青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

バカになってみる。

2013年04月30日 23時29分11秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 あまり綺麗な言葉ではありませんが、「バカ」という言葉は、よく目にしたり、耳に入ったり、
 あるいは使ってしまったり・・ということがあると思います。

 「バカ」というのは、簡単に言うと「考える力がない」ということです。
 たまに「知識」を頭の良さのバロメータだと考える人がいるものですが、
 ただ単に物知りで覚える力があることと、知識を実際に使えることとは、全く別の問題です。
 知識も大切ですが、本当に頭がいい人というのは、知識がなくても知恵や洞察力を働かせて、
 結局は自分で物事を練り出し、知識がある人と同等かそれ以上くらいまでの力を付けてしまうもの。
 いずれにしても、「観る力」や「考える力」、「頭を早く回す力」があればあるほど、「頭がいい人」ということになるのは、間違いないようです。
 そしてまた、頭がよくなれば、できることや、見えるものも違ってきますから、
 みんながみんな、考える力をつけようつけようと、必死になって頑張っているわけです。




 しかし。
 ここに、落とし穴があるのです。

 車でもなんでも、一日中、モーターをブン回していると、必ず金属疲労が出てきます。
 だから、そんなことがないようにちゃんと休ませるから、トータルとして、長い間使いつづけることができるんです。
 しかし、人間の頭は四六時中働きっぱなしです。
 頭が回っているのは、「脳を鍛えよう」と、意識して頑張っている間だけでなく、
 普通に日常生活を送る中で、意識的にせよ、無意識でやっているにせよ、
 色々な所が働いているんです。

 思考力を磨くのは、大いに結構かもしれません。
 しかし、頭を使い、鍛えるなら、こんどは休ませ時を考えなければいけません。
 さっきのモーターの話じゃないですが、頭がくたびれてしまっては、無意識的に使っている能力にまで支障が出て、当たり前のことすらできなくなる場合だってあるのです。


 「頭を休ませる」というと抽象的ですが、頭の回転数を下げればいいのです。
 なんとなく何にも考えずに、テキトーに過ごせばいいのです。

 そうすると頭が休まって、思考力にも締まりが出てくるのです。



 「バカ」は、頭をよくしたい人ほど、意識的にやってみたほうがいいのかもしれません。
 人間、バカになれなきゃ、頭もよくならないのです。

菜の花畑

2013年04月30日 05時32分17秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、昭和記念公園に行ってきました。


 たくさんの花が見頃で、咲き誇っているとのことでしたが、
 なんとまあ、初春に見かけた菜の花が、まだまだわんさか咲いているではありませんか!
 見ていて癒されました。


 私はどうも、菜の花っていうとこの歌が浮かびます。
 

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騙される知恵。

2013年04月29日 22時53分51秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人を見抜くこと、真実と嘘を見分けることは、大切です。
 何でも疑うことなく全てを信じると、たとえ相手に悪意がなくても、間違えた方向に行ってしまうことがあるからです。


 ただ、ここに落とし穴があります。
 「見抜くこと」が大切だからと、いちいち人の嘘に突っ込んだりする人がいますが、
 はっきり言えば、それは間違いです


 「嘘も方便」といいます。
 上手く嘘をつくことで、体よく場を纏めたり、つまらないすれ違いを減らすことができる、
 こんな例えを謡っているわけですが、ここで立ち止まって、考えていただきたいのです。
 たとえば、せっかくその場を繕っている最中に「えっ、それは嘘でしょ?」と、
 「嘘を使って、丸く収めようと頑張っている人」に言葉を投げつけたら、どういうことになるかは、明らかだと思いませんか。
 そりゃあ、「嘘」はないに越したことはないかもしれませんが、
 場を丸く収める努力をしている人に、いちいち嘘だなんだと突っ掛かるのは、見方によってはただの揚げ足取りであり、因縁でしかないのです。


 そうなんです。
 「嘘がいいか、悪いか」といえば、あまり「良い」とは言えないかもしれません。
 しかし、「嘘をついてでも、場を暖かくする配慮、人を傷つけまいとする気持ち」というのは、
 必ずしも責められるべきものとは限らないのではないでしょうか。
 もちろん、毒入りの食べ物を「安全ですよ」と言うような、直接損害を与える嘘、不幸に繋がる嘘は、厳に慎むべきでしょう。
 しかし、お世辞に代表される、誰も傷つかないような伝え方があるなら、相手を喜ばせようとする前向きな気持ちから出たものですから、
 それは嘘であろうが、見破られようが、全く構わないのではないでしょうか。

 そしてまた、相手の言っていることが疑わしくても、どうしてそうまでして気をつかってくれているのかを汲むことです
 「見破った」「見破れなかった」という次元で人を見るのは、程度の低い話です
 上手く乗せられつつも、「この人の心はこんななんだろう」と、気持ちを分かってあげるところまで出来て、はじめて「見抜いた」ことになる
 そして、わかっていながら、「そういう気持ちなんですね」と心でつぶやきつつ、わざと騙されてあげる、
 ここまでするのが、本当の思いやりではないでしょうか



 「嘘も方便」というのは、騙される側の言葉です。
 自分に被害がないなら、相手の幸せを望むなら、
 たまには相手の嘘を許してあげる度量が大切です。

新緑

2013年04月29日 06時39分50秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 日に日に、緑が萌えてきてますね。


 こういう若葉を見ると、なんだか爽やかな気分になります。
 ただの葉っぱでも、元気だと絵になるものですね。

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「怒り」は通訳できます。

2013年04月28日 22時22分26秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「怒りは感情の蓋」と言われます。
 これは心理学やカウンセリングから来た金言のひとつで、
 「どんな人でも、表面上は怒っているように見えても、その下には、本当は別な思いや気持ちが隠れているのですよ」という意味なのですね。
 怒っている人は、必ず理由があってやっているのです。


 これ、一見、納得がいかない人もいるでしょう。
 たとえば、自分勝手な人、自分に酔っているだけで力のない人が、「誰も自分の真価をわかっていない」と当たり散らしたら、
 「なんだい、自分のことを鏡で見たことはないのかな?」と、こちらこそ怒りたくもなりますよね。
 でもこれ、「正しい理由」がなくても、「怒り」には下敷きとなる感情があるのです。


 さて。
 皆さんは、満たされない思いがあるとき、どんな気持ちがするでしょうか?
 邪険にされたり、聞く耳を持たれなかったりしたら、どんな気持ちになりますか?

 ・・・それが、答えなんです。

 「怒り」は、こちらの期待や願望を理解されなかったり、あるいは受け止めてもらえなかったりすると出てくる態度なのですね
 つまり、「わかってほしかった」「してほしかった」というような、
 悲しみや無力感を表現するために、「怒る」という態度に出るわけです



 怒りっぽい人、ちょっとしたことですぐに「キレて」しまう人というのは、
 裏を返せば、普段からいかに満たされていないか、人に分かってもらえていないか、我慢を強いられてきたか、
 これらのやる瀬ない思いを受け止めて下さい、どうにかして下さいと、
 心の中で言っているようなものなのです。


 もちろん、怒りを抱えた人を目の前に、見抜くのはまだしも、適切に対処するのは難しい場合もあるでしょう。
 怒っているのが自分の側だったとしても、やはり、強い感情はコントロールしがたいのが、現実だと思います。

 しかし、一歩下がったり、「ほとぼり」がさめた後なら、
 そこにあった「怒り」にどういう経緯があったのかを見ることで、開ける道もあると思うのですね。
 そして、その見抜く力を付けることこそが、人間としての器量を育てることにも繋がるはずなのです。



 繰り返しますが、「怒り」は、満たされない思いが具現化したものです。
 何が満たされなかったのか、何を我慢してきたのか。

 それを理解し、受け止めさえすれば、全ての怒りは収まるのです。

亀戸天神社の藤 2

2013年04月28日 09時59分55秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今日もまた、亀戸天神社からの写真です。


 スケッチというか、絵葉書風に撮ってみた一枚なんですが、
 藤って、構成のセンスが試されますよね(笑)


 藤にはもう少し、鍛えてもらおうかなと思います(*^_^*)


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自分とつながろう。

2013年04月27日 23時43分19秒 | 青裸々日記。
ウコンザクラの花(埼玉県秩父市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 自分のことは、自分が一番よく分かっている、
 そう思う方が、大半かもしれません。

 しかし、自分が一番よく分かっているのは「つもり」の話で、
 実は、自分自身が自分をよく分かっていないということも、本当はよくある話なのです。


 自分の気持ち、自分の意見、自分の理屈。
 これらをいつも正確に把握することは、ほぼ不可能に等しいのではないでしょうか。
 なぜなら、いつも自分のやっていることを、自分自身がモニターを見て監視できるわけではないからです。
 そして、もっと言うと、自分自身の気持ちや考えだって、
 なんらかのボルテージが上がったり、動揺したり、エスカレートすれば、
 コントロールが効かなくなったりもするわけです。
 よく「自分を見失う」とか言われますが、この「自分自身をコントロールできない」というのが、「自分を見失う」ことの原因にはならないでしょうか。
 なんでもそうですが、コントロールをするためには、感覚を掴み、精通しておくことが必要だからです。



 さて。

 自分を見失わず、しっかりコントロールしていくには、どうすればよいのでしょうか?


 それは、「抑圧」をしないことなのです。
 「抑圧」というのは心理学用語でもあるのですが、簡単に言うと、「自分の本音を押さえ込んだり、感じないようにしておく」思考のことを指すのですね。

 これ、たしかに、気持ちを押さえ込むことで、自分の情けなさを感じずに済ませたり、気持ちを隠して事なきを得たりと、
 その場では凌げるかもしれません。
 しかし、自分を押さえ込んでいるうちに、何が自分の本音なのかがわからなくなる
 そして、自分の本音がわからなくなると、今度は自分を見失い、自分をコントロールしずらくなってしまうのです
 これ、間違いなく、つらい話であり、不幸なことだとも思うのです。


 逆に言えば、本音を覆い隠すような真似さえしなければ、自分をコントロールしやすくなるのです。


 世の中、打たれ強さや前向きさ、特に男性であれば「男らしさ」が求められてやみません。
 しかし、スーパーマンはいないのです。
 人間であるということは、誰もが弱さや情けなさと共存していくということでもあるのです。


 どうか、自分の本音を、粗末にしないでいただきたいです。
 それが自分を守り、癒していき、人の幸せにも繋がっていくのですから。

亀戸天神社の藤

2013年04月27日 12時25分39秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、亀戸天神社の藤まつりに行ってきました。


 読売新聞の記事で、今年は早咲きだから早めに観た方がいいよっていう記事があり、
 急いで行ってきた感じです(笑)


 なんかこう、藤って、観ていて和みますよね。
 優しい感じがするっていうか。

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自分を責めるフィルター。

2013年04月26日 19時31分26秒 | 青裸々日記。
芝桜の花(埼玉県秩父市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人からの批判や文句は、自分がそれに同意しない限り、自分を傷つけることはありません。


 簡単な例を出しましょうか。
 汚い言葉で、「バーカ」とののしってくる人がいたとします。
 その時なんですが、自分をどう思っているかで、受け止め方や傷つき方も違ってくるのですね。
 自分を愚かだと思っていればいるほど、自分を攻撃する言葉を聞くと「その通りだ」と反応し、心が傷ついてしまうのです。
 反対に、「馬鹿ではないよ」と思っていれば、傷つくこともなければ、反応したり意識することもなく、
 むしろ、「人に毒を吐くなんて、かわいそうな人なんだな」と、憐れんであげることすらできるのです。



 ただし。

 これ、単純なようですが、あながち単純とは言い切れない部分があるのです。
 たとえば、先を読む力や人を察する力がまだまだの人が、「自分はアタマがいいから」と踏ん反り返っていては、
 思い込みと実態が一致しませんから、物事の回転が鈍くなるわ、人からは疎まれるわで、
 そしてまた、向上もおぼつきません。


 ただ、「自分を責めれば辛いけど、批判的に見なければ改良できない」ということになる。
 これ、どちらも嫌ですよね(笑)
 というわけで、どこが間違っているのでしょうか?


 自分を責めないことと、向上心を持つことは、本当は全く別の問題なのです
 自分を責めないでいると、批判や文句は「提案」に聞こえるのです
 しかし、人間は完璧ではありませんから、どこかで自分を責めたり、罰したりしています。
 あるいは、たまに慢心をして、自分に酔いしれなければ、人生、やっていられないということもあるでしょう。

 しかし、自分を責めたりするだけ、余計に心の負荷がかかってしまう。
 それを軽くするために、自分を肯定的に見るのです。
 だから、自分を責めないことを、怖がることはないのです。


 自分を責める声は、自他ともに多く飛んでくることがあります。
 しかし、その全てを受け入れる必要もなければ、力を与えることもないのです。
 それに、批判の全てが的を射たものとも限りません。



 自分を責めると、耳が、心が、歪みもしてしまいます。
 変なフィルターは外したほうが、世界が綺麗に見えるものなのですよ。

羊山公園2

2013年04月26日 09時31分01秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 羊山公園、その2です。

 私はカラフルな感じが大好きなので、つい毎年、出掛けてしまいますね(笑)
 芝桜に限らず、これからどんどん色々な花が咲き始めるので、
 楽しみです(*^_^*)


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羊山公園

2013年04月25日 06時40分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 昨日の満載の芝桜は、秩父市の羊山公園で撮ってきたものでした。


 私が行ったのはちょっと前の満開になる前だったので、
 なるべく多く咲いている場所を選んで、撮ってみました。
 今頃はじゅうたんみたいになっているのかな~(*^_^*)


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「趣味」。

2013年04月24日 21時09分28秒 | 青裸々日記。
鈴蘭の花(埼玉県秩父市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「趣味」というと、一般には「生業(なりわい)ではなく、楽しみとしてやっていること」を指しますよね。
 その「趣味」なんですが、もう少し深いところから、一緒に考えてみたいと思います。



 「趣味」という言葉は、「好み」とか「センス、感覚」という意味でも使われます。
 「趣味がいい」というと、単純にセンスがあるという場合もありますが、
 人に対する物腰が良いとか、気づかいができるとか、心が美しいとか、
 その人の「姿勢」がなっていて素晴らしいという様を指して、「趣味がいい」と言われることもあります。


 さて。
 「趣味」とか「好き」にも、深さや角度は色々あるのです
 たとえば、一言に「ケーキが好きだ」と言っても、形が好きなのか、味が好きなのか、個人的に食べるタイミングがあって、その時が楽しみだという意味で言っているのか、
 ちょっと考えれば、たくさん挙げられますよね。
 また、「どれくらい好きか」というのも、人にもよれば、時と場合にもよる場合があるでしょう。

 そうすると、いくら「見た目では趣味が同じ」といっても、
 それだけでは噛み合わないことだって、十分にありえるわけです。



 反対の場合もあります。

 「見た目の趣味が違い」という場合でも、取り組み方や意識のレベルが同じなら、
 お互いがお互いに、相通じるものを見出だし、楽しい関係を育めるということだってあるのです。


 お分かりになったでしょうか。

 「いい趣味をする」というと、カッコいいもの、流行っているもの、受けが良さそうなものを選ぶ…という意味で考えがちです。
 しかし、「いい姿勢で取り組み、人を明るく元気にする」から、何をやっても「いい趣味」に見られるのです。
 格好だけで何をやっても、元の姿勢がなっていなければ、絶対に幸せはおぼつきませんし、好印象を得るなど、増してとんでもない話になってしまいます。


 「大は小を兼ねる」と言われます。
 趣味は、いくらでも磨いたほうがいいのです。
 そうしたら、きっとより多くのことに、前向きに取り組めます。



 趣味のいい人には、趣味を変えることでなれるとは限りません。
 人間性を高めるから、趣味の楽しみ方がよくなっていく、
 このあたりを、噛み締めて考えたいと思うのです。

芝桜2

2013年04月24日 06時32分59秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今度は、わんさか咲いた芝桜。
 すき間がないくらいですよね(笑)


 満開の時期ではなかったのですが・・・、
 どこで撮ったかは、また後日(^^*)/


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チューリップ

2013年04月23日 05時46分10秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 チューリップも、どんどん咲いてきていますねえ。


 どの花も、暖色系なのがなんとも(*^_^*)
 たくさん咲き乱れたところにも、行ってみたいと思います!



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鈴蘭

2013年04月22日 05時35分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 鈴蘭が、あちこちで咲きはじめました。

 鈴蘭って、なんかの幸運の象徴かなんかでしたっけ。
 だからか、たくさん撮りたくなったりで。
 花弁の緑色が、かわいい感じですよね。


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