青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

『あきらめましょう』

2011年07月31日 23時02分33秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 
 最近ふと気になって、よく聴いているのがこの「パッパッパラッパッ」です。
 前向き一本槍とか、そういうのも限界があるよねー!って。
 体育会系の人ってニガテなんですよ、私は。
 だからこういう曲があると、なんだかリラックスできます(笑)


 いい曲は本当にいつまでもいい曲です。
 テキトーにあきらめて、テキトーにがんばっていきますヾ(*^▽^*)o

本当に「できたはず」か!?

2011年07月31日 22時34分29秒 | 青裸々日記。
レインボーブリッジから(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「もっと上手くできたはずだった」。

 がんばってきたことの結果が、思わしくなかった時。
 あるいは、誰かのために動いたのに、すれ違ってしまったり、気持ちが届かなかった時。
 こんな時に、つい後ろを振り返って「あそこをああしていれば」と、
 罪悪感や無力感、あるいは後悔にさいなまれてしまうことがあります。
 中には、自分を責め出して止まらなくなってしまう人も、多くいるのではないでしょうか。


 しかし、そういう時ほどちょっと冷静になって考えてみていただきたいのです。
 タイムマシーンがあって、その「まずいことをした場面」に戻ったとします。
 そうすれば、たしかに失敗は防げるかもしれない。
 でも、やり方を変えたからといって、あるいは努力を多く積んだからといって、
 必ずそれが成功するとは限らないのです。


 誰だって、最初から成功する方法がわかっていれば、
 それをやっています。
 わざわざ「自分から失敗しよう」なんていう人は、
 少なくとも後悔はしません。
 それに、「全力を尽くせなかった」としても、
 「全力を尽くす」ということ自体、そもそもどこか無理があると知る必要があります。
 どういうことかと言うと、マラソンだって42.195kmを全力疾走する人がいないように、
 すぐに結果が出ないものほど、自分なりにペースを考えて、やりやすいリズムで力を注いでいくものです。
 そこを、「全力を尽くせなかった」と言っているのは、
 「マラソンで全力疾走できなかった」と言っているのに等しいのです。


 人間の心理として「逃した魚は大きい」と昔から言われていますが、
 心理学でもこれは「心理学的リアクタンス」と呼ばれ、
 「自分が手にできなかったものほど、魅力的に見えてしまう心理」と、きちんと定義されています。
 つまり、「出来たはず」というのは、人間なら誰しも思う妄想のことを指すのです。
 いろいろ考えたって、そんなにいつも立派にこなせるほど人間は完璧でもないし、予知能力なんていうものもないのです。


 そう、人間は完璧ではないのです。
 それを、あたかも自分が完璧な人間だったかのように考えるから、
 余計にしんどくなるのです。


 だた、「動かせるのは、今、この瞬間だけ」と言っても、
 頭でっかちは傷口を深くする元になっていきます。


 いくら後悔したっていい。
 後悔しながら、また出来る範囲で、完璧でなくとも、少しでも力を出していく。
 それで十分なのではないでしょうか!?

メロン

2011年07月31日 17時50分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日、メロンが安売りしていたので、
 勢いで買ってきました。
 なんかこう、ビタミンがないと良くないなあ…ということで、
 お肉も野菜もバランスよく、というのが私のこだわりだったりします。
 これがわからない人とはケッコンしないゾ(←クレヨンしんちゃん!?)


 見切り品でもなんでも、どちらかに偏らなければ勝ち。
 一人暮らしなのでおいしく安く、栄養バランスも含めて、
 食事も楽しんでいきたいです。

お台場海浜公園

2011年07月31日 10時10分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 さすがは夏の時期、屋形船が多いのですが、
 このお台場海浜公園にもたくさんの屋形船が集まっていました。
 節電の影響もあってか、夜景の中ながらとても日本的で幽玄な雰囲気が出ています。


 ちなみにこれ、私の自慢の一枚だったりします。
 これでブログのアクセスも上がればなあ…なーんて(笑)


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揉みほぐし

2011年07月30日 23時16分06秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 毎日お風呂でリンパ腺マッサージをやっているんですが、
 今日は少しでも老廃物を流せればと、リンパ腺以外にもいろいろと身体を揉みほぐしたんですね。
 そしたら、すごくリラックスできました。


 やり過ぎは良くないですが、
 元気でいるためにも、普段のトレーニングと併せて、たまにやってみようと思います。

大国魂神社

2011年07月30日 22時25分51秒 | 雑感、雑記
※μtough-6020で撮影

 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日、府中にある大国魂神社に参拝してきました。
 去年の10月にも参拝しているんですが、その時は工事をしていて…。
 で、ふと気が向いて行ってみると、なんとも立派に再建築されていたのでした。
 

 なんでも御鎮座1900年ということで、記念事業だったとか。
 長くかかりそうに思っていただけに、すごく驚き、感動しました。

 日頃の感謝と将来への熱い願い、
 大切にしていこうと思います。
 

幸福論。

2011年07月30日 19時15分46秒 | 青裸々日記。
江戸風鈴(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「幸せ」の本質って、実はものすごい簡単なものなんです。

 「幸せ」とは、「ちょっとでも上」のことです。
 人間が「幸せ」と言う時は、必ず「下のものと比べた結果のこと」と言えます。
 どんな例を出しても結局は「自分が上だから」になるのですが、わかりやすく例を出してみると
 ・粗食でもごはんがおいしくて幸せ→粗食すら食べられないよりは良い
 ・挨拶だけでもしてくれる人がいて幸せ→100人に100人から無視されるよりはありがたい
 ・生きていて幸せ→命があるだけマシ
 …と、どんな場合でも必ず「これよりかはいいだろう」と比べればこそ、
 「幸せ」を感じることができるのです。
 逆に言えば、比べる対象を低くすればするほど、幸せもたくさん味わえるわけです。


 人間が向上心を持つのも、後ろ向きな考えを嫌うのも、
 要は「未来の時点から見て、「昔より良い」と幸せを味わいたいから」ということに集約されるのではないでしょうか。
 あるいは、「他人の不幸は蜜の味」と言われるのも、
 人が苦しんでいるからこそ、自分の平和な暮らしが否応なしに浮き彫りになってくる、
 こういう側面があるからではないでしょうか。


 ただし、ひとつ言っておきますが、
 「幸せを味わうために、人を出しに使う」のは、長い目で見れば間違えています。
 成長がないからです。
 成長がなければ、過去の自分と比べても幸せを味わえない。
 そこで、幸せを味わうには、常に見下す人を探して回るしかなくなってしまうのです。
 それも、周りに人がいるうちはよいのです。
 しかし、比べる相手がいなくなった途端、不幸の底無し沼にはまってしまいます。
 こういうわけで、人が去る前に「人を出しにして幸せを味わうのはやめにしよう」と気づいたほうがいいのです。

 反対に、「他人のことを慈しみ、自分で成長して上を目指す人」は、
 比較対象が自分ですから、いつも幸せを味わう対象がいることになります。
 しかも、いつも幸せなんですから、
 人を傷つけるばかりか、自分の中で幸せな世界を作っていけますから、
 人に対しても優しくなれるし、幸せも分けてあげられるのです。



 おわかりいただけたでしょうか。


 結局、幸せは「どこと比べるか」で決まるのです。
 だからこそ、人にどうこう言われようが、状況や環境がどうであろうが、
 「幸せかどうか」の差は、「自分がどこと比べてどう思うかの差」でしかないのです。
 そして、比べる対象を誤ると、どんなに恵まれていても、不幸な世界が延々と続くことになってしまうのです。


 「幸せ」の正体が「比較」だとわかったら、
 そう簡単に不幸癖は付きません。
 「幸せ」の幅が広げるほど、不幸から抜け出すのが簡単になるのです。

レインボーブリッジから

2011年07月30日 05時55分51秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 レインボーブリッジのお台場側は、緩やかな坂になっています。
 しかも曲線なので、切り取る角度によっていろんな表情を見せてくれます。


 こちらはまあ無難な絵ではありますが、
 どうです、歩いてみたいでしょう!?


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宛名書き

2011年07月29日 23時08分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ついさっき、暑中見舞いを出してきました。
 ブログ同様、一人でも喜んでくれる人がいればと思って、
 毎年やっています。

 しっかしまあ、久しぶりに宛名書きをすると、
 なかなか上手くペンが走らないものですねー(笑)
 手書きの練習も、たまにはしたほうがいいと思いました。

極論と難癖。

2011年07月29日 22時37分45秒 | 青裸々日記。
ほおずき市から(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「付き合うなら性格がいい不細工さんか、ルックスがいい性悪さんか、どっちがいい!?」

 こういうようなこと、多くの人が一度は聞かれたことがあると思うんです。
 それで、結論を言うと「ええーっ?」とか「趣味がよくない」とか言われたりするんですが、
 なに、私に言わせれば「どちらとも付き合わず、両方いい人が見つかるまで探す」って答えちゃいますねえ(笑)
 だって、実際そんなことはありえないじゃないですか。
 嫌ならやめておく。
 それだけの話ですよね。


 極端なことを言う裏には、だいたい「相手の本性を引き出す」とか「弱みに付け込む」などの、
 ろくでもない魂胆があるものです。
 先の例で言えば、大まかに「性格はどんな人がいい?」とやんわりと聞けばいいものを、
 わざわざ極端な例を出して「どっちにする?」と迫ることに、
 不自然さを感じなければいけません。


 極論が必要なのは、本当に答えが見えなくなった時だけで構わないのです。
 本当に極端な状態になったとして、そこから考え始めても遅くはないのです。
 むしろ、空想の話の中ではなく、現実に極端な状態を経験している真っ只中にいないと、
 本当に必要なものもわからない。
 それを、いきなり話の中だけで結論を迫るから、
 話がおかしくなるのです。


 どんな選択肢でも、大まかな方向が決まっていれば、
 あとは落ち着くところに落ち着きます。
 答えは一つではないのです。
 道が2つに分かれていたとして、その先にも数多くの分岐点があるのです。

 毎日のように「前言撤回」や「朝令暮改」を繰り返し、
 大筋の意見すら言えない人を相手にするなら別です。
 しかし、たいていの人は大まかな信念を持っています。
 いちいち難癖をつけたりしなくても、自分の信念の中で、場面ごとに自分なりの選択肢を選んで生きているのです。


 つまり、極端なことを言って答えを引き出さなくとも、
 相手は相手の中で、精一杯にやっているのです。
 「極端な状態に追い込まれてもいないのに、わざわざ極端な選択肢を用意して答えを迫る」というのは、
 以上を考えれば、相手の信念をどこか見下しているに等しいとも言えるのです。


 極論が必要な場面は限られています。
 あまり偏ったことは言わない。
 そうすれば、多くの人が穏やかな視線を投げかけてくれるのです。

たまごぼーろ

2011年07月29日 18時06分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「タマゴボーロ」というお菓子、あるじゃないですか。
 このタマゴボーロの工場では、ある言葉が繰り返し流されているんですが、
 一体何だか知ってますか!?


 答えは「ありがとう」。
 従業員同士でも「ありがとう」を一定回数言うと、時給800円が給料とは別に払われるんだとか。


 まあ、それ以上の話はないんですが、
 たくさんの「ありがとう」を浴びてできるお菓子なんて、なんかステキですよね。
 少なくとも、従業員がブスッとして作ったお菓子よりは、なんかおいしそうです。

Tokyo Bay Sunset

2011年07月29日 07時00分32秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日、夜景を見に行きたくなって、徒歩でレインボーブリッジを渡ってきました。
 なんか「一人で夜景」ってのが多くて、変にロマンチストなところがあるんですかねえ(笑)

 まあでも、この写真を見れば「やめられないとまらない」理由がわかっていただけるかと…


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安眠の裏技

2011年07月28日 23時26分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 寝苦しい夜が多くなりましたが、ちょっとした安眠法を。

 眠気がくると、だいたい手足が熱くなるじゃないですか。
 あれ、表皮の薄い手足に血液を送って、それで体温を冷やして入眠しやすくしているんですって!
…というわけで、夏なんかは空気も暑く、それで体温が下がらないということで、
 寝苦しさの元にもなっているんですね。

 逆に言えば、シャワーとかで手足を少し冷やしてあげれば…
 あとは賢い皆さんならできますよね!


 ただし、やりすぎると体温を保とうとして、かえって寝にくくなってしまうので、
 ちょっと気持ちいいぐらいでやめるのがよいみたいです。


 それではおやすみなさい

「私が正しい」。

2011年07月28日 22時49分46秒 | 青裸々日記。
江戸風鈴(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 人を諭したり、ものを教える場合。
 相手が素直ならよいのですが、必ずしも一回で納得してくれるとは限りません。
 特に、相手が間違えたことを覚えていたり、考え方の方向が違っていると、
 つい躍起になって、力んでものを言ってしまいがちです。
 もちろん、「相手が道を誤らないよう」にという愛情があるからこそ「正しい見方」を披露するわけですが、
 悲しいかな、力んで言うほど裏目に出てしまいやすいのが現実だったりするんですね。


 「自分の正しさ」を主張していくほど、結局は「あなたは間違っている」という意見に行き着いてしまうのです。
 しかし人間、誰しも自分がかわいいもの。
 人から「間違えてるから直してよ!」と言われたところで、
 なかなか素直に意見を聞けないものではないでしょうか!?
 そもそも、そう簡単に自分の悪癖や習慣を変えられる位なら、誰だって苦労はしません。
 そんなにすぐには変えられないものを「ダメだからすぐに変えてよ」と言われたって、
 ただでさえ人に文句を言われて嫌な気分になっているのに、「どうにかしよう」という気力まで奪われては、
 たまったものではないと思いませんか。



 こういうわけで。


 人に意見する時は、相手を立てながらものを言うことが大前提なのです
 明らかに嫌がらせなどの悪いことや、命にかかわることをしているなら別です。
 しかし、たいていの場合、「上手くやろうと自分なりのやり方でいろんなことをしているけど、ちょっと順調にはいっていない」ということがほとんどです。
 つまり、やる気自体はあるし、上を目指しているのも間違いないのです。
 そんな態度や努力を、まず見てあげる。
 「認められている」とか「否定されていない」、
 こう知ればこそ、はじめて自分のやり方を変えたり、バージョンアップさせてくれたりするのです。


 相手を尊重するとしないのでは、聞く耳も後に続く行動にも、雲泥の差が出てきます
 そして、相手を尊重するためには、「自分の正しさ」を主張したり「教えてやってるんだ」と尊大にならない態度、
 言い方を変えれば「私もあなたも同じ位の人間ですよ」とか、あわよくば「自分が言っていることはちょっと偏っているかもしれません」などと、
 こちらから下手に出る姿を見せることが必要なのです。


 相手を変えたいのか。
 相手と対立をしたいのか。

 人を動かす前に、自分を顧みる。
 そのためにも、自分の言動が及ぼす影響について、
 よく考えてみる必要がありそうです。

雷をともなう雷雨

2011年07月28日 19時38分14秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 変な日本語を言ってしまいました。

 さっき、「今日は雷をともなう雷雨がすごいらしいから、気をつけて帰ってくださいね」って言ったんですが、
 あれっ!?…と思った瞬間に「どれだけ雷が好きなんだ」とツッコミが入ってしまいました。
 そりゃあそうだー、長嶋茂雄さんの「秋の秋季キャンプ」と言っていることは同じですからね(笑)

 日本人なんだから日本語くらいはしゃべれなきゃっっ!!

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