青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

太陽

2013年02月28日 06時07分14秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、夕焼け空が神秘的で、思わずカメラを構えてしまいました。

 雲に隠れて、太陽が月みたくみえたんですよ(*^^*)
 「ツキがありますように!」と、それらしく撮ってみました!

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自分が主役。

2013年02月27日 23時40分36秒 | 青裸々日記。
代々木公園から(東京都渋谷区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 自分の人生は、最終的には、全て自分が決めているものです。


 非常に乱暴な書き方をしました。
 もちろん現実には、抗いがたい(あらがいがたい;抵抗が難しい)指示や命令があったり、
 流れやその場の空気、人の気持ちを読めばとても出来ないことがあるもの。
 だから、「人生そんなに甘くない、何を言ってるんだ」という方がいらっしゃって当然だと思います。


 それでは、なぜ「人生は自分で決めてるもんですよ」と言えるのか、
 これには、ちゃんと理由があるのです。


 友達と、ランチに来ていると想像してみて下さい。
 ランチですから、メニューを見て決めるわけですが、
 友達同士ですから、オススメもあれば、やめたほうがいいものも話題になること、よくありますよね。
 そうすると、「友達が勧めたから」とか「やめたほうがいいと聞いたから」などという理由でメニューを選ぶことになりますが、
 そうやって選んだのは、最終的に誰なのかと言えば…、
 お分かりになるでしょうか。
 意見の強弱にせよ、その場その時の心情にせよ、
 人の言うことや意見、考え方を採用するかどうかという点では、結局は自分が決定権を握っているのです。


 「自分で全て決めている」という事実は、なかなか受け入れがたい側面があるでしょう。
 そんなことを普段からして生きていれば息も詰まるでしょうし、
 そうでなくとも、「あれもこれも自分の責任なのか…」と思うと、その重さに耐えられなくなることも、正直あると思います。
 …というか、私だったら耐えられません(笑)
 人間、そこまで完璧な生き物ではないのです。


 しかし、です。

 「自分で決められない世界」というのもまた、なかなかつらいものがあるのではないでしょうか。
 そしてまた、自分の意思を大切にせず、流れのままに不本意さを感じていることがあるとしたら、
 それもまた、しんどい気持ちにはなりませんか。



 だから、「決める」のです。


 自分であれ、他人であれ、意見を採用するか決めるのは自分です
 じゃんけんでグーを出す場合、背景を考えると、人からパーと言われようと、グーと言われようと、
 最終的にグーと決めて出したのは自分ですよね

 それと同じなんです

 主役の座を、人に譲らない。
 そして、その譲らないための心構えが、「決める!」ということなのです。

都議会議事堂

2013年02月26日 06時04分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 昨日の都庁の反対側には、向かい合うように、こんな形の議事堂があります。


 この半円の形に囲まれていると、なんとも言えない気持ちになります。
 あったかかったらもっと良かったのに(笑)

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器量と自尊心。

2013年02月25日 23時45分10秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の梅(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 基本的に、自尊心はあったほうが生きやすくなるものです。


 こう言うと、「踏ん反り返った、偉そうな人」になることを勧めているようですが、
 そうではありません。
 後で詳しくお話ししますが、踏ん反り返ることと、自尊心を持つことは、違うことなのです。


 さて。
 自尊心があるとなんでいいか。
 簡単です。
 人の言動を、好意的に捉えやすくなるからです。

 世の中、誠実な人ばかりとは限りません。
 ということは、挨拶ができなかったり、嫌な顔をしてくる人もいるわけです。
 そこで、その「好ましくない態度」をどう感じるか…という話になるのですが、
 ここで、自尊心が鍵を握るわけです

 自分を低く評価していると、ただ笑っているだけの人を見ると、「自分の至らなさをあざ笑っているんだ」と、
 自分の評価を、人に投影して見てしまうようになるのです
 それがゆえ、自尊心が低くなっていると、傷つかないでいい場面で、勝手に疲れたりストレスを感じるようになってしまうのです。

 逆に、自尊心があると、どうなるか。
 「笑う人を見る→自分に対するもの」という思い込みがなくなりますから、
 冷静に「笑った理由」を考える余地ができます。
 そしてまた、万が一人にあざ笑われたとしても、むしろ笑い返すことすらできるようになるのです。
 なぜなら、「自分が笑われるに至るだけの理由ってなんだろう?」と、
 あくまで相手の心のうちや本質に迫ることができるからです。

 逆に言えば、人の言動にいちいち目くじらを立てるような人は、本当は自尊心のない人だということができます。

 冒頭で、「踏ん反り返る人は自尊心を持っている人じゃないですよ」とお話ししました。
 「笑っている人がそばにいる」例で言えば、踏ん反り返るような人は、事実をフェアに見られないという点では同じですから、
 やはり、「笑っている人」には耐えられないと思うのですね。



 自尊心は、人を許す器のようなものです
 自分を信じ、尊重すればこそ、周りに動じず、色々なことを、タズナを握るようにコントロールできるのです
 だから、自尊心は大切だし、あったほうがいいのです


 「自尊心」は、意味さえわかっていれば、心強い味方になるものです。
 一緒に磨いてみませんか。

東京都庁

2013年02月25日 05時16分01秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 展望台の写真があったのに、東京都庁の写真、まだでしたね(笑)

 とても20年前のものとは思えないほど、近代的な建物ですよね。
 また近く、行ってみたいです。


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はやぶさ

2013年02月24日 20時41分33秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「はやぶさ」人気、新幹線も探査機も、衰えることえお知りませんよね。
 いつ見ても、カッコイイです。


 P.S.
 風邪で寝込んでいたため、更新が遅れました。
 すみません。

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悪口。

2013年02月23日 23時11分11秒 | 青裸々日記。
山茶花の花(東京都品川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 皆さんは、悪口を言われると、ムッとしたりしませんか!?
 うん、頭に来るよ!という人、まあいいんじゃない?という人、
 あるいは、気分や内容によるんじゃない!?という人、
 色々いると思うんですね。


 ただ、私の独断で言えば、悪口なんていうのは、自分の目や耳に入らない限り、どんどん言わせたほうがいいのです。

 人間、人を批判したり、悪口を言っている間は「正しいボクや私」でいられますよね
 自分が悪い側だったら、声高に人を悪く言えませんし、
 そもそも「悪いレベル」が標準になるので、人のことも悪く見えないか、許しているかのどちらかです。
 それに、ちょっと腹黒い考え方かもしれませんが、
 悪いのなら悪いで、勝手に自滅してもらえばいいだけの話…という場合も多分にあるはずで、
 つまり、わざわざ悪口を言う必要だって、本当はないこともある。
 そこを、あえて悪口にして人に話すというのは、つまりは「注目してほしい」とか「認めてほしい」、
 辛口に言えば、「私は劣等感を持っています!と自己紹介したい」という見方はできないでしょうか


 つまり、です。

 「悪口」というのは、「言われてしまった」と受け身に思うから辛くなってしまうのであって、
 「言わせてあげた」、もっと言えば「コンプレックスを解消させてあげた」と思えば、ラクにはならないでしょうか

 「自分を気持ちを軽くする材料として差し出してあげた」と、能動的に考えるのです。



 悪口というのは、言った側は勝った気でいるが、実は、言われた側の勝ちなのです
 言ってもらって、それで気が済むぐらいのことなら、ならどんどんスケープゴートにして使ってもらいましょう。
 そうすれば、いい人になれる上に、器まで大きくなるのです。
 それに、悪気がなくてつい出てしまうようなことなら、いつか本心だってわかるのです。



 あえて言うなれば、悪口は、直接言ってもらえるぐらいを目指しましょう。
 「この人なら、悪く言ってもわかってもらえる」と思ってもらえれば、しめたもの。
 必ず絆も生まれます。



 悪口は、自分から口にした時点で負けになること、人に言わせたほうが勝ちであること、
 いつも気にとめておきたいものですね。

二度目の鷽

2013年02月23日 09時32分41秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 はいはーい、「鷽→嘘」に脳内変換なんて、心の綺麗な皆様は、まさかありませんよね(笑)
 いや、こんなこと書いてる時点で、まず私がイケナイですな(*^.^*)


 嫌なことは、あんまり気にしすぎるのも良くないですね。
 ウソに引っ掛けて、好転させていきたいものです。

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雪の中野駅

2013年02月22日 05時36分58秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今更ながら、雪の中野駅の写真を載せるのを忘れてました。


 思い返せば、雪国に来たようで楽しかったです。
 私は寒がりですが、こういうレアなのは好きですね(笑)

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羽田空港国際線・展望ラウンジから その3

2013年02月21日 05時35分50秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 連日、展望ラウンジのご紹介をしてきましたが、
 いよいよ滑走路に目を向けてみましょうか。


 宝石を散りばめたような風景に、いつも嫌なことが吹っ飛びます。
 だから羽田はやめられません。

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場所。

2013年02月20日 23時02分23秒 | 青裸々日記。
山茶花の花(東京都品川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「空気」は、きれいな方が気持ちいいのは、当たり前の話ですよね。
 そしてこれは、物理的な意味でも、精神的な意味でも、全く同じことが言えると思うのです。


 さて。

 どんなに片付いた部屋でも、そこに匂いのするものがあったら、部屋中に嫌な匂いがしますよね。
 あるいは、どんなに散らかった部屋でも、掃除をしたり、窓を開けて新鮮な空気を入れれば、
 気分も良くなるのは当たり前のことです。


 あえて物質的な「空気」の話をしましたが、これもまた、「雰囲気」という意味での空気でも、同じことが言えるからです。


 その空間にある限り、どんな人も物も、漏れなく雰囲気を作る一員になるのです。
 部屋を例に出すと、カーテンの色が変わるだけで、部屋全体の雰囲気が変わったりはしないでしょうか。
 あるいは、雑然とした状態でも、花が一輪飾ってあるだけで、どこか安らぎを覚えることもあります。
 反対に、どんなに綺麗な部屋でも、そこに汚らしい服があったら、部屋そのものの雰囲気がおかしくなってしまうこともあります。

 これ、人間にも、全く同じことが言えると思うのですね。
 居心地や空気、雰囲気というのは、多かれ少なかれ、自分の影響もあるものです。
 つまり、人はいい空気も悪い空気も送り込める以上、その場の雰囲気に対しても、誰もが等しく責任を背負っているのではないでしょうか。
 そしてまた、少しでも空気が明るく、軽くなるように振る舞えればこそ、
 多くの人の居心地を気持ち良いものに出来、求められるようにはならないでしょうか
 自分がいる場所に対して、どれだけいい雰囲気にできるか、
 このことが頭にあるかないかでは、全然違ってくるはずです。


 一人ひとりが、空気を作る主役なのです
 自分の場に対する影響力の強さについて、いつも意識を持ちましょう。
 難しい言い方をすれば、自分も空気を作る構成要素だという自覚を持つのです。
 そして、そのためには、まず自分の機嫌を取り、明るさや元気をおすそ分けしていく…といった発想の大切さも、わかってくるのではないでしょうか


 「場」に対して、自分はどんな貢献ができるか。
 これば、相手や環境、気分に関係なく、いつも問われ続けていることなのです。

羽田空港国際線・展望ラウンジから その2

2013年02月20日 06時21分52秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 羽田空港の国際線の展望ラウンジを、別な向きから。


 まだ出来てから日が浅いからか、綺麗で居心地がいいです。
 早くもまた、行くのが楽しみになってます(*^^*)

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