昨年、世界遺産に登録された平泉。そして一度は行ってみたかった平泉。
栄華を極めた奥州藤原氏。若き日をその平泉で送った義経。そしてそこは義経終焉の地でもあった。
二十代のころ司馬遼太郎の「義経」を読んだ。それ以来「いつか行ってみたい!」と思いつづけてきた平泉。
しかし、その機会に恵まれず40年近くも過ぎてしまったが?やっと思いがかなって
この23日~24日に晩秋の平泉を訪ねてきた・・・
メンバーは元会社の同僚である。
東京駅9時16分発の新幹線で仙台まで行き、そこからはバスの旅である。
まず仙台から一時間半ほどかけて中尊寺へ・・・
↓中尊寺本堂
↓どんよりと曇った寒空だったが、ときおり陽がさした
↓中尊寺不動堂。陽射しは大きく傾いていた
↓境内の紅葉はすでに盛りを過ぎている
↓宿泊は「ホテル花巻」。三連休のためか?混雑していた
↓バイキングの夕食
↓食後は、ホテルのお祭り広場にて郷土芸能「鹿踊り」を観た
↓翌日は、義経終焉の地「高館義経堂」(たかだちぎけいどう)へ・・・高館から北上川を見下ろす
↓松尾芭蕉がこの高館で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだ
↓義経の居館があったこの高台に、今は義経堂だけがひっそりと建っているだけだった
↓つぎは「達谷窟毘沙門堂」へ
↓征夷大将軍の坂上田村麿が創建したと伝えられている毘沙門堂
↓毘沙門堂から見下ろす
↓「岩面大仏」。陸奥守、源義家が馬上から弓矢で彫り付けたと伝えられる
中央やや上に顔だけ残っています。わかりますか?
↓そして最後は「毛越寺」へ・・・毛越寺本堂
↓「大泉ケ池」
大泉ケ池を一周。
ときおり小雪の舞った大泉ケ池
とにかく寒い二日間だった。お日様が出たかな?と思ったら小雪が舞ったり、くもり空の冷たい風が
吹き抜けたり・・・と不安定な天候はこの時期の特徴らしい
二日間ともガイドさんの説明を聞きながら各史跡をまわった。今回の旅はツアーではあるが、平泉だけの史跡巡りである。
地元のガイドさんによる時間をたっぷりかけた説明を受けながら世界遺産と、そして「兵どもの夢の跡」を偲んだ
栄華を極めた奥州藤原氏。若き日をその平泉で送った義経。そしてそこは義経終焉の地でもあった。
二十代のころ司馬遼太郎の「義経」を読んだ。それ以来「いつか行ってみたい!」と思いつづけてきた平泉。
しかし、その機会に恵まれず40年近くも過ぎてしまったが?やっと思いがかなって
この23日~24日に晩秋の平泉を訪ねてきた・・・
メンバーは元会社の同僚である。
東京駅9時16分発の新幹線で仙台まで行き、そこからはバスの旅である。
まず仙台から一時間半ほどかけて中尊寺へ・・・
↓中尊寺本堂
↓どんよりと曇った寒空だったが、ときおり陽がさした
↓中尊寺不動堂。陽射しは大きく傾いていた
↓境内の紅葉はすでに盛りを過ぎている
↓宿泊は「ホテル花巻」。三連休のためか?混雑していた
↓バイキングの夕食
↓食後は、ホテルのお祭り広場にて郷土芸能「鹿踊り」を観た
↓翌日は、義経終焉の地「高館義経堂」(たかだちぎけいどう)へ・・・高館から北上川を見下ろす
↓松尾芭蕉がこの高館で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだ
↓義経の居館があったこの高台に、今は義経堂だけがひっそりと建っているだけだった
↓つぎは「達谷窟毘沙門堂」へ
↓征夷大将軍の坂上田村麿が創建したと伝えられている毘沙門堂
↓毘沙門堂から見下ろす
↓「岩面大仏」。陸奥守、源義家が馬上から弓矢で彫り付けたと伝えられる
中央やや上に顔だけ残っています。わかりますか?
↓そして最後は「毛越寺」へ・・・毛越寺本堂
↓「大泉ケ池」
大泉ケ池を一周。
ときおり小雪の舞った大泉ケ池
とにかく寒い二日間だった。お日様が出たかな?と思ったら小雪が舞ったり、くもり空の冷たい風が
吹き抜けたり・・・と不安定な天候はこの時期の特徴らしい
二日間ともガイドさんの説明を聞きながら各史跡をまわった。今回の旅はツアーではあるが、平泉だけの史跡巡りである。
地元のガイドさんによる時間をたっぷりかけた説明を受けながら世界遺産と、そして「兵どもの夢の跡」を偲んだ