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青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

さあて、見に行くかっ!!

2010年11月13日 23時31分50秒 | 雑感、雑記
沖縄県庁前・RYUBOにて(沖縄県那覇市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 明日の夜はずっと、クリスマスのイルミネーションを回ります。
 誰を連れて歩くわけではないし、
 クリスマスカードも作りたいし、
 しっかりやらないと((o(^-^)o))

 ブログにアップするかもしれないので、
 楽しみにしていて下さい(笑)

変身願望…

2010年11月13日 22時40分38秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 現在、出先です。
 帰ってからのコトを考えつつ、
 たまにご紹介している『Beyond the Sunset ~TV version~』を聴いています。



 今日のターゲットはズバリ、整形マッサージ。
 「一時間くらい根を詰めてやれば、ちょっと位は変わるんじゃないかなあ」と思いつつ、
 なんか気がついたら他のコトをやっていたり。
 家に帰ると緊張感がなくなるからか、天然キャラな性格のせい…だと、
 自分では思っています。


 ちょっとまあ、今日こそはと思うので、
 少し奮起するために投稿してみました。


 さあ、帰ったら腕まくりだぁー、ほいさっさ!!

千葉神社

2010年11月13日 18時14分11秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日の千葉市動物公園へ行く途中、
 神社に参拝してきました
 (「やっぱりか」と思った皆さん、さすがです)。
 私も弱い人間、どす黒い気持ちを抱えていたりもするので、
 可能な限り、参拝はしていたかったり。

 千葉神社は方角的に厄除けに適した場所にあるようで、
 八方位に、いろいろな神様が祀ってありました。
 全て叶うならなあ…と思いつつ、境内を歩きました。

 「健康によい」と言われる聖水もいただいたし、
 またしっかり、背筋を伸ばして笑顔でやっていこうと思います。

否定したがる人たち。

2010年11月13日 07時38分02秒 | 青裸々日記。
浦賀の渡し(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私はカレーと蕎麦、どちらも大好きです。
 カレーのおいしさ、蕎麦の味わい深さを説明するために、
 それぞれの良さを説明する時、
 「それに比べてカレーは…」
 「蕎麦よりも…」
 とか、引き合いに出す必要はありませんよね。

 ところが、自分の価値や魅力、努力の量などを人に訴え掛ける段になると、
 ことさら誰かを馬鹿にしたような話し方をしてしまった(か、あるいはされてしまった)こと、
 意外と多くあるものではないでしょうか。


 自分だけが損をしている。
 価値をわかってくれない。
 自分をわかってほしい。

 こんな気持ちをあからさまに出すと疎まれるので、
 人を貶めたり馬鹿にしたような態度を取ることで、
 間接的に「自分というもの」を立証しようと、躍起になるわけです。


 でもこれって、ちゃんちゃらおかしい話ですよね。
 人を傷つけるような真似をして醜く思われたところで、
 自分のエゴのためにそんな遠回りをして、一体どうしたいと言うのでしょうか。
 だいたい冷静に考えればわかることですが、
 「度量や懐、器が広く、酷い言動を許してくれる」という相手なんて、
 そうそういるものではありませんよね。
 やはり人を馬鹿にして自分を肯定するやり方は、
 以上を考えれば、非効率だとおわかりになると思うんです。


 わざわざ「人を貶めてもの言う」場合、
 その裏には「認められたい」という焦りというか、ともすれば強迫観念があると考えれば、
 案配がわかりやすくなると思うんです。
 となれば、話は簡単です。
 「そかそか、大変だったね、すごいねえ」という態度で接してあげればよいのです。

 少し馬鹿にしたような書き方をしましたが、
 実はこれ、自分に対してかけてあげるべき言葉だったりもします。
 不必要に人と比べて自分の立ち位置を確認するのが、人間というもの。
 もちろんいろんな人と関わる中であれば、
 多少は他人を気にして、言動が大きく外れないようにすることは不可欠です。
 しかし、誰しもいつも自信満々というわけではありません。
 ふと気を抜いた瞬間に誰かを馬鹿にしてしまう、
 こんな情けない部分、誰しも持っているものです。


 人と比べるな、とは言いません。
 人と比べることを使って、人を傷つけることがいけないのです。

 「表に出した瞬間に、自分の点数が大幅に下がる言葉」って、
 たくさんありますよね。
 その中で気をつけやすいのがこの「しなくてもよい、誰かとの比較」なのです。

 自分の気持ちは、自分で面倒を見てあげること
 これが、好感を勝ち取る秘訣の一つなのです。

言葉のあと。

2010年11月13日 00時09分11秒 | 青裸々日記。
浦賀湾・東叶神社から(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 言葉が無駄にきつい人。
 ひとこと多い人。
 不愉快な言葉のボキャブラリーだけは、人に負けない人。

 皆さんの周りに、こんな人はいるでしょうか!?
 もしいたとして、どんな接し方をするのが適切と言えるでしょうか!?



 ☆ ☆ ☆

 「不愉快な気持ちにさせやすい言葉」って、
 お互い気持ち良くコミュニケーションしたいなら、
 真っ先に避ければよいだけの話。
 それなのに、「嫌がらせ紛いの言葉」を出すのには、
 なんらかの理由があると考えるのが自然です。

 私が思うに、「言葉を選べない人」というのは「先のことを予測できない、無責任な人」ではないかと考えてしまいます。
 「自分が投げた言葉が、どういう影響を及ぼすか」がわかれば、
 より適切な言葉を投げるのは、ごく当たり前の話。
 「意見は主張した者勝ち」
 「傷つくほうが悪い」
 こんな都合よい理屈で相手のことを顧みず、自分の気持ちにまかせて発言するのは、
 ただのエゴではないかと思いませんか。
 どうしても「傷つけるような言葉」を言わなければならない場合でも、
 フォローまで考えていることが、口から出してよい最低条件。
 キタナイ言葉を吐いて、お互いが不幸になる道理はないと思います。


 言葉を制御するということは、
 結局、「自分の気持ちというか、自分自身そのもの」の表し方を制御することに繋がります

 「優しさ」と「甘さ」の違いって、よく語られるじゃないですか。
 以上を考えると、「優しさ」とは「言葉の選んだり、抑える力の強さ」ではないかと思うんです。
 「きつくて嫌な言葉も出せるけど、ここはどっちにしておけば相手はわかってくれるかな!?」と、
 自分だけでなく、人の身になって言葉を制御できること、これが「優しさ」だと思うんです
 「優しい人は強い人」と言われる所以はこのへんにある気がします。
 ところが「甘さ」になると、「ただ惰性で、波風が立たない言葉しか吐けない人」になってくる。
 普段は「人聞きのよいこと」を言っていても、
 言葉を選ぶ力がなかったら、それは優しさなんかじゃない。
 「言いたい」とか「言いたくない」という気持ち、
 あるいは「自分の側の余裕」を越えて、
 「どんな言葉がベストか」まで考えてあることが大切なのです。


 こういうわけで。

 「人の気持ちもわからない、言葉がどこか乱暴な人」は、
 「実は弱い人なんじゃないか!?」と、「一枚上手でいて、どっしりと観察すること」が大切なのです。


 相手の欲求さえわかれば、
 接し方もわかるのですから。

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