活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

破獄 吉村昭  (前編)

2010-03-05 23:55:26 | 活字の海(読了編)
著者:吉村昭 新潮文庫刊
初版刊行:昭和61年12月20日
49刷刊:平成21年 6月 5日(入手版)



寂寥たる、光景だ。

雪に覆われた、凍てつく大地。
その中を、まっすぐに伸びる軌条。

夕焼けが、その全てを朱に染め上げている。

まるで。
そこでは。
光さえもが、一切の温もりを拒絶しているようだ。


この小説の主人公である、佐久間清太郎も。
脱獄中に、こうした光景を一人眺めたのだろうか。

そうした思いを馳せる気持ちにさせる、いいカバーである。
(カバー写真:TATSUO IIZUKA/Acollection/
 amana images/Getty Images)



この、物語は。
昭和の伝説の脱獄王、白鳥由栄をモチーフとして、吉村昭が書き上げた
小説である。

(※ リンク先を読まれる際は、ネタバレ注意です!)


主人公の名前は、「佐久間清太郎」。
その他の登場人物も、彼の他の”記録小説”同様に仮名となっている。

もっとも。
今回のような対象の場合は、守秘義務の対象となる情報が多いだけに、
他のどの小説にもまして仮名の必要があっただろうし、その条件を付与
してもなお、取材は困難を極めたことは容易に予想される。


それを乗り越えて。
いつもの乾いた筆致で、「佐久間清太郎」と彼を取り巻く様々な人々を
描いていった吉村氏に、まずは敬服する。


しかも。
本書は。
第二次大戦をはさんだ昭和という時代を、通常語られる庶民や政治家、
あるいは軍人という視線とはまったく異なる角度からで光を照射した
という点において。

出色の作品となっている。

その、視線とは。
昭和の監獄史、である。


つまり。
この物語は。

縦軸に、「佐久間清太郎」という人物の計4回にも及ぶ脱獄劇を。
横軸に、昭和の監獄史を置いた重層構造になっているのだ。


そこで語られる物語は。
どちらの糸も、哀しく、そして重い。


縦軸では。
佐久間の見せる、脱獄への執念と超人的な脱獄劇は。
まるでS・マックイーンの名作「パピヨン」を髣髴とさせられる。

もっとも。
映画「パピヨン」が、その作中でも、原作(というか、実話なんだが)でも、
主人公は無実の罪で収監されたのに対して。

佐久間は、実際に犯罪を犯して捕まったという散文的な違いもあるが。

それでも。
佐久間が見せる脱獄劇は、その知力体力記憶力の限りを尽くし、しかも
暴力を一切交えないという点で、読むものにカタルシスをもたらさずには
いられない。

本書を読んだ、多くの人が。
彼が脱獄した下りでは、快哉を叫んだのではないか。

もちろん、僕もその一人である。

だが。
人間としての佐久間は。

その有り余る知力や体力を、結局は脱獄のためだけにしか用いなかった。

生涯を通じて。
そのためだけ、である。

このことは、人間という存在の哀しさ、空しさを知らしめる。

もしも、佐久間が。
その持てる能力を、少しでも他の方面に発揮出来てさえいれば。

まったく異なる人生が、彼の眼前には拓けたことであったろう。

実際。
彼の脱獄の話を聞き込んだ軍部が、彼をスパイとして徴用出来ないか
と検討したこともあったという話も聞く。
#この話は、本書では触れられていない。
 以前、ネットで検索した際に目にした一文であるが、残念ながら
 出典は不明。したがって情報の確度もまた、不明である。


持てる才能を、十全に発揮できるステージを得ないままに。
人生という舞台の幕が引けてしまう。

そうした事例は、別に彼に限った話ではあるまい。


こうしたブログを書き散らしている僕にも、ひょっとしたら人知れず
(それどころか本人さえ知れず)未知の才能が開花せずに眠ったまま
となっているのかも知れないのである。
#あれば、発掘したいものだ!


もっとも。
彼の場合は。
その才能が、あたら顕在化(というよりも突出)していただけに、
尚のこと惜しまれるのだ。


彼にしてみれば。
そうしたことは、知ったことではないのかもしれないが。

まして。
彼なりに、美学を貫いた生き方ではあったようなので。
本人とすれば、十分に満足した生涯だったのかもしれない。

#なんとなく、キリコを見守るロッチナのような心境になってきた(笑)。


彼が、どのような美学を貫いたのか。
また、どのような知略を用いて、難攻不落と呼ばれた網走刑務所を始め、
様々な監獄からの脱獄を果たし得たのかは。

礼儀として、ここではオープンとはしない。

本コラムを読んで、少しでも興味をもたれた方は、是非ご自分の目で
確かめてみてほしい。

400ページに満たない、小説である。

まして、吉村氏の文章は。
前述したように、粘着質ではなく、恬淡とした非常に読みやすい文章
だけに、すぐ読了出来ることだろう。

その上で。
彼の、波乱と苦難と挑戦に満ちた人生に、思いを馳せていただければ
と思う。


そして。
そのことが。

人が、その人生において、自分の生き様をどのように軌跡を描いていく
べきものなのか、ということを。
今一度、振り返るきっかけとなれば。
本コラムで本書を推奨した甲斐もあった、というものである。


(この稿、続く)



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