連歌は、五七五の発句に始まり、七七の脇句でそれをうけ、さらに五七五の第三句に転じ、以後、七七と五七五の句を交互に連ねて、百句に至るのを原則とする長大な詩です。
また連歌は、多人数による対話応答という形で行なわれるので、勢いそこには、いわゆる礼儀作法と共に、一定の約束事が生じます。かわされる対話の内容、表現や作法にまで、ある種の制約が生まれてくるのは当然のことです。
連歌の基本形式は、短歌の上の句か下の句のいずれかをもって問いかければ、他がそれに応えて、形式も意味も短歌一首に完成するのが建前です。
問いかける内容は当然、自分と他の人とに共通した眼前の客観的事象か、共感した感動的な感情でなければなりません。なぜなら、相手に通じない独りよがりな主観的感情や事象は、共通の話題になり得ないからです。
眼前の共通した事象というのは、その季節のその時刻、時分の景物のことです。だから、「発句に時節の景物そむきたるは返す返す口惜しき事なり」となり、後世、発句や俳句に季語、つまり、季節感をあらわす語を詠み込むことになったのです。
ところで、なぜ「発句」といったのでしょうか。
これは、連歌の巻頭の一句、つまり、発端の句ということなのです。
連歌は、巻頭の句以外はすべて、前の句の世界から発想されますが、発句だけは、制約を受けずに自由に詠めるのです。
二条良基の『筑波問答』に、
「当道の至極の大事、ただ発句にて侍るなり。発句悪ければ
一座みなけがる。されば堪能宿老にゆづりて、末座は斟酌
あるべき也」
とあるように、連歌一巻の製作に当たっては、発句がまず大事であったのです。
よい発句とは、深い詩心がこめられており、言葉は優しく、気高く、新しく、その席の作法にかなっているようなものでなければならなかったのです。
良基の時代の理想の句は、前述の通りですが、「大やう」であることは要求されていません。これは、こまごまとした条件を気にかけないところに、「大やう」な句ぶりが存在するので、そうした句ぶりは良基の時代には、もはや過去のものだと考えられていたためにほかなりません。
心敬においても、発句は「大やうに優々とさしのびたるもの」であることが本体であることは、一応認めていますが、それよりは、そうした固定観念に煩わされることなしに、常に、臨機応変に句作しなければならないことが説かれています。
その点では、「あたらしく当座の儀にかなひたるを上品とは申すなり」と言っている良基の言と一致するばかりでなく、その点をさらに強調しているようにも見えます。
けれども心敬においては、新しさの意義がだいぶ異なってきています。
良基の場合には、時世の動向が相当鋭敏に反映しているのに対し、心敬においてはそれと無縁に、観念の世界に新しさを求めているようなところがあります。
しかし、ここに例としてあげてある発句は、いずれも良基時代のものであり、しかもこれらの句は、きびきびした力強い句ぶりのうちに、知的な面白さをたたえている点で、心敬の理想とした句が、どのような句であったかを知るには、格好のものだと思います。
俳句をつくるうえの参考のために、発句に関する良基・心敬の説をまとめると、おおよそ次のようになります。
○発句には必ず、その百韻が催された季節の語(季語)を詠み込むこと。
○発句は、百韻全体の風格を定め、一句として完成した形と内容をそろえるために、切字
を用いて切らなければならない。
○思ったことをそのまま述べないで、巧みに趣向を凝らして句作すべきである。
○表現しようと意図した真意をかくして表面に出さず、すぐにはわからないようにすること。
○自分の型をしっかり持ち、なおかつ、それにとらわれずに臨機応変に句をつくること。
○平易な言葉を用いて、しかも、新鮮で工夫を凝らした、理知的な面白さのある句。
節分の豆買ひにゆく鬼教師 季 己
また連歌は、多人数による対話応答という形で行なわれるので、勢いそこには、いわゆる礼儀作法と共に、一定の約束事が生じます。かわされる対話の内容、表現や作法にまで、ある種の制約が生まれてくるのは当然のことです。
連歌の基本形式は、短歌の上の句か下の句のいずれかをもって問いかければ、他がそれに応えて、形式も意味も短歌一首に完成するのが建前です。
問いかける内容は当然、自分と他の人とに共通した眼前の客観的事象か、共感した感動的な感情でなければなりません。なぜなら、相手に通じない独りよがりな主観的感情や事象は、共通の話題になり得ないからです。
眼前の共通した事象というのは、その季節のその時刻、時分の景物のことです。だから、「発句に時節の景物そむきたるは返す返す口惜しき事なり」となり、後世、発句や俳句に季語、つまり、季節感をあらわす語を詠み込むことになったのです。
ところで、なぜ「発句」といったのでしょうか。
これは、連歌の巻頭の一句、つまり、発端の句ということなのです。
連歌は、巻頭の句以外はすべて、前の句の世界から発想されますが、発句だけは、制約を受けずに自由に詠めるのです。
二条良基の『筑波問答』に、
「当道の至極の大事、ただ発句にて侍るなり。発句悪ければ
一座みなけがる。されば堪能宿老にゆづりて、末座は斟酌
あるべき也」
とあるように、連歌一巻の製作に当たっては、発句がまず大事であったのです。
よい発句とは、深い詩心がこめられており、言葉は優しく、気高く、新しく、その席の作法にかなっているようなものでなければならなかったのです。
良基の時代の理想の句は、前述の通りですが、「大やう」であることは要求されていません。これは、こまごまとした条件を気にかけないところに、「大やう」な句ぶりが存在するので、そうした句ぶりは良基の時代には、もはや過去のものだと考えられていたためにほかなりません。
心敬においても、発句は「大やうに優々とさしのびたるもの」であることが本体であることは、一応認めていますが、それよりは、そうした固定観念に煩わされることなしに、常に、臨機応変に句作しなければならないことが説かれています。
その点では、「あたらしく当座の儀にかなひたるを上品とは申すなり」と言っている良基の言と一致するばかりでなく、その点をさらに強調しているようにも見えます。
けれども心敬においては、新しさの意義がだいぶ異なってきています。
良基の場合には、時世の動向が相当鋭敏に反映しているのに対し、心敬においてはそれと無縁に、観念の世界に新しさを求めているようなところがあります。
しかし、ここに例としてあげてある発句は、いずれも良基時代のものであり、しかもこれらの句は、きびきびした力強い句ぶりのうちに、知的な面白さをたたえている点で、心敬の理想とした句が、どのような句であったかを知るには、格好のものだと思います。
俳句をつくるうえの参考のために、発句に関する良基・心敬の説をまとめると、おおよそ次のようになります。
○発句には必ず、その百韻が催された季節の語(季語)を詠み込むこと。
○発句は、百韻全体の風格を定め、一句として完成した形と内容をそろえるために、切字
を用いて切らなければならない。
○思ったことをそのまま述べないで、巧みに趣向を凝らして句作すべきである。
○表現しようと意図した真意をかくして表面に出さず、すぐにはわからないようにすること。
○自分の型をしっかり持ち、なおかつ、それにとらわれずに臨機応変に句をつくること。
○平易な言葉を用いて、しかも、新鮮で工夫を凝らした、理知的な面白さのある句。
節分の豆買ひにゆく鬼教師 季 己