こんにちは。
「秋葉原の通り魔事件」で、
犯人が「不細工に人権なし」と考えていた、という話がありますね。
私は「きれいごと」は嫌いなのですが、
やはりこの言葉は、いろんな意味で、間違えていると思います。
一つは、「人権なし」と言い切っている、犯人の人権感覚がおかしい。
たまたま特定の人や集団から、それも「魅力がない」などとされただけで「人権がない」というのは、
まったくもって、偏った考えと言わざるをえません。
「人権」って、そんなに簡単で、わかりやすいものでしょうか。
日本より恵まれず、でも、日本人ぐらい一生懸命な国の人たちのことを考えれば、
そんなに軽々しく口にしていい言葉とは違うと、私は思います。
そして、もう一つは。
「不細工」がコンプレックスだと強調するわりには、
克服したり、バネにしたりという姿勢が感じられないことです。
実は、私は、両親はもちろん、同級生から、「ブサイク」と言われて育った時期があります。
そして、高校生の時に、ついにコンプレックスも頂点に達し、
卒業アルバムの撮影から逃げまくったのです。
しかし、言われっぱなしなのも悔しいので、
雑誌で「小顔体操」というコーナーを見つけて、
それはもう必死にやりました
(ちなみに、9年たった現在も続けています)。
そうして続けているうちに、効果のほどはともかく、
努力するだけした、ということで、少しは開き直れたのです。
悶々とするぐらいなら、掴み返すつもりでとことんやってみればいいんです。
「人権」なんて大層な言葉を持ち出して、
いちいち考えるほうがおかしいんです。
もちろん、私も未だに自分の顔が嫌いになるときがあります。
でも、いちいち落ち込んだりまではしません。
「不細工」について悩むより、
反骨心を鍛える材料にしたほうが、
元から美形な人よりも豊かに生きられる気がしませんか。
「秋葉原の通り魔事件」で、
犯人が「不細工に人権なし」と考えていた、という話がありますね。
私は「きれいごと」は嫌いなのですが、
やはりこの言葉は、いろんな意味で、間違えていると思います。
一つは、「人権なし」と言い切っている、犯人の人権感覚がおかしい。
たまたま特定の人や集団から、それも「魅力がない」などとされただけで「人権がない」というのは、
まったくもって、偏った考えと言わざるをえません。
「人権」って、そんなに簡単で、わかりやすいものでしょうか。
日本より恵まれず、でも、日本人ぐらい一生懸命な国の人たちのことを考えれば、
そんなに軽々しく口にしていい言葉とは違うと、私は思います。
そして、もう一つは。
「不細工」がコンプレックスだと強調するわりには、
克服したり、バネにしたりという姿勢が感じられないことです。
実は、私は、両親はもちろん、同級生から、「ブサイク」と言われて育った時期があります。
そして、高校生の時に、ついにコンプレックスも頂点に達し、
卒業アルバムの撮影から逃げまくったのです。
しかし、言われっぱなしなのも悔しいので、
雑誌で「小顔体操」というコーナーを見つけて、
それはもう必死にやりました
(ちなみに、9年たった現在も続けています)。
そうして続けているうちに、効果のほどはともかく、
努力するだけした、ということで、少しは開き直れたのです。
悶々とするぐらいなら、掴み返すつもりでとことんやってみればいいんです。
「人権」なんて大層な言葉を持ち出して、
いちいち考えるほうがおかしいんです。
もちろん、私も未だに自分の顔が嫌いになるときがあります。
でも、いちいち落ち込んだりまではしません。
「不細工」について悩むより、
反骨心を鍛える材料にしたほうが、
元から美形な人よりも豊かに生きられる気がしませんか。