプロクラムが脳になされていることがわかりしました。

これは、死後の世界が無であるとすると、まったく意味のない脳の機能です。この世界には、意味のない生物学的なプログラムというものはありません。

つまり、この体外離脱の機能は、死後の世界が無なのではなく、何らかの世界が継続することを意味していて…」


「シルビウス裂」を刺激して、臨死体験に近い幻覚を起こす実験をしたペンフィールド博士は、自分の死を迎える2年前に「あらゆる精神現象をすべて脳で説明できない」と言う結論に達していた。
彼の別荘の庭の片隅の石に、彼自身による落書きが残されている。ギリシャ語で、精神活動を意味する「ヌース」=脳とした絵の=の記号に、死の2年前の彼は、×印をつけた。

(興味のある方はどうぞ。)
「臨死体験〈上〉」 (文春文庫)
「臨死体験〈下〉 」(文春文庫)


生まれて初めて、死の恐怖が消えた。

幼少からの死に対する疑問が氷解した。

無意識の死後の状況をイメージして、気分が悪くなることがなくなった。




この臨死体験は
「うそ、まやかし、でっちあげ」
と思う人もいるだろう。

そう考えて当然だ。それがふつうの反応だろう。
だから、この臨死体験を信じる必要はない。

ただ、この本を読んでみてほしい。
何の固定観念ももたず、数々の証言に耳をかたむけてほしい。
そして、自分の心で判断してほしい。


真実かどうかを。





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かいまみた死後の世界

2012年06月15日 | こころの旅
「かいまみた死後の世界」(評論社)
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大学生2年生のとき、東京の書店でこの本のタイトルが目に入った。

パラパラとページをめくると、宗教関係のいかがわしい本ではないことがわかる。
前書きを読む。一気に惹き込まれた。

医学・哲学博士が書いた本だ。
医師なので、多くの患者の治療にあたってきた。その中には、生きるか死ぬかの瀬戸際にたたされている人がいた。

そればかりではない。
生死の境を通りこえて、医学的に、一度死んでしまった人がいた。そして、その患者たちは、ムーディ博士に驚くべきことを語り始めた。

一人、二人、三人…
ムーディ博士は、一度死に、再びこの世に帰ってきた人々にインタビューを続けていくなかで、ある共通体験があることに気づく。これがのちに、臨死体験(Near Death Experience)と呼ばれることになる。




人は、死ぬとどうなるのだろうか。

まず、「意識のようなもの」が自分自身の肉体から離脱をする。自分の体の上空をさまよう。
交通事故なら事故現場の上に。病院なら、ベッド、手術室の上から部屋全体をみわたす。

続いて、かつて亡くなった人々との再会がある。亡き、父、母、妻、夫、おじいちゃん、おばあちゃん…

肉体から離れた意識は、光のトンネルを通り…




著者のムーディ博士はこの本の執筆をためらったという。

医師である博士が死後の世界のことに言及すれば、医師としての信用を失い、厳しい非難を受ける可能性があった。医師として生きていくことができなくなるかもしれなかった。

このような状況にもかかわらず、博士は出版を決めた。

死に直面している人に、この臨死体験の話をしたことがある。すると、先の長くない人々は、死の恐怖を克服し、おだやかな気持ちで旅立ちの準備ができた。最後は、やすらぎの中、不安も恐怖もなく亡くなっていった。

「多くの人の助けになるにちがいない」
ムーディ博士のそんな思いで出版された。

博士の思いは、国をこえ、日本のぼくにまで届くことになる。




死は恐怖の体験ではなかった。
死はすべての終わりではない。意識は死後も存続する。
死後の世界は光の世界であり、やすらぎの場、ねはんとよばれている地であった。




出版後、博士はどうなったのだろう。

結果は予想に反した。

死の淵にいた多くの人を勇気づけただけでなく、全米、全世界から、「自分も同じような臨死体験をした」という報告が相次いだ。

博士のまわりだけではなかった。
米国だけでもなかった。
全世界で、何人もの人が共通の体験をしていた。

この本は各国語に翻訳され、世界で大ベストセラーとなる。


回答

2012年06月12日 | こころの旅
これから書くことはあまり参考にならないので読まれない方がいいかもしれない。

死生観については、幼少からの経験、信仰している宗教などによってさまざまだ。

「わたしはしあわせで毎日楽しいの」
というかたは、ここで読むのをストップされることをおすすめする。




転機とは何だったのか。




臨死体験について知ったのだ。




人の恐怖の根源には死がある。

仕事がない、お金がない、リストラされる… 
仕事がなくなる。そして、生計がなりたたなくなるとどうなるのか。

食べるものが買えない。
その先にあるものは。

死である。

あらゆる不安の根本に、「食べていくことができなくなる=死」という不安の図式がある。

死の恐怖が全ての生活の根源にある。だから好きなことを思いきってできない。満員電車に向かって、面白くもない仕事のために会社に通う。

実際には、雇用保険、生活保護などのセーフティーネットがある。しかし、日々の行動の根源には、やはり、「食べていけなくなる=死」への不安があるのではないだろうか。

死とは何なのだろうか。

自分という存在がなくなることだろうか。
とすると、自分という存在がなくなるとは、どういう状態なのだろう。

眠ったときのように、自分の意識が消失するのだろうか。
死とは永遠の眠るのようなものなのか。

意識が消失するとは、どういうことなのだろう…




死とはこの世のすべて、所有物の喪失。そのために恐怖がわくのだろうか。




天国、地獄、転生を信じている人がいる。

死後は何もないと思う人もいる。
「死んだらすべが終わり。ただ無になるだけさ」

死を知らず、死に向きあうことなく、人は日々生きている。
人は死とは何かも知らずに、その知らないものの恐怖におののきながら、人生のあらゆることを決断している。




痴呆症の人が増えている。すごい勢いで増加している。

なぜだろう ?

ある説によれば、死の恐怖を逃れるために人は痴呆症になるという。
痴呆症になれば、死の恐怖を忘れることができる。考えなくてすむ。何の心配もなく歳をとっていける。老いていける。
恐怖に対する心の、脳の防衛反応が痴呆症なのだという。




死後、何が起こるのかを明確に説明してくれる人はない。
誰も見てきたわけではない。

そう思っていた。

が、これはぼくの思いこみだった。

死後の世界を見てきた人がいたのだ。




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