早春
浪華女や京を寒がる御忌詣 蕪 村
「春寒」が中心ではなく、「御忌詣(ぎょきもうで)」が中心である。
俳句においては、一句の中に主要な季語が二つあることを「季重なり」といって嫌う。中心が二つに分裂し、全体の統一が破れるからである。
しかし、この句の場合、春寒は、御忌詣の特徴のひとつであるから、たいして不都合を感じさせない。
「浪華女(なにわめ)の」ではなくて、「や」の切字で切ってあるために、浪華女というものが、相当きわだって注意をひく。海近い浪華(大坂)とは違い、山城の京都は、春になってもいつまでも底冷えがする。
活気ある商業都市の人的交渉の生活のなかから、歴史の都市ともいうべき豪壮な寺院の多いこの地に来てみれば、それだけでも一種の寒さを覚えずにはいられなかったであろう。
御忌のこの日、多くの京女のなかにあって、いわゆる「浪華ぶり」(現代ふう)な点で、この女が際立っている。独り強く寒さをかこつところに浪華女らしい肉体のやわらかさとでもいうべき艶気がほのめいて、長年、浪華と京の両地に親しんだ蕪村にとって、少なからず興味が感じられたのであろう。
「御忌詣」は、京都の知恩院で、正月十八日から二十五日まで修す、浄土宗の開祖法然上人の御忌に詣でること。二十五日が正日であって、この日を京都の年中行事の最初の遊覧日として、参詣人が衣装の綺羅を競う風習があった。
季語は「御忌詣」で春。
「一年の最初の遊覧日として、御忌の日の知恩院はたいそうな人出である。
着飾った女の参詣人が多いなかに、大坂からやって来たらしい垢抜けした
女が一人混じっていて、なれない京都の余寒のきびしさにあきれ、こぼし
つつ、ぎょうさんに艶やかな身振りをするのが目立たしかった」
春寒の路地 置き去りの三輪車 季 己
浪華女や京を寒がる御忌詣 蕪 村
「春寒」が中心ではなく、「御忌詣(ぎょきもうで)」が中心である。
俳句においては、一句の中に主要な季語が二つあることを「季重なり」といって嫌う。中心が二つに分裂し、全体の統一が破れるからである。
しかし、この句の場合、春寒は、御忌詣の特徴のひとつであるから、たいして不都合を感じさせない。
「浪華女(なにわめ)の」ではなくて、「や」の切字で切ってあるために、浪華女というものが、相当きわだって注意をひく。海近い浪華(大坂)とは違い、山城の京都は、春になってもいつまでも底冷えがする。
活気ある商業都市の人的交渉の生活のなかから、歴史の都市ともいうべき豪壮な寺院の多いこの地に来てみれば、それだけでも一種の寒さを覚えずにはいられなかったであろう。
御忌のこの日、多くの京女のなかにあって、いわゆる「浪華ぶり」(現代ふう)な点で、この女が際立っている。独り強く寒さをかこつところに浪華女らしい肉体のやわらかさとでもいうべき艶気がほのめいて、長年、浪華と京の両地に親しんだ蕪村にとって、少なからず興味が感じられたのであろう。
「御忌詣」は、京都の知恩院で、正月十八日から二十五日まで修す、浄土宗の開祖法然上人の御忌に詣でること。二十五日が正日であって、この日を京都の年中行事の最初の遊覧日として、参詣人が衣装の綺羅を競う風習があった。
季語は「御忌詣」で春。
「一年の最初の遊覧日として、御忌の日の知恩院はたいそうな人出である。
着飾った女の参詣人が多いなかに、大坂からやって来たらしい垢抜けした
女が一人混じっていて、なれない京都の余寒のきびしさにあきれ、こぼし
つつ、ぎょうさんに艶やかな身振りをするのが目立たしかった」
春寒の路地 置き去りの三輪車 季 己