青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

かいかぶり。

2010年11月05日 23時05分40秒 | 雑感、雑記
走水神社の菊(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 薬を処方してもらうと、必ず注意や副作用を添えて、
 渡されるじゃないですか。
 薬はいくら強力な助っ人と言えど、
 副作用も知らずに飲んだら、
 支障が出たり体を壊してしまうこと、
 誰しもわかり切っているんですよ。
 副作用について注意を併記してもらわなかったら、
 絶対にクレームを入れに行きますよね。



 これを踏まえて。


 人に好意を投げ掛けてもらった時、
 一度は踏みにじることこそが本当の誠意なのではないかと、私は思うのです。

 一見、すごく残酷な話です。
 しかし、ラッキーと思って「そうなんですか、ありがとうございます」と言ってしまえば、
 たとえば切羽詰まった時や余裕のない時、
 人によっては「キャラが違う」時に粗が出たら、どうするんでしょうか。
 好意を持ってくれたという気持ちを踏みにじることに外ならないと、
 私は思うんですね。
 別にこれ、恋愛話ではないんですが、
 「百年の恋も冷める」って言葉、あるじゃないですか。
 ここまでの話を併せ考えると、これって両方の側に責任があるんじゃないでしょうか。


 こういうわけで。

 私は人に持ち上げてもらった時、
 裏に意図を感じようといまいと、
 なるべく「そんなことありませんよ」って返すように、気をつけています。
 それだけでなく、実際に「ダメな部分」や「褒められたりした通りの人間じゃない部分」も、
 きちんと見せるように心掛けているんですね。

 私をよく思ってくれている人には、
 「好意なりなんなりといった、純粋な気持ち」があって良く言ってもらっていると信じたいのですが、
 そう信じれば信じるほど、自分がうそくさく思えて。


 いや、こんな話ただの自意識過剰だし、
 素直に受け取ればまたよくしてもらえるから否定しなければよいのですが、
 「期待させておいて、あとで失望させてしまう」とかって、
 不誠実の極みだと思う
んですよ。


 現実、相手と楽しくやっていればよいし、
 別に難しく考える必要はないこと位、よくわかるんですが、
 やっぱり「虫が良い部分」ばかり見せるのって、
 すくなくとも私は好きではありません。



 「もっと馬鹿になれ」などと言う向きもありますが、
 結局、かいかぶられ続けていれば、
 みんな疲れてしまうんですよね。

 人間関係を楽しむためにも、
 「勝ち逃げ」はほどほどに。
 誠意がなければ、それだけ関係は希薄になる。
 人間関係にはこんな法則があると思うのですが、
 いかがでしょうか!?

自己紹介。

2010年11月05日 13時18分15秒 | 青裸々日記。
走水神社から(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 初めにお話ししておきますが、
 この投稿は「私のプロフィール」ではなく、
 「ちょっと毒舌かもしれない、自分への戒めもあってしてみたかったお話」なので、
 勘違いさせてしまった皆さん、すいません。


 ☆ ☆ ☆


 やっぱり人には好かれたいと言えど、
 そうそういつも、上手くいかないのが現実です。
 そこで、行き着いたのが「「嫌われる人の話し方」の共通点を探して、
 出来るだけそれを避ければよいのではないか!?」という考え。
 私も性格が悪いなあと思うんですが、
 こういうわけで、いろいろ「お勉強」していくと、
 少しだけ見えたんですよ、ある「共通点」が。


 …なんだと思いますか!?

 それは、礼儀として出自を明らかにする場合か求められた場合を除いて、
 自分のことは、極力話さないほうがよい
ということ。
 特に「自分の性格」や「セールスポイント」については厳禁です。

 たとえば皆さんが、築地の魚屋さんに行ったとしましょう。
 「安くて脂の乗ったサンマ、いかがですかあー!」とか、
 威勢のよい掛け声が飛び交っているわけです。
 実は意識していないものなんですが、
 そう言われた瞬間、「安くて脂が乗っている」ことは、「当たり前のこと」になってしまうんです
 なぜなら、よほど信頼できる売り手でもない限り、
 「売り文句には果たしてホントに嘘がないのか?」を、うがって見に行く節があるからです。
 誰彼構わず人の言うことを全て真に受けるなんて、
 そうそうありえませんよね。


 さて、こういう例を挙げておけば、
 「自己紹介」が「いかに痛々しく、やらないほうがよいか」の次第がわかってくるのではないでしょうか。

 「俺って優しいとこあるじゃん?」
 「私、こう見えても変わり者だから」
 「よく外見を褒められたりするんですよ」
 …まあ言うのは自由でしょう。
 しかし、毒のある言い方になりますが、
 「頼まれてもいないのに自己紹介をする」というのは、
 「実際がどうかは知らないけど、とりあえず自分をこう思ってね!」という駄々であり、押し付けです

 そして、「自己紹介」を言ってしまえば最後、
 まず、人に厳しく見られるように差し向けてしまったということで、
 「たいしたことないじゃん」という感想を持たれやすくなるリスクがグンと上がります。
 そして挙げ句の果てに煙たがられ、内心で侮蔑され、
 「話がつまらないなあ」と、「人の気持ちを大切に出来ない、幼稚な人」と言われてしまうのです。


 以上が「勉強」の成果です。

 結局、私達があてにするのは「売り文句」ではなく、
 「自分で実感する体験」です

 もちろん、人の意見は大切だし、
 素直に聞いてあげることで、あたたかいコミュニケーションが生まれることは事実です。
 誰かが「自己紹介」に走っても、それを受け止めてあげる器の大きさは必要でしょう。

 しかし、私達自身が「これこれはこういうものだ」と感じるのはどんな瞬間か!?と思えばこそ、
 せめて自分自身が「イタい人」にならないよう、注意を払うことは、礼儀だと思うんです


 少しきついお話をしました。
 しかし、これで「きついなあ」と思ったら、まだまだ甘いです。
 私が思うに、「「自己紹介的な話」が痛々しい」という陰口で実際に裏で袋叩きにされている内容なんか、
 とても話せるものではありません



 イタい人でいて、幸せになれるかは疑問です。
 相手の幸せを考えればこそ、
 口から出て、相手に届くのはどんな結果を及ぼすのか。
 結局は「相手の視点に立って、自分をモニタリングするスキル」を磨いた人は、
 どこに行っても好まれるのは、当たり前の話なんですよね。

水晶

2010年11月05日 00時50分56秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 浜諸磯の写真を漁っていたら、こんな一枚が。
 私は身につけているものを風景に絡めて撮るのが好きなんですが、
 自分の手でも、こうやって撮ると不思議にもステキに見えちゃうからおもしろいです(笑)

 こういう撮り方(というか技)、いっぱいやってみようかなあ。
 

心理学的両性具有。 その2

2010年11月05日 00時01分11秒 | 青裸々日記。
走水神社から(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 心理学の見方では、性格には「男性的なもの」と「女性的なもの」があります。
 そして、この分類こそが最近はやっている「肉食系/草食系」と相関があり、
 「その人本人の個性が大切なんだから、そんな貧しい分類、するもんじゃないよ」、
 こんな話を、以前させていただきました。


 さて、「分類すること」に関して、
 それとはまた別な話があります。

 心理学的になぜこんな分類をするかというと、
 性格分析だけのためでは、実はないんですね。
 いろいろと統計をとっていくと、
 「どちらかの傾向が強過ぎても、大問題に繋がる恐れがある」という結論が出ているんです。
 具体的には、
 ・男性的な傾向が強い→DVや家庭内不和
 ・女性的な傾向が強い→うつや心疾患
 こんなものが、代表例としてよく挙げられています。


 実のところ。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
 「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」
 こんな諺や慣用句がありますが、
 人間、なんらかのものに傷つくと、
 それが原因で、極端から極端に走りがちだったりします。
 こと人間関係に限って言うと、
 「強引な人はヤダ、優しい人がいい」
 「優しい人は頼り甲斐がない、強い人がいい」
 こんなことを言って、傷つくほどに「特定の傾向が強い人」を求めてしまう人、
 よくいると思うんですよ。
 当然、それだけ傾向がハッキリしていれば、魅力的に見えてしまうもの。
 しかし、どんな人にも粗や短所はあるものですが、
 「特定の傾向が強いがゆえの問題」が出るという計算、
 これを抜いて関わり付き合ってしまうと、
 とんでもない巻き添えに遭ってしまいかねません


 そのためにも。

 まずは、自分自身がバランス良い人間になること。
 どんな傾向も、強過ぎても弱過ぎてもよくないのであれば、
 「大胆かつ繊細」とか「怖いけどたまに優しい」など、
 人間的に幅が持てるようにすることです。
 自分自身のバランスさえしっかりすれば、
 人間関係においてもよい意味で目が肥えて、そんな「問題を起こしやすい人」と関わるリスクがグッと減ります。

 バランスを持っていれば、たとえ誰かに盲目的になったとしても、
 「特定の傾向に偏った、問題を起こしやすい人」よりも、
 「傾向とかじゃなくて、その人自身」を見ることが出来るわけです。
 ここまで来ればもう、実際に心理学では「男性的/女性的、どちらの傾向の性格も広く持っているほど好ましい」という結論が出ていること位、言うまでもないと思うんですよ。


 誰とどう付き合おうと、自己責任は自己責任。
 人を悪く見るものではありませんが、
 「問題の起こしやすさ」も引っくるめて相手を見られるか!?という度量が自分に備わっていることが、
 こと深い結び付きを望む場合、大切になってくるのです

ポイント募金で東日本大震災復興支援!