青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

言い種。

2012年04月30日 23時34分54秒 | 青裸々日記。
羊山公園の芝桜(埼玉県秩父市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 物言いのきつい人がいます。
 ちょっとしたことでも責め立てるような口調になったり、
 人の劣等感を刺激するかのごとく、見下した言い方になったり。
 そう、「そんな言い方しなくても…」ということを、平気で言ってくるわけです。
 当然、不愉快ですし、近付きたくもないと考えるのが自然ではあります。
 しかし、どうせなら波風を立てずに付き合うか、上手く手なずけたいもの。
 そこで、どうすれば「口調がきつい人」と接することができるか、
 一緒に考えてみましょう。


 ところで、皆さんとて、気分が穏やかでなかったり、ピリピリムードになること、あると思うんです。
 もちろん、もっともな理由があってこそ、きつい言い種になってしまうもの。
 ただ、そういう時はどんな心理なのか、ちょっと掘り下げてみたいんですね。

 きつい口調になる時。
 それは、言っている内容そのものというより、実は「心境をわかってほしい」という向きが強いことがほとんどなのです。
 皆さんも経験があると思うんですが、言っていることになかなか聞く耳を持ってもらえないほど、口調もきつくなったハズです。
 そして、「言っていることそのもの」というよりも「こちらのもどかしい心境」をわかってほしくなった、
 こんな気持ちになっていたと思うんですね。

 しかし、だからといって「わかってほしいというのはわがままだ」と言いたいのではないのです。
 その「きつい物言い」自体は、相手の理解を得るための、やむを得ない理由があってこそのもの。
 自分に余裕がない中、一人で一から十までかみ砕いて話し合うのは無理がありますし、そもそも話の本題はそこではありません。


 私が言いたいのは、「自分を省みれば、相手の心理もわかるんじゃないか」ということ。
 つまり、きつい物言いをしてくる人は、必ず繋がりや共感を求めている、つまり「わかってほしいところ」がある、
 冷静に考えれば、こんな見方が出来るハズなんです。

 キツい言い方は、テストのヤマのようなもの。
 学校の先生が重要な部分を「はいここテストに出ますよー」というように、
 言い種のひどい人も、「この気持ちをわかってほしい」、あるいは「あなたとのつながりが欲しい」という気持ちが人一倍に強い、と宣言しているに等しいのです。


 言っている言葉だけが、すべてではないのです。
 それが分かったとき、きっと人間関係にレベルも上がっています。

ソーシャルテンプレート

2012年04月30日 12時04分58秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 1か月くらい前から、gooブログでは「ソーシャルテンプレート」というデザインが始まりましたよね。
 ツイッターなどとの連携がしやすいように作られている新感覚のテンプレート、
 洗練度もピカイチですし、私も使ってみたい気がします。



 ただ…、

 当分は見送るつもりでいます。

 まず、カラーバリエーションがないこと。
 実は、パソコン版ももケータイ版もテンプレートはオレンジで統一しているのですが、
 ソーシャルテンプレートの場合、選択の余地がないんです。

 そしてなによりも、「写真のブログ」だと勘違いする人が増えること。
 このブログの読者さんは、「文章と写真、両方に力を入れている」とわかって下さる、
 言い換えれば「ブログの趣旨や信念」がわかるお目の高い皆さんが多いと思うのですが、
 ソーシャルテンプレートだと、写真が強調されてしまうんです。
 「楽しく文章を読んでもらいたい」と思って載せている写真も、誤解の原因になっては、
 文章、ひいてはブログのシステムが泣いてしまいます。
 つまり、ソーシャルテンプレートだとなんだか文章が置いてけぼりみたいになり、
 「ただの写真ブログ」と見られて、ひどい場合だと「写真に「だけ」力を入れている」と誤解する人が多くなるんじゃないかと(←実際ありました)。
 あくまで文章あってのブログなのに、正直、心が痛むんです。


 だから、ソーシャルテンプレートは見送りしているんです。
 無理に変える必要はないんですが、新しがり屋なのと、洗練度も重視する性格なので…、

 わがままといえど、なんとか私の希望にかなうテンプレートになっていけばと思います(笑)

羊山公園の芝桜

2012年04月30日 11時21分49秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、埼玉県は秩父市の羊山公園に行ってきました。

 羊山公園は芝桜の名所として全国的にも有名で、
 多くの人で賑わっていました。
 さすがにこんなカラフルの絨毯に囲まれては、幸せにならざるを得ません(笑)


 秩父は自然もいっぱいで、駅の行き帰りでもたくさんの自然がありました。
 とりあえず例年通り、よく撮れたので満足です。

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心を褒める。

2012年04月30日 00時42分05秒 | 青裸々日記。
石南花(しゃくなげ、東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 外見がいい人の中には、「きれいですね」と言われ続ける内に、「それしか言ってもらえない」と、悲しんでしまう人がいるようです。

 「なんてぜいたくな」、と思う人はいると思います。
 だいたい、悪気どころか素直に褒めようとしたのに不快な気分になられたら、
 理不尽さすら感じるかもしれません。
 でも、この場合、「褒める側」にも、実は問題があるのです。


 外見を褒めるというのは、実はある意味、すごく簡単なんですね。
 「容姿が整っている」だけなら、お人形さんだっていいわけです。
 つまり、「きれいですね」だけだと、悪く言えばどんな心を持っているかを見ていないということにもなってしまいかねないのです。
 「心まで踏み込んで見ていない」ということは、相手との距離がある何よりの証拠になってしまう。
 だから、冒頭の「きれいだね→悲しむ」という図式が出来上がってしまうのです。


 外見に限りません。
 服装にせよ、デザインにせよ、いわゆる「ぱっと見」でわかるものに対する感想なら、誰にだって言えます。
 しかし、その「ぱっと見」を良くする裏には、ものすごい心血が注がれていることは少なくありません。

 「見た目」を磨くのには、必ず理由があります。
 その理由というのも、「ただチヤホヤされたい」我欲だけではないハズです。
 一緒にいる人、周りにいる人の居心地を良くするためかもしれないし、
 親しみやすさ、あるいは清潔感を考えているからかもしれません。
 つまり、きちんとした目的、言い換えれば素晴らしい精神があるからこそ、外見も素晴らしいということ
 ここまで踏み込んで考えることが、人との距離を作らないコツなのです。
 美しい目的から、美しい外見が生まれているということ
 この理解があるかないかでは、同じ褒めるでも、相手の反応は全然違ったものになってくるのです



 見てくれそのものではなく、その見てくれはどこから来るのか、めんどくさくても考えることです
 その努力が、人を喜ばせるばかりでなく、自分の洞察力を伸ばす鍵になるからです


 どうせ人を褒めるなら、貪欲になりましょう。
 見てくれを褒めるのはいつだってできますが、そこに潜んでいる心は、相手といる時しか感じ取れないのですから。

いつまでたっても告白してこない男性に仕掛けるアクションランキング - gooランキング

2012年04月29日 23時53分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。




 「いつまでたっても告白してこない男性に仕掛けるアクション」…だそうです。

 いつまでたっても告白してこない男性に仕掛けるアクションランキング - gooランキング



 いやいやいやいや、これ、意図があってやっているか、わからないものが多すぎませんか!?
 たとえば…
 「ボディータッチ」→別に普段からよくやっている
 「距離を置く」→元々マイペースで、干渉されるのが嫌い
 …とかっていう人も、たくさんいるんですよね。

 「好かれている」とか、勘違いであることも多いもの。
 あまりこういうことは意識せず、誰に対しても自然体でありたいものです。




銭湯

2012年04月29日 21時53分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 疲れがよくよく溜まっていたので、銭湯に行ってきました。

 前々から行きたかったものの、「まだまだがんばれる」と押し切っていただけに、
 湯舟を出てからの体の重さったら、もうありませんでした。
 地球の重力ってこんなにすごかったのか、と思ったぐらいですもん(笑)


 未だに心地好いけだるさがあります。
 今度は溜め込まないように気をつけまーす!!

なでしこ

2012年04月29日 11時59分52秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 気がつげば、撫子の季節。
 昨日、公園の花壇を見て「ビオラかペチュニアだろう」と思っていたら、
 実は撫子だったという。
 なんか愛嬌があって好きですね、この形。


 ちなみに最近、「なでしこジャパン」がよく話題になりますが、
 私は明るく頑張るなでしこジャパンを尊敬しています。

 写真とは関係ないんですが、やっぱり書きたくなっちゃいました。
 スミマセン…(笑)



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総合レクリエーション公園のハナミズキ

2012年04月29日 11時12分34秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 江戸川区の総合レクリエーション公園には、立派なハナミズキがあります。

 葛西臨海公園からバスで戻っていた時、車内からこのハナミズキが見えて、
 衝動的に降りたのが、このハナミズキとの出会いでした。
 前にも書きましたが、実体験を重ねて聴いてしまうのもあって、私は一青窈の『ハナミズキ』が大好きなんです。
、それもあって、いい感じのハナミズキを見ると、ついつい追いかけてしまったり。


 いい花を付けて、見事に咲いたハナミズキ。
 総合レクリエーション公園はたくさんの花や施設があるので、
 近くの方は、よかったらお立ち寄りくださいね。

アドバイスと完璧主義。

2012年04月29日 00時45分05秒 | 青裸々日記。
菖蒲の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 メンタルヘルスや自己啓発の本を読むと、かえって精神衛生が悪くなる人がいます。
 さて、そんな人の特徴とは、一体なんだと思いますか!?

 …それは、「書いてあることに忠実すぎる人」なんですね。
 人間、みんな個性があります。
 ということは、書く側にも読む側にも、それぞれの個性や価値観があるということになります。


 個性や価値観が違う同士なら、意味が合わないこと、言っている意味が噛み合わないもの、
 こういったすれ違いが出てきますよね。
 つまり、どんなにありがたい話や知恵であっても、納得できない時は納得できなくて当たり前なのです。

 にもかかわらず、納得がいかないことまでも、完璧にこなそうとするわけです。
 でも、しっくりと来ないことを延々続けて、それで一体、何が得られるのかは、私には疑問なわけです。
 仕事でも趣味でもそうですが、自分のやっていることにどんな意味があるかがわかって、はじめてやり甲斐や味わいも出てくるというものです。
 サッカーの練習ひとつ取っても、ただボールを蹴るだけならつまらないものですが、
 「これでアシストがうまくなる」、「相手からボールを守れる」、「シュートやパスの成功率が上がる」とわかれば、
 意欲もやり甲斐も、俄然違ってくると思うのですね。
 それもわからずに、ただ機械的に右から左へとこなすことに、
 一体、どんな意味があるのか、はなはだ疑問だというのが、私の正直なところなのです。

 もちろん、「やってみて初めてわかる」ということがあるのはわかりますが、
 あくまで「そういう場合もある」ということで、「全部が全部」ではないのです。
 全てを無理をしてまで従う必要はないのです。


 アドバイスにせよ、アイデアにせよ、名言にせよ、
 全部を納得する必要はないのです。

 大切なのは、「アドバイスをいかに守るか」ではありません
 アドバイスは「どう守るか」が肝要なのです
 活かせるなら活かせばいいし、
 「自分には合わないな」と思ったら、納得できる範囲で動いていればいい
のです。


 食べ物の好き嫌いやゲームのプレイスタイルがみんな違うように、
 「自分に合わないやり方」というのは、必ずあるのです。
 だからこそ、自分の性に合う部分からやることが大切なのです

チューリップ

2012年04月28日 11時21分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日は公園の花壇に咲き誇る花たちを撮りましたが、
 今日はチューリップをフィーチャーした写真を載せてみます。

 チューリップって、なんか一輪でも群生している感じでも、映える花ですよね。
 咲いているうちにたくさん撮れればと思っています。



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夜風に吹かれて…

2012年04月27日 23時09分19秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 あんまりこんな趣味はないんですが…、

 夜風に当たりながら、軽く飲んでいます。
 特に理由はないんですが、なんとなく、ね。


 ほろ酔いは気持ちいいです。
 お酒には強いほうだし、たまにはこんな息抜きもいいかな、って思います。

 ま、お酒は趣味じゃないけど…(笑)

根性。

2012年04月27日 23時00分40秒 | 青裸々日記。
錦糸公園の八重桜(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 私は個人的に、「根性」という言葉はなるべく使わないほうがいいのでは、と思っています。

 「根性」とは、言い換えれば「我慢」です。
 要するに、何かをなしとげるために、自分の欲を抑えることを、
 「根性」とか「我慢」とか言うわけですが、
 この「根性」という言い方が問題なのです。

 人間、我慢をしすぎると、どこかで自分を抑え切れなくなって爆発してしまいますよね。
 爆発しないためには、たまに押さえ付けていた気持ちを解放しなくてはいけません。
 つまり、「我慢」一辺倒ではいけないのです
 しかし、その「我慢ばっかり」を美化するのが、「根性」という言葉なのです
 しかも、です。
 「我慢ばかりではいけない」というのには、「いつか爆発してしまう」以外にも、実は大変な危険をはらんでいるのです。


 我慢をするというのは、つまりは自分に嘘を付く、自分を騙すということです。
 そうやってあるがままの心や感性がなくなると、心が死んでしまいます。
 その死んだ心から、果たして綺麗な言動なり作品なり、あるいは奉仕が生まれるとは、
 私は到底、思えないのですね


 我慢や根性は、一時的に出すから有効なのです
 ひどい人になると、自分が我慢をしているのかどうかもわからなくなり、
 そのくせに、人には根性論を押し付ける、ということを平気でやってきます。

 本当は、何をする時でも、根性からではなく、素直に楽しむ心から取り組んだほうが、
 感性が鋭くなりますから、意欲や成果も出やすいのです。
 ただ、いつも絶好調とはいかいかもしれない。
 だから、その時にはじめて根性を発揮すればよいのです。
 根性というのは、素直な心や感性が思わしくない時をサポートするためのものだからです。


 根性は、あくまで脇役です
 主役は、あなたの心です
 素直な心を支えるために、たまの根性が必要になるだけで、
 根性ばかりでは、限界との戦いにしかならないのです



 根性ばかりで生きてきたという皆さん。
 根性は楽しむくらいで出すのが一番です。
 悲壮感満載の根性は、もうやめにしませんか。

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