こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
自分にお仕置きしないと。
「食欲の秋」にかまけて、昼からお菓子をボリボリやっちゃったんです。
「痩せていること」だけが唯一の取り柄なのに、
それを大切にしないなんて。
青くさいですけど、「自分を好きでいられるようにする心がけ」って、
他人にもくみすることが多いじゃないですか。
それを蔑ろにするとかありえないです。
夜は精進料理にするか(笑)
今日も皆さん、ありがとうございます。
自分にお仕置きしないと。
「食欲の秋」にかまけて、昼からお菓子をボリボリやっちゃったんです。
「痩せていること」だけが唯一の取り柄なのに、
それを大切にしないなんて。
青くさいですけど、「自分を好きでいられるようにする心がけ」って、
他人にもくみすることが多いじゃないですか。
それを蔑ろにするとかありえないです。
夜は精進料理にするか(笑)
サザンテラスから(東京都渋谷区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
今回はセルフカウンセリングの意味で、
私が目下、一番突き詰めたいことについて書いてみます。
☆ ☆ ☆
人間の価値を計るのは、なぜ難しいのでしょうか!?
理由は簡単で、「人間の価値は行動に現れるから」です。
つまり、人間の価値は固定的なものではなく、
行動する瞬間、瞬間の切り口から滲み出るものだからです。
例を挙げましょう。
難関大学に合格する思考力がある人と、難関大学を全てスベった人がいるとします。
さて、なにかしら解決しなければならない問題が起こりました。
前者は解決に無気力で無関心、後者は前向きな解決を望んで手を尽くそうとしました。
…そんな光景を目の当たりにして、どちらに価値を感じるか!?と言えば、
間違いなく「学歴に関係なく、前向きに思考を繰り広げ、行動した人」ではないでしょうか。
結局、「履歴書に書くような立派なこと」は、
ほとんどが「過去の実績や権力」を表したり、ポテンシャルを計るためのものに過ぎないわけです。
つまり、です。
どんなに力やポテンシャルがあったところで、
結局、人間の価値を問われる場合、
その基準は「持てる力をどれだけ発揮したか」というただ一点のみなのです。
自分であれ、他人からであれ、「人間的に何か物足りない」という評価が下された場合、
それは「地位や肩書き、その他可視的なもの」に理由を転嫁する種の指摘ではないということです。
「なにかしらの行動をして、それに対してどれだけの魅力を感じてもらったり、誰かの幸せに貢献でき得るか」にかかっているのです。
もちろん、行動することが全てではない。
行動した結果、傷ついたり迷惑を被る人が出る可能性があるのは事実です。
しかし、行動しないことで傷つく人や迷惑を被る人だって、出る可能性はあるのです。
だからこそ、人は頭を抱え込むわけです。
そこで、よりよい思考を採用したり、
よりよい行動をする訓練が必要になるのです。
それが「自分磨き」です。
自分磨きの本質というのは結局、
人から「良い子」と言われるためのナルシスティックなものではないのです。
☆ ☆
自分の価値を上げよう、
よりよい気持ちになってもらおう。
そうやって努力する過程で、たまたま運の良かった人が「地位や肩書、その他諸々のもの」を、
後からついて来るように手に入るわけです。
外見にしたってそうです。
人に幸せになってもらおうとする人がよいルックスを手に入れるのであって、
良かれ悪しかれ「生まれつきのもの」に頼っているだけでは、
結局、劣化していくだけです。
別にスケールの大きいことでなくたってよい。
自己評価がどんなにつまらなくたって、
「つまらない自分に出来ること」は、一歩引いてみればいくらでもあるハズです。
笑顔でいる。
前向きな言葉をかける。
背筋を伸ばす。
たとえばこんな「なんでもないような当たり前のこと」を当たり前にするだけで救われる人は、
案外多くいるものです。
ブランド力に甘んじない。
そのかわり、自分の力を付け、使ってみる。
その反復が人間の評価を決めていくと思うのですが、
いかがでしょうか!?
こんにちは。
今日もありがとうございます。
今回はセルフカウンセリングの意味で、
私が目下、一番突き詰めたいことについて書いてみます。
☆ ☆ ☆
人間の価値を計るのは、なぜ難しいのでしょうか!?
理由は簡単で、「人間の価値は行動に現れるから」です。
つまり、人間の価値は固定的なものではなく、
行動する瞬間、瞬間の切り口から滲み出るものだからです。
例を挙げましょう。
難関大学に合格する思考力がある人と、難関大学を全てスベった人がいるとします。
さて、なにかしら解決しなければならない問題が起こりました。
前者は解決に無気力で無関心、後者は前向きな解決を望んで手を尽くそうとしました。
…そんな光景を目の当たりにして、どちらに価値を感じるか!?と言えば、
間違いなく「学歴に関係なく、前向きに思考を繰り広げ、行動した人」ではないでしょうか。
結局、「履歴書に書くような立派なこと」は、
ほとんどが「過去の実績や権力」を表したり、ポテンシャルを計るためのものに過ぎないわけです。
つまり、です。
どんなに力やポテンシャルがあったところで、
結局、人間の価値を問われる場合、
その基準は「持てる力をどれだけ発揮したか」というただ一点のみなのです。
自分であれ、他人からであれ、「人間的に何か物足りない」という評価が下された場合、
それは「地位や肩書き、その他可視的なもの」に理由を転嫁する種の指摘ではないということです。
「なにかしらの行動をして、それに対してどれだけの魅力を感じてもらったり、誰かの幸せに貢献でき得るか」にかかっているのです。
もちろん、行動することが全てではない。
行動した結果、傷ついたり迷惑を被る人が出る可能性があるのは事実です。
しかし、行動しないことで傷つく人や迷惑を被る人だって、出る可能性はあるのです。
だからこそ、人は頭を抱え込むわけです。
そこで、よりよい思考を採用したり、
よりよい行動をする訓練が必要になるのです。
それが「自分磨き」です。
自分磨きの本質というのは結局、
人から「良い子」と言われるためのナルシスティックなものではないのです。
☆ ☆
自分の価値を上げよう、
よりよい気持ちになってもらおう。
そうやって努力する過程で、たまたま運の良かった人が「地位や肩書、その他諸々のもの」を、
後からついて来るように手に入るわけです。
外見にしたってそうです。
人に幸せになってもらおうとする人がよいルックスを手に入れるのであって、
良かれ悪しかれ「生まれつきのもの」に頼っているだけでは、
結局、劣化していくだけです。
別にスケールの大きいことでなくたってよい。
自己評価がどんなにつまらなくたって、
「つまらない自分に出来ること」は、一歩引いてみればいくらでもあるハズです。
笑顔でいる。
前向きな言葉をかける。
背筋を伸ばす。
たとえばこんな「なんでもないような当たり前のこと」を当たり前にするだけで救われる人は、
案外多くいるものです。
ブランド力に甘んじない。
そのかわり、自分の力を付け、使ってみる。
その反復が人間の評価を決めていくと思うのですが、
いかがでしょうか!?