3月15日、朝7時45分、母が死去しました。
享年94歳でした。
直接の死因は尿毒症でした
葬儀は喪主である兄の要望で家族葬とし、親族以外の方々には通知しませんでした。
親しくお付き合いいただいた方々には義理を欠くことも多々あったかと存じますが、
なにとぞご容赦くださるようお願い申し上げます
おかげさまで17日通夜。そして18日告別式と滞りなく済ますことができました
こころより感謝申し上げます
母は11日朝、からだの異常を訴えて床に伏し、4日後の15日朝、眠るように静かに逝きました
その間、2回ほどかかりつけの先生に往診してもらいましたが、治療はしませんでした。
入院して透析をすれば数か月は生きられたかとも思いますが、家族の総意でそれは選択しませんでした。
もちろん先生にも賛同していただきました。
住み慣れた自分の家で自分のベットの上で医者もいないところで、家族に見守られながら静かに息を引き取りました。
死亡診断書を書きに来てくれた先生は「理想的な死に方でしたね」といってくれました
11日の朝をむかえるまでは普通の生活をしていました。3月1日は94回目の誕生日で夕飯をともにしました
母は会話を楽しみながら「おいしいおいしい!」と、持っていったオニギリを食べてくれました
私にとって、これが元気な姿を見た最後になりました。
以前から、かかりつけの医者より腎臓の数値が悪いということは聞いていましたが、本人はまったく元気で
「こんなに急に!」と、まさか?の驚きでした
寝込んでから2日間ぐらいは頭痛と吐き気を訴え意識がもどったり、モウロウとしたりでしたが、
その後、何回かの発作をおこし意識がもどらなくなりました。
寝込んでからは、子ども、嫁、そして孫たちが交代で泊まり看病しましたが
最後の夜だけは偶然にも兄、私、妹の三人だけで付き添いました。母にとって三人の実の子です。
そして、亡くなったこの日は兄の誕生日でもあったのです
母が29歳のとき三人の幼い子どもを残して父は他界しました。それから女手ひとつでわれわれ三人を育てたのです。
宗教に頼ることもありましたが、立派な一生だったとおもいます。
子孝行の大往生でした・・・
享年94歳でした。
直接の死因は尿毒症でした
葬儀は喪主である兄の要望で家族葬とし、親族以外の方々には通知しませんでした。
親しくお付き合いいただいた方々には義理を欠くことも多々あったかと存じますが、
なにとぞご容赦くださるようお願い申し上げます
おかげさまで17日通夜。そして18日告別式と滞りなく済ますことができました
こころより感謝申し上げます
母は11日朝、からだの異常を訴えて床に伏し、4日後の15日朝、眠るように静かに逝きました
その間、2回ほどかかりつけの先生に往診してもらいましたが、治療はしませんでした。
入院して透析をすれば数か月は生きられたかとも思いますが、家族の総意でそれは選択しませんでした。
もちろん先生にも賛同していただきました。
住み慣れた自分の家で自分のベットの上で医者もいないところで、家族に見守られながら静かに息を引き取りました。
死亡診断書を書きに来てくれた先生は「理想的な死に方でしたね」といってくれました
11日の朝をむかえるまでは普通の生活をしていました。3月1日は94回目の誕生日で夕飯をともにしました
母は会話を楽しみながら「おいしいおいしい!」と、持っていったオニギリを食べてくれました
私にとって、これが元気な姿を見た最後になりました。
以前から、かかりつけの医者より腎臓の数値が悪いということは聞いていましたが、本人はまったく元気で
「こんなに急に!」と、まさか?の驚きでした
寝込んでから2日間ぐらいは頭痛と吐き気を訴え意識がもどったり、モウロウとしたりでしたが、
その後、何回かの発作をおこし意識がもどらなくなりました。
寝込んでからは、子ども、嫁、そして孫たちが交代で泊まり看病しましたが
最後の夜だけは偶然にも兄、私、妹の三人だけで付き添いました。母にとって三人の実の子です。
そして、亡くなったこの日は兄の誕生日でもあったのです
母が29歳のとき三人の幼い子どもを残して父は他界しました。それから女手ひとつでわれわれ三人を育てたのです。
宗教に頼ることもありましたが、立派な一生だったとおもいます。
子孝行の大往生でした・・・
からだは丈夫でしたね、なにしろ入院をしたことがありません。
定期的に薬をのむこともありませんでした・・・
耳が遠くなったほかは悪いところはなかった、っておもっていましたが
腎臓はむかしから悪かったようです。
でも「この人は100歳以上まで生きるのでは?」
なんておもっていたのですよ
73歳は若いですね、「親孝行したいときには、親はなし」ですよね?
どんな状態でも後悔はのこるものです・・・
>自宅で家族に見守られながら。素敵な旅立ちですね
そう、それがいちばん良かったと思っています・・・
自分も、そうありたいと思いました・・・
コメントしづらい話題でごめんなさい・・・
住居が団地の4階ですから、通院できなかったんです。
この先生は6丁目の開業医です。以前、黒ラブを飼っていて
ウチのとは犬つながりでした。この奥さんとウチのがスポーツクラブでいっしょになったとき
母の体調を話し、定期的に往診してもらうようになったのです
数か月前の往診の際に、腎臓の数値が極端に悪いので
「いつ何が起こっても不思議ではないですよ!」みたいなことは言われていました。
でも、本人はいたって元気でした・・・
透析という選択肢は先生と相談すみでした
「この歳で透析はやめましょう・・・」と言ってくれました
だから、突然ではありましたが、覚悟はしていたのです
母にとっていい人生だったかどうかはわかりませんが
死に際は立派でした・・・
私の母は私が40歳の時73歳でなくなりました。当時は子供も小学生と中学生で、週に1日は実家へ介護に通っていましたが、今なら時間も取れてもっと親孝行できたのではないかと悔しさがこみ上げます。いくつになっても母親は恋しいものです。
自宅で家族に見守られながら。素敵な旅立ちですね。
奥様からお話を伺っておりましたが、お医者さんもおうちにきてくれていたりと、昔からのかかりつけのお医者さんの恵まれた生活ぶり、ゆっくりと老後を楽しみ幸せな一生でしたね。
ご冥福をお祈りいたします。