青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

独り言・回顧録2010

2010年12月31日 22時32分16秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 いつもありがとうございます。



 まさかコレを東横線で書くとは思わなかったなあ。

 沖縄のよい思い出を胸にしまっていたけど、
 毎日なんか憂鬱だったんだよなあ。
 春先までは精神的に落ち込みがちで、
 ハナミズキの花を見ながらいろいろ思い返しちゃったり。
 で、職場が廃業して休みを削って敗戦処理をやって、
 挙げ句、仕事を干されちゃったり。
 でも、多くの人が必要としてくれたおかげで、
 なんとか元の生活も取り戻したし、
 自分自身でいられる幸せを感じています。
 我が身のように案じてくれた人、
 あたたかく応援してくれた人、
 お灸を吸えてくれた人、
 甘えさせてくれた人、
 夢を見させてくれた人、
 尊敬の目で見てくれた人、
 あるいは、形にならなくても心の中で見守ってくれた人。
 感謝しています。


 ありがとう2010年。
 2011年は、もっと感謝で溢れる一年にしていきます。

α700

2010年12月31日 19時31分53秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「ご縁」というものの不思議さを感じています。

 時はことしの6月。
 休みが取りづらく、実はストレスに喘いでいました。
 時を同じくして、いろいろなカタログやブログを見たりして、
 SONYのα700に魅かれていって…。
 当時は富士フイルムのFinepix S100FSを持ってはいたんですが、
 ちょうど画質に物足りなさを感じて…。


 で、両者がシンクロして、
 精一杯働いたお給料で、いとしのα700を購入したわけです。
 その後の活躍はご覧のとおりです。


 この1年を語る上で、欠かせない存在となったα700。
 これからも大切にしていきます!

一歩。

2010年12月31日 11時27分37秒 | 青裸々日記。
カレッタ汐留(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「一歩を踏み出す」という言葉、よく使われていると思うんです。
 世の中には「やってみなければ」ということがあるのは事実で、
 「一歩を踏み出せば、そこではじめて明らかになること」がたくさんあるものです。


 しかし、その不明瞭さが、踏み出す一歩を躊躇させたりもするわけです。
 悲観的な人に限らず、「元来は楽観的でもトラウマを抱えている事項に対しては二の足を踏んでしまう」とか、
 皆さんの周りにもそんな人はいると思いますし、
 皆さん自身がそんな方なのかもしれません。



 こういうわけで。


 「前に進みたいけど、一歩すら踏み出せない」というほど葛藤や歯痒さを覚えるのは、
 古今東西、人の常なのです。

 ただし、「なにをもって一歩とするか」というのは、
 実は、個人の自由だったりもするのです。
 「行動するかどうか」だけに「踏み出したかどうか」の基準を置いては、
 「行動に至るまでの思考やいきさつ、心配り」に意義がなくなってしまいます。
 だいたい「行動が全て」という極端な思考を進めれば、
 ちょっとの注意で防げるエラーを数多く引き起こし、
 結局、自分の価値を下げてしまうわけです。


 「一歩を踏み出せない」という場合、とかく「思考が悪い」として槍玉に揚げられてしまいがちですが、
 「思考で終わること」が本当の問題なのであり、
 「思考をすること」自体は、なんの言われもないのです。
 だいたい、「なにかを悪者に仕立て上げよう」という発想があると、
 行動が奏功しなかった場合、失敗をすれば「思慮に欠ける行動だった」などと、
 今度は「行動」が悪玉になってしまうわけです。


 つまり、です。

 「一歩を踏み出せるか踏み出せないか」という場合、
 目に見える表面の行動だけでなく、
 思考と行動がきちんとリンクしているか
が、なにより大切になってくるのです。


 人生は応用問題の連続です。
 思考にせよ、行動にせよ、基礎がガッチリ固まっていれば、
 どちらかに偏り過ぎることも少ないような気がします。


 なにをもって「一歩」とするか。
 「一歩」にどんな意味を与えるか。

 ここを考えることで、自分がより成長できるヒントが明らかになるのかもしれません。

年末のごあいさつ

2010年12月31日 00時00分00秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 平成22(2010)年。

 このブログを通じて、たくさん成長ができたことをなによりも感謝したいと思います。


 愚痴や落書き、ネガティブ発言。
 去年はこんな投稿の割合が多く、今になってみると恥ずかしく思います。
 1年前は1年前で、当時なりに一生懸命綴っているつもりでも、
 読み返してみると拙さが目立つわけです。

 …それが、毎日書いているうちに思考力や洞察力が育まれ、
 また建設的でわかりやすい文章になってきたという手応えがあるんです。
 昔が至らなかったのか、現在が成長したのか、
 あるいはその両方なのかは知る術もありませんが、
 毎日たくさんのアクセスをいただき、
 可愛がっていただいた皆さんのおかげであることは間違えありません。
 本当にありがたいことです。


 一つの区切りとして、ごあいさつにはちょうどよいと思ったのでこんな投稿をしましたが、
 もっともっと、ディスプレイの向こうに元気や感動を送り込めるよう、
 これからも投稿していこうと思います。


 たくさんお世話になりました。
 また来年、さらに強くて優しいブログを目指します。

おねつのかぜひきさん(笑)

2010年12月30日 23時21分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 バイキンウイルスのあんちくしょうが体内に入って、
 脳や神経を撹乱(かくらん)しています。
 目眩がするし、間接も痛いんです。
 あんちくしょうの仕業だ、間違いない!!!(←旧い…)


 イルミネーションに力を使い過ぎたんでしょうか(笑)
 とりあえずあったかくして寝ます。
 

「頑張る」という魔物。

2010年12月30日 23時05分38秒 | 青裸々日記。
光都東京・LIGHTOPIA(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「頑張る」というのは、具体的にはどういうことを指すのでしょうか!?
 私のケータイ辞書には
 1.自分の考えや意志を押し通そうとする。我を通す。
 2.(困難や障害にまけないで)精一杯努める。
 3.警備を固めてそこから動こうとしない。

 …という風に説明されています。
 しかし、「具体的にどこからどこまで思考し手を付けて、行動したか」については、
 「頑張る」という言葉だけでは具体性がないのです。
 「以心伝心の仲でもないのに、「あれ」や「それ」で済まそうとする人」がおかしいことはすぐにわかりますが、
 「頑張る」というのも実は、コミュニケーションの上では、同じレベルになってしまう危険をはらんでいるわけです。


 話を少し戻しますが、「頑張る」という言葉はワイルドカードなのです
 つまり、「なにをもってして頑張ったということにするか」の基準が曖昧だから、問題なのです。
 「頑張ったかどうか」の判断が、個人の主観的な裁量に委ねられてしまうから、
 「頑張る」という考え方と「満足する」という感覚が乖離(かいり;掛け離れてしまうこと)してしまうのです。


 ここまでお話すれば、「頑張る」という言葉にどんな代入や言い換えをすればよいか、
 おわかりになると思うんです。

 そう、「具体性がない」から問題になるし不満も溜まりやすくなるわけで、
 せっかく精を出すのなら、具体的な言葉で意思のやり取りをしたほうが断然わかりやすいし、
 すれ違いも少なく力を合わせやすい関係や環境が出来てくるのではないでしょうか。


 「頑張る」という言葉は、一瞬の凶器ですらあります。
 定義が難しい言葉はたくさんありますが、
 「頑張る」というのは「命を削る」という性質がゆえに、
 人や自分を追い詰めたりしてしまいかねないし、
 逆に、ごまかしの意味で使われてしまうことすらあるのです
 そしてまた、「頑張る」という言葉を口にすればするほど、
 そこにある関係を悪化させてしまう危険が増えてしまうのです。


 自分にせよ、誰かにせよ。

 頑張れたとか、頑張れなかったとか、
 そんな無駄に力むようなことを考えても、
 結局、待っているのは慢心か後悔しかないような気がします。


 「頑張り」について漠然と考え込むよりも大切なことは、
 いくらでもあるのです。
 「頑張る」という言葉は、なるべく別な言葉に言い換えてみませんか。

東京タワーから見たスカイツリー((o(^-^)o))

2010年12月30日 13時00分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日は東京タワーに行って、帰りに汐留と丸ノ内のイルミネーションを見てきました。
 そのタワーのラウンジから見えたのが、
 ぐんぐんのびているスカイツリー。
 本家から見た建設中の新東京タワー、
 東京人としては感慨深いです。

 しかし、「業平橋」駅が「とうきょうスカイツリー」駅に改称されるのにはビックリです。
 意表でした。

今年の総括。

2010年12月30日 07時48分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 おかげさまで、私にとって飛躍の一年でした。

 思えば去年の今頃、「自分はこの1年、自分は何事も成しえないばかりか、人を傷つけてばっかりだった」という、
 途方もない罪悪感や無力感がありました。
 そしてまた、「ダメ人間をやめたい!!」という強い思いもありました。


 …この一年、罪悪感の他にも「負け犬根性」を叩き出せたことが大きかったと思います。
 自分をダメ人間と思うのは自由ですけど、
 自分を「やいやーい、このダメ人間!!」と責め立てたところで、
 それはダメを脱却する力を自分で奪って、
 かえってダメさ加減を悪化させてしまうだけだと、
 心から思ったんです

 なぜかって、「自分をダメだと思い込んで、自滅している人たち」を、
 この一年でたくさん目にしてきたからです。

 「自分に対してどうのとかって、変な自意識を持つこと」は、
 端から見ていても入り込めないので気持ちのよいものではないし、
 それで改善が見込めないのなら一体どんな意義があるんだと思うんです。


 過信や高慢、そして私が目の敵にしている「武勇談」を締め出そうとする姿勢は素晴らしいですが、
 それは「自分を責める」以外にも、
 「自分を適当に甘やかしつつも、自意識を捨てて目の前のことに意識を集中する」という方法があります。


 素敵な人間でいられるよう、自分を磨き続ける価値を噛み締めたいと思います。

偏頭痛きたー

2010年12月30日 00時36分54秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 友達の誕生日プレゼントを探すためにTOMMY HILFIGERのカタログ本を見ていたら、
 ズキズキと覚えのある鈍痛が…。

 なんか最近、多いんですよ、偏頭痛。
 別に無理してるとかじゃないんですが、アイスノンのお世話になろうと思います。


 偏頭痛で年末の脳内デトックス、つまりアタマの大掃除が頭で開催されてるんでしょうか(笑)

1月生まれの憂鬱{{(>_<;)}}

2010年12月29日 23時20分50秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私は1月生まれなのですが、年末年始にいつも思うのが「元日になっても、年が明けた気がしない」ということです(笑)
 まあ考えようによっちゃあ「少しだけ若くいられる猶予をもらってる」とも言えるんですが、
 毎年落ち着かないというのが本音です。

 年が明けてからが、私のラストスパートです。

卑下の功罪。

2010年12月29日 21時26分39秒 | 青裸々日記。
昭和記念公園 Winter Vista Illumination(東京都立川市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 料理をしていて、塩を入れすぎてしまった場合。
 料理をあまり知らない人は、
 「しょっぱい物は「甘い物」を入れれば相殺されるよね☆」とばかりに、
 「砂糖」を大量に入れてしまうことがあります。
 しかし、少し考えればわかることですが、
 味が相殺されるということはなく、
 むしろ「混ざって変な味になってしまう」ということが大半であるハズです。


 さて。

 これと同じことが、「やたら卑下をする人」にも言えるのではないでしょうか!?

 ハッタリや自慢話、武勇伝は疎まれこそすれ、
 あまり受け入れられるものではありません。
 こういうわけで、「なるべく嫌われやすい話はしないようにしよう」と、
 意気がる代わりに、角が立たぬよう卑下に走ってしまう心理が、
 わからないでもありません。


 しかし。

 「自分を低く、卑下して物を言う」ことにも、実は致命的な欠点があります。
 それは、低く言ったところを基準に見られてしまうということです。

 たとえば「私は話下手だから」と、会話で口にしたとしましょう。
 そうすると、「どれだけ話が上手いか」よりも、
 「どれだけ話が下手か」という見られ方にさせてしまいやすいのです。
 つまり、自己卑下は減点主義で自分を評価されるきっかけになりやすいのです。


 ところで、塩に限らず料理で調味料の味付けを間違えてしまった場合、
 私なら「具材を足す」ことで解決します。
 間違えた味付けをしてしまったものでも、分量が増えればそれだけ味や影響は薄くなります。
 もし残すことになろうと、下手な味付けをして丸々食べられなくなるよりはマシだからです。

 「自己卑下」の話も、同じように解決をすればよいのです。
 具体的には、料理と同じように自分の話はあんまりしないか、あまり気張ったりシリアスにならず、冗談半分で口にする位がちょうどよいのではないでしょうか!?


 自己卑下や自虐的な話は人を傷つけませんし、
 なによりそんな話し方を好む方は、人のことを尊重できる優しい方が多いのだと私は思います。
 しかし、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」です。
 たとえ褒められた態度でも、それに対するリスクマネジメントがしっかりしている必要があります。


 自己卑下も武勇伝も、適当な位が「適当」なのかもしれません。

総力特集・昭和記念公園 Winter Vista Illumination

2010年12月29日 10時28分38秒 | クリスマス特集!2010
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 イベント自体は先日で終わってしまったのですが、
 その最終日、「国営昭和記念公園 Winter Vista Illumination」に行ってきました。


 ☆ ☆ ☆

 普段は17:00に閉まってしまう昭和記念公園ですが、
 このイベントのためだけに、夜間は特別開園していました。
 しかし、開いているのは立川口だけ。
 昭和記念公園は青梅線の西立川駅が最寄りなのですが、
 立川口だと、中央線や南武線、多摩都市モノレールの立川駅からも15分と、
 どちらから歩いてもあまり変わりません。
 

 さて、公園に入ると、ツリーの形をしたシャンパングラスがあるんです。
 
 

 このシャンパングラスが、池というか小川に沿って並んでおり、
 大変ロマンチックでした。
 
 
 


 池を抜けると、今度はいろいろなイルミネーションが並んでいました。
 
 
 
 


 一番奥には、芝生に敷き詰められたLEDやモニュメントが。
 
 
 



 全体に質の高いイルミネーションに、大満足でした。
 また来年もやっていればと思います。
 

問題は繰り返す。

2010年12月28日 22時56分52秒 | 青裸々日記。
光都東京・LIGHTPIA(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「飛行機を作って飛ばしてみたい」という場合。
 まずエンジンやボディーの設計をして、
 実際に資材を調達して制作し、さらに試運転を重ねて、
 「問題なし」と認められることで、はじめて飛行が可能になりますよね。
 逆に言えば、なんらかの欠陥、具体的には、
 ・滑走できない
 ・資材が適切ではない
 ・運用する環境が求める耐久性を満たさない
 ・操縦に難があり、事故を引き起こす可能性がある
 ・安全面で、構造に改良の余地がある
 …たとえばこんな問題点が見つかるたびに、
 「それでも飛行機を」という思いがあればあるほど、
 それだけやり直しが求められるわけです。


 さて。

 「そんなんじゃお前はどこに行っても通用しないぞ!」という台詞、
 ぶつけられてしまったり、あるいは吐いてしまう側になったという方も、
 中にはいらっしゃるのではないでしょうか!?
 もちろんきつい物の言い方なので、ないほうがよいに決まっている言葉に違いはありません。
 しかし、こういう言葉があちこちで飛び交ってしまうのは、
 「同じような躓き方をしている人が多い」ことの裏返しではないかと思うんです。
 そしてその「躓く」というのは、
 つまりは「飛行機を飛ばす」場合の試行錯誤と同じなのです。


 どういうことかと言うと、
 仕事にしろ、人間関係にしろ、
 ・いつも損をしている
 ・仲間が協力的ではない
 ・誰も優しく扱ってくれない
 ・自分が相手のわがままを背負い込むことになる
 ・意見を言うのが難しい環境に置かれてしまう
 …などといったこと」「一度だけでなく、どんな環境でも結局同じパターンになる」という場合、
 やはり飛行機の試運転と修正の流れと同じく、
 「望んでいる限り、思考の修正や転換が求められる」ようになるのです。
 つまり、「上手くいかない」とか「不満が多い」という経験をなぜか繰り返してしまう場合、
 もはや相手や環境を変えたところで、「クリアしなければならないこと」は形を変えて繰り返すということです。
 理想がある限り、自分が抱えている思考の問題それ自体からは逃れられないのです。


 ただし。

 あえてネガティブな綴り方にしてきましたが、
 誰もがみんな、多かれ少なかれ「心理的な問題」の一つや二つ、抱えているものです。
 そもそも、欠陥なんかなくたって、理想があればこそ思考の精度を求めたがるのだって、みんな一緒です。


 「同じような問題をなんか繰り返し引き起こしてしまう」という心当たりのある皆さん。
 誰かに迷惑をかけないためにも、
 あるいはまた、より幸せに過ごしていくためにも、
 一度は自分の思考パターンを振り返る時期に来ているのかもしれません。

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