青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「寝起きの絶望感」についての考察。

2011年10月31日 22時34分38秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ハッキリ覚えているんですけど、ちょうど去年の明日、「寝起きが絶望的に辛い」みたいなシリアスな投稿をしたんですよ。
 それで、ずぅーっといろいろ考えていて、
 「なんで寝起きが辛いか」の正体が微妙にわかったので、ここに発表します。


 まず、「寝起きが辛い」なんていうのは多かれ少なかれ誰しもあると思うんですが、
 「肉体的に辛い」とか「けだるい、めんどくさい」というのとはちょっと違うんですよ。
 すくなくとも私が経験していたのは、
 胸をズシーンと打ち抜かれたような、死にたいような絶望感が襲ってくるような感じなんですね。
 そしてまた、秋にひどくなるのも特徴でした。

 そこで、「なぜ寝起きに?!!」とか「なぜ秋に?!!」というのが疑問だったのですが、
 答えはどうやら「自律神経」にあるみたいなんです。
 自律神経には「交感神経」と「副交感神経」というのがあるんですが、
 なんでも、寝起きはこの自律神経が乱れて、気分に変調や障害が出やすいんだとか。
 それに加えて「夏→秋」というのは季節の変化の中で一番急激なものなので、
 余計に自律神経が乱れやすい、というわけです。


 つまり、自律神経さえうまく制御できれば症状はちょっと軽くなるかもしれないわけなんですね。

 そのために、私は部屋で風呂上がりに軽い運動をしたり、
 足の裏を揉んだり、ストレッチや呼吸法をやったりして、
 自律神経にアクセスできるようにしているんです。
 あと、電気をつけたまま寝るとか、ちょっとだけ早目に起きてみるとか。


 もちろん気分障害はお医者さんに行ったほうがいいですが、
 こういう工夫をしていくと、ちょっとは楽になれるんじゃないかと思います。
 同じ苦しみを経験している皆さんも、乗り越えた皆さんにも、
 参考になればと思います。

救われよう。

2011年10月31日 20時44分20秒 | 青裸々日記。
プレーリードッグ(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 料理の腕に自信のない人が、食事を作っていたとします。
 すると、手が不器用なので、切り傷を負ってしまった。
 当然そのままにしていては血が出るだけですし、料理だって不衛生になってしまいます。
 料理の自信がないにしても、処置や治療はすぐにしっかりとしたほうがいい。
 そこを、「私はどうせ料理が下手で、食材を無駄にしてしまうし、食べる人にも嫌な思いをさせてしまうから、私には治療する資格はない」なんて言っても、
 血を出したまま、傷ついたままで出来ることはありませんし、
 誰も幸せにはならないのです。


 このことから、「どんなにひどい状態でも、幸せになれるなら積極的になったほうがいい」ということが、
 お分かりになるのではないかと思います。
 自分が幸せになると、周りも幸せになる。
 そしてまた、一人の人間が幸せになるとどれだけの人が幸せになるか、
 その影響を考えたことはあるでしょうか!?

 ちょっと想像してみましょう。
 幸せだと、人に余裕と思いやりを持って接してあげられますから、
 周りの人が幸せになります。
 あるいは、ニコニコ仕事ができますから、一緒に働く人も仕事がしやすくなります。
 そしてまた、幸せな気分だと人を傷つけるようなことも少なくなり、
 人に対する邪気も消えます。

 しかし、幸せになることはなかなか難しい。
 なぜなら、幸せになるためのハードル、たとえば罪悪感とか、自分をちっぽけとしか思えないようななんともいえないような気持ちとか、
 誰にもなにかしらの「幸せになる資格はないんじゃないか」と思ってしまうような胸のつかえがあるからです。

 しかし、自分が幸せになることで周りも幸せになるのなら、
 「幸せになる代わりに、責任はしっかり引き受ければいいんじゃないか」という気がします。
 「自分は幸せになるけど、それまで傷つけてきた人にはしっかり謝る」とか、
 「一人占めをするのは気が引けるから、いい意味で周りも巻き込む」とか、
 要は「幸せになったあとでやればいいこと」だって、たくさんあるんじゃないかと思うのです。


 自分が救われれば、人に迷惑をかけることもなくなるし、誰かに手を差し延べることすらできます
 一人占めするためならまだしも、人のことを思えばこそ、全ての人は幸せになってもいいのではないでしょうか。

音は背骨でも聞いている

2011年10月31日 16時48分50秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日、友達の家でゆっくり食事をしたんですが、
 その時やっていたテレビのコーナーで「音は背骨でも聞いている」という話があり、衝撃を受けました。
 「背中で聞いてみよう…」と意識してみると、
 本当にそんな気になるばかりか、リラックスしてくるから不思議です。
 体の中を音がストーンと抜けていく感じがするんですよ。



 これ、健康にも結構いいんじゃないかと思いました。
 聞き方を変えるだけで体が変わるなんて、本当にステキな話だよなあ…

やみ夜を切り裂く

2011年10月31日 11時42分53秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「交通会館の写真、まだあります」と書いたのですが、
 その「まだあります」がコチラ(笑)
 胸を張って自信作と言える…ほどではありませんが、
 絵としてはかなり雰囲気が出ていると思っています。


 また撮ることがあったら、もう少しスマートな絵を撮りたいです。

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インスピレーション

2011年10月30日 22時53分35秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ここ1か月、「作曲もやっているんですよ」ってお話ししてたこと、
 お気づきでしたでしょうか!?

 今日はその作曲のインスピレーションが神懸かっていて、
 お昼前に閃光のようにひらめき、3分弱のBGMを4時間半で完成させてしまいました。


 あらためて創作についてわかったのは、
 ・リラックスしてやる気を出しすぎない
 ・気乗りした順にやっていく
 ・頭で考えず、感じたものを素直に吐き出していく
 こんなところです。

 ブログを書く参考にもなりますよね!

気持ち良く使おう。

2011年10月30日 17時07分45秒 | 青裸々日記。
ハイイロリス(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 褒めるかけなすか。

 この2つに、正解はありません。
 人間には個性や好みがありますから、どんなに整うものが整ったような素敵な人でも、
 気に入らなかったり、あるいは「ときめかない」ということだってあります。
 反対に、魅力がなさそうな人でも、見る人が見ると素敵なうつります。
 つまり、「完璧」の基準は人や気分によるので、
 どんなものでも褒める気になればいくらでも褒められるし、
 気に喰わない角度から見れば、いくらでも嫌えるのです。


 これを踏まえて。

 お店でもなんでもそうですが、「気配り」は、サービスを受ける側にいる時こそ必要なものではないか、
 こんな考え方はできないでしょうか。

 というのも、いくら最善を尽くしても、踏ん反り返っているうちは、そのありがたみがわからないからです。
 快適さや便利さを提供するハズのせっかくのサービスも、
 踏ん反り返って高い要求を突き付ければ、「満足できない部分」もたくさん見つかる。
 そうやって不満な点を探せば探すほど、不快感が増えます。
 これ、「けなす気になればいくらでもあら捜しはできる」ということを考えれば、どんなに最善を尽くしても無駄ということになる。
 そして結局は、「踏ん反り返っている人がこの真理は、永遠に満足することもない」というところにしか行き着かないのではないでしょうか。


 これ、「サービスをする人も血の通った人間です」などという偉そうな話とは、
 全くの別の問題です。
 だいたい、こちらに落ち度がないのに相応の働きをしてくれない人だっているのですから、
 誰だって、頭にくる時があるかもわかりません。


 しかし、それは「サービスやそのサービスをしてくれる人のありがたみやいいところ」を見てからです。
 「こちらの立場が強いから」と言うのではなく、「当たり前のようにこれこれこういうことをするのも、自分がする側だったら大変だよなあ…」という想像や洞察ができれば、
 同じサービスでも得した気分になるし、幸せにだってなれるハズなんです

 そしてまた、そういう見方をすると、「自分も人には優しくしようかな」と思える、
 つまり全てがいい方向に変わってしまうのです。


 褒める気を持った人は、幸せにも近づけるようです。
 いや、人の幸せをも運べるようになるのかもしれません。

♪楽しいことは二人分 悲しいことは半分♪

2011年10月30日 16時05分43秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 最近、すごくいいと思っている曲があるんです。
 なんと、昔の「おかあさんといっしょ」でやっていた『ふたりはなかよし』っていう歌なんですが、
 大人が聴いても「仲良しっていいな」って素直に思える、
 本当にいい曲なんです。

 特に好きなのが「楽しいことは二人分 悲しいことは半分」というところで、
 「相手に依存ばかりする人」とか「傷つけたり利用する人」に何回でも聴かせたいぐらい、
 本当に素敵な世界をうたっているんです。
 

 仲良しさんともっと仲良しになりたいです。


 ♪ころーんだら いーたかった
  いーたくーてー ないちゃった
  なーいたーらー とんーできーてー
  ふーたりーでー ないちゃった
  たのしいことーは ふたーりぶん
  かなしいことーは はーんぶん

グラデーション

2011年10月30日 09時48分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 せっかくレインボーブリッジを載せてきたので、
 夕方の東京湾岸もご覧に入れましょう。

 どうですか、このカラフルな宝石箱。
 ノイズとブレの限界を考えて、この設定での撮影にしました。
 至らないかもしれませんが、しばしご覧下さい。


 いつもありがとうございます。

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たまにはコーヒーを…

2011年10月29日 23時30分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 今日のお話、ちょうどよいくらいの時間が開いたので、
 実はコーヒー屋さんで書いたんです。
 もっと正直に言うと、眠かったのと待ち合わせの都合でコーヒーの一択だったんですよ(笑)


 一人でコーヒー屋さんに入るのは本当に数年振り。
 たまにはいいもんですねヾ(*^▽^*)o

松・竹・梅。

2011年10月29日 17時52分02秒 | 青裸々日記。
ペチュニアの花(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 優れたものを持っている人を見ると、自分の価値に疑問を持ってしまうことがあります。
 たとえば、能力とか、人柄とか、持っているものだとか、
 相手が自分より上であるほど、比べたり隣にいるのが嫌になってもしまうもの。
 「あの人はなんでそんなに素晴らしいものを持っているんだろう、それだと隣にいる自分がかすんでしまう」と、
 自分の存在理由に疑問を持ってしまうのも、無理はないのかもしれません。


 ところで、「松竹梅」という言葉を、どこかで耳にしたことはないでしょうか!?
 「松竹梅」というのは料理のランクを示すもので、上から「松→竹→梅」の順になっています。
 そうすると、つい最上位の「松」に目が行ってしまいそうなものですが、
 忘れてはいけない点がひとつ。
 「梅」だって、立派な商品の一つであることには、なんら変わりはないのです。
 「腐っても鯛」というと言葉は悪いですが、一番下の「梅」にも、十分価値はあるのです。


 私達は力を十分に発揮することて、生き甲斐を感じるもの。
 自分の持っているものをできるだけ多く使えば、やれることも出てきますし、助かる人も増えます。
 しかし、劣等感を感じると、せっかく持っているものの価値が、あたかも「0」、つまり全くないように錯覚してしまう。
 この劣等感が、持っているものの価値を見えにくくします。


 でも、本当に価値がなくなったわけではない。
 たまたま側にいる人にちょっと至らないというだけで、自分の能力や価値、実力だって、
 本当はきちんとあるハズなのです。
 そしてまた、至らないものだからと言って出し惜しみしていては、
 本当は出来ることも、できなくなってしまう。
 また例え話になりますが、目の前で泣いている人がいたとして、
 「私はあの人ほど優しくないから」と言って慰めないままでいるか、
 「自分は至らないかもしれないけど、私なんかでも助かるなら」と構ってあげるかでは、
 どちらが人を幸せにできるかは、もう言うまでもないと思うのです。


 「自分はどうせ…」というのはしかたがないにしても、たとえ素晴らしいものがなくても、
 出来る範囲のことを精一杯やるだけで、最後には素晴らしいものができるかもしれない

 料理でも人間でも、「梅だから」と言って腐らすのは、もったいない話だと思うのです。

ゴールデンゼブラ・シグリッド

2011年10月29日 06時16分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 バァーッ!!


 はい、朝からすいません(笑)
 魚の顔があまりにユニークなんで、撮ってきました。
 コチラもアクアシティの水槽にいた魚なんですが、
 照明の効果もあり、美しく見えました。

 熱帯魚ってなんか癒されます。


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不安と向き合う!?

2011年10月28日 23時00分39秒 | 青裸々日記。
レインボーブリッジから(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「不安」は、心を蝕む最大の敵です。
 不安でいると心が落ち着かず、あれこれと意識を巡らせるのですから、
 当然、神経も擦り減るし、緊張ばかりで本来の力など発揮できません。


 さて。

 困ったことがあると、あれこれと気をつかい、自分の弱さや至らない点や課題に目を向けなければいけないことも出てきます。
 そうすると、嫌なことから逃げたくなることも、もちろんあるわけです。
 ところが、嫌なことに向き合わなければいけない時もある。
 ケガをした時に症状がわからないと処置をほどこせないように、
 嫌な気持ちも、正体をハッキリさせないとなかなか消えてはくれません。
 こういうわけで、「嫌な気持ちから逃げてはいけない」と、自分を追い詰めてしまうのです。

 ただ、ちょっと待って下さい。
 「逃げない」っていうのは、一体なんでしょうか!?
 「逃げない」というのは、つまりは解決に当たることを言うのだと私は思います。
 しかし、自分を追い詰めるがあまり、不安で身動きが取れなくなるようなら、
 結局のところ、どちらも変わらないのではないでしょうか


 人間、同じ行動を起こすなら、
 なるべくリラックスして始めたほうが、エンジンがかかりやすいハズです。
 よく「大きな目標は小さく区切りなさい」と言われますが、
 切羽詰まったり、プレッシャーに追い込まれてやってもいいことがないから、進展がないから、
 こういう示唆があると思うんですね。
 それなら、どうせ行動を起こすのなら、
 「不安から逃げないぞ!」と力むことが、かえって行動する力を削いでしまうのもまた、事実ではないでしょうか。


 動けなくなる位の不安なら、感じないほうがいいのかもしれません。
 そしてまた、気持ちと向き合うなら、「味わう」とか「感じる」とか、行動とは切り離して考えたほうがよいのではないでしょうか。


 不安から逃げてはいけないのは事実かもしれませんが、
 不安がるあまりに動けなくなるなら、それもまた、不安から逃げることと結果は変わりません

 もう少しシリアスさを抜けば、動ける人も、出来ることも多くなるハズ。

 動くことが大切なら、動きやすくすることもまた、同じくらい大切なのではないでしょうか。

0リング

2011年10月28日 18時52分30秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 オカルトみたいな話なんですが…、

 疲れて帰ってきて、お店で夕食を決めかねている時、
 「0リング(オーリング)」というのをやったりします。
 左手に品物を持ち、右手の親指と人差し指をグッとくっつけて、
 力が入るか抜けていくかを調べるんです。
 それで、「力が入ったもの」は好きなものだったりその時の体調や身体にいい可能性が高い、ということになるんですって。
 薬とかでも同じ調べ方があるんだとか…


 まあ、買っちゃえばどれにしろ、それなりに満足はしちゃうんですけどね(笑)
 迷った時の0リング、皆さんも楽しんでみては!?

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