活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

ルイ16世幽囚記 第二部(読後編 その2)

2008-03-03 23:42:06 | 活字の海(読了編)
フィルモンと王家がそれまでどの程度の繋がりを持っていたのかは分からない。
ただ、1891年にフィルモンはエリザベート内親王の贖罪司祭となっている
ことや、タンプル塔幽閉後もエリザベートがフィルモンと連絡を取り合って
いた(この部分は編者ブロスの序文による。クレリーの手記によると、メモ類の
外部とのやり取りは一切禁止されていたが、クレリーやその妻の協力により
あの手この手で本当に細々と外部との連絡は取れていたようである)ことから、
かなり近しい仲だったのでは、と思われる。

また、そうでなければ前述のように贖罪司祭を務めて欲しいという申し入れを
受けなかったであろう。

そんなフィルモンと再び出会えて、ガラからの死刑宣告文の通知の時には威厳を
保っていたルイ16世も、ようやくフィルモンと二人きりになった時に、
フィルモンが涙を流して足元に平伏すや、やはり涙を流して弱音を吐いている。

その独白が、心に響く。

「心の弱さを許していただきたい。もっとも(このような環境下にあって
 つい泣いてしまうことを)心の弱さと呼べるならですが。
 長いあいだ敵に囲まれて暮らしてきたので、いわばそういう人たちに馴染んで
 しまったのです。
 でも、忠臣を見ると、私の心はかき乱されます。私の目はそのような光景に
 慣れていないので、不覚にもほろりとしてしまうのです」

かつてベルサイユ宮殿で数千の貴族を従え(ちなみに当時のフランス全土での
貴族の人数は、総人口2500万人のうち、0.5%に満たない12万人程度
であったという(MSNエンカルタ百科事典より))ていたルイ16世が、
今、たった一人の忠臣の涙に感銘を受け、自らも涙を流しているのである。

そこでのルイ16世の発言や所作も、どこまでが真実かを推測する術は無い。
だが、上述のように、フィルモンが敢えて誇張を入れていない場面も多数有ると
思われる中、僕はかなりの割合で(幾分かはフィルモンの中で美化が行われたと
しても)真実だったと思う。


そんな二人の語らいの中で、ルイ16世は自らの家族を慮り、大規模な排斥を
受けていた聖職者の行く末を憂い、大司教への個人的な応対の非礼を詫び

(といっても、大司教からの最後の手紙に返信を書けなかったことについてである。
 当時の事情を考えれば、どうしようもなかったことであろう)、

更には同じ王族(というか従兄弟)でありながら、自らの死刑に一票を投じた
オルレアン公爵の心の平安まで案ずるに至っている。

ここで、オルレアン公に対する発言を、フロイトで言う合理化等と決め付け、
矮小化する見方は、あまりにもルイ16世を卑小化していると思う。


その後で、先のクレリーの手記でも書いた、食堂でのルイ16世と家族との最後の
別れの場面になるのだが、フィルモン神父によると、食堂のガラスは防音等は
全く無く、隣室の書斎に控えていた自分にさえ、彼らの慟哭や宥め合う声が
はっきりと聞こえた、ということである…。

末期の別れの時でさえ、プライバシーを得られなかった彼らでは有るが、
ここまで来て、逆にそうしたことは枝葉な問題だったのだと思うべきだろう。
むしろ、そうした事実がこうして伝わることによって、一層革命政府の非道さが
浮かび上がることになった訳なのだから。

フィルモンは、そのままタンプル塔にて夜を明かし、フィルモンが死に物狂いで
行った交渉の結果、近隣の教会からかき集めた道具を持って、翌朝にルイ16世に
対して、秘蹟を行うミサを遂行する。

この際に、フィルモンが役人と折衝して依頼した以上の道具が取り揃えられていた
とのことであるから、回収に行った役人達も、最後のミサくらいは満足に受けられる
ようにしようと思ったのか、それとも近隣教会の神父が機転を利かせてより多くの
道具を役人に持たせたのか、それは分からない。

だが、それらの道具により、最後のミサが滞りなく執り行われ、ルイ16世が
心の縁である信仰を確信して心の平安を最後まで維持できたことは、彼にとって
何よりの幸福となったことであろう。

#マリーの処刑後、約一月の後にやはりギロチンに処せられたオルレアン公の場合、
 こうした心の平安があったのかどうかは不明である。


ここで特筆すべきことは、早朝のミサ終了後、当初ルイ16世は朝7時を持って
昨晩の約束どおり、家族との最後の別れをしようと考えていた、ということを、
フィルモンが明らかにしている点である。

だが、フィルモンが、そうした場がマリーをして到底耐えられない心の試練を
もたらすことになる、としてルイ16世を説得。ついにルイ16世も納得して
会わずに(=まだしばらくは自分が生きているのでは?という儚い希望を家族に
与えることが出来、かつ時間をかけて自分の死を納得してもらえると考え)
タンプル塔を去ることを決意する。

この決意が正しかったのかどうか、そうした極限状況にない僕には判断が出来ない。

例えどれほどの心の痛手を負うことになろうとも、最後に家族が抱擁し、お互いを
確かめ合う時間は必要だったのでは?という思いもある。

だが、ルイ16世が、家族のことを考え抜いて出した結論である。
それが良かったのだと、今は思うしかないではないか。

(その3へ、続く)

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