壺中日月

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「俳句は心敬」 (20)芭蕉と宗祇

2011年02月05日 20時39分18秒 | Weblog
        西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、
       利休が茶における、其の貫道する物は一なり。


 芭蕉の『笈の小文』にある有名な一節です。このように芭蕉は、連歌師の宗祇を敬愛していました。そして、心敬は、この宗祇の連歌の師なのです。
 心敬の作品から、発句を一つ取り上げてみましょう。

        雲は猶さだめある世の時雨かな     心 敬

     「行雲流水」のたとえのように、時雨を運ぶ雲jは絶えず移り変わって
    やまないものと言われるが、いまの乱れに乱れた世情世態にくらべれば、
    まだ、時雨がつき従う雨雲には、一定の法則がある。

 と、当時の世の乱れを嘆いたものです。応仁の乱(1467~77)をひたむきに生きた、心敬の息づかいが聞こえてくるようです。

 つぎに、心敬の弟子である宗祇の発句を見てみましょう。

        世にもふるさらに時雨のやどりかな     宗 祇

 時雨(しぐれ)の雨宿りではないが、人の一生もさらに、「あっ」という間に過ぎてゆくことだ、というほどの意ですが、『新古今和歌集』の

        世に経(ふ)るは苦しきものを槇の屋に
          やすくも過ぐる初時雨かな      二条院讃岐


     生きるということは苦しいものなのに、わたしの住む槇の家を、初時雨は
    あっという間に、たやすく降り過ぎていってしまいました。

 を踏まえたものと思われます。しかし、明らかに、心敬の発句を意識してつくっています。

 面白いことに芭蕉は、無常観を詠んだ宗祇のこの句が大好きでした。そして芭蕉自身もとうとう

        世にふるはさらに宗祇のやどり哉     芭 蕉

 人の一生は短くはかないもの、だからこそ、自分は俳諧一筋に生きるのだ、という句までつくってしまったのです。
 芭蕉は宗祇を敬愛しておりましたが、その師である心敬については一言も触れておりません。しかし、芭蕉は心敬の精神を、じかに学んでいたにちがいありません。
 心敬の『ささめごと』には、芭蕉が説いた教えと少しも変わらない精神が流れているのです。そして、心敬の連歌論と芭蕉の俳諧論の間には、密接な関係が認められるのです。


      皿けつて跳ぶ目玉焼 二月来る     季 己