
イーストウッドの映画には教会がよく出てくる。
今回も不慮の事故で亡くなった子供の式の様子を映し出していた。
教会が流れ作業の様に親族を入れ替えているところを皮肉に写している。
本来持たなくていいような能力を持った人間は、持たざる者から見ると
一見羨ましがられるが実は失ったもののほうが大きいのかもしれない。
心無い兄貴(これが普通の感覚なんだけども)が弟の能力を使って
一儲けたくらむけれども辛いよね・・・・
「兄貴よォこれは能力なんかじゃなくて呪いなんだよ!わかってくんねえかなあ!」
通じないんだよね・・・

死者と会話が出来る能力を興味半分で嫌がる本人に使わせておいて
本当に交信したことを生々しく実感した途端に怖くなって離れていく。
酷いよね・・・・
孤独の象徴として、この映画でマットデイモンが一人淋しく
食事するシーンが3回も出てくるんだよね。
話しチョットそれるけど、イーストウッドは孤独になっていく男を
描くのがスッゴクうまい!
もう一人この映画で中心人物になっている双子の少年も孤独でのた打ち回るんだよ。
孤独を味わって来なかった人間は信用できないよ。
孤独を避けて誤魔化して生きてきてしまった人間には心を許すことはないと
思うなァ~
売れっ子ニュースキャスターの女性も「死後の世界を見た」ことを
言い出したら地位もお金も恋人も失ったものね・・・・
でもこの女性、強いよ。自分の見てきたこと実感したことを突き詰めて
本にして世間に出しちゃうんだもの。
主人公のマットデイモンと真逆だ。
この描き方もイーストウッドだよ。
いわゆる霊能者の世界観をモチーフに描いているんだけど、テーマは
人間不信や孤独や絶望などから目を背けずに見つめて一度傷づいて、
それでも誰かを何かを信じてもう一度生きていく、本当に自立していく
ここなんじゃないだろうか。

それにしてもイーストウッドは自身の死期を感じ取っているとしか思えないくらい
怒涛のごとく作品を撮っていたよこのころは。
人生のゴールにラストスパートかけている。