すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

ベルリンの壁崩壊から20年!

2009-11-09 23:06:32 | Weblog
今日はベルリンの壁崩壊から20周年だということで、当時の映像がずっとテレビで流されている。1989年夏にちょうどパリ郊外フォンテンブローのINSEADに客員教授として招かれていた。今では信じられないが、当時は日本の企業経営が神格化され、日本的システムというものが絶対的な評価を得ていたのだ。
しかし、小生のほうは、実は連日のごとくキャンパスを抜け出して、パリに出かけて、各層の活動家と会っていた。この時期は実はフランス大革命200周年で、エッフェル塔に200のイルミネーションの字が浮き上がり、ヨーロッパの知識人は「自分たちの力で世界を変えるんだ」という気運が満ち満ちていた。社会主義体制の崩壊はもう秒読みで、8月19日には事実上、東西の壁を破ったハンガリーの「汎ヨーロッパ・ピクニック」(ピクニックにかこつけて、国境突破)が起こっていた。このことからも明らかなように、東西ドイツの壁を崩したのは、何より東欧諸国での脱社会主義体制の高まりだ。
ベルリンの壁が崩壊しても、皆が皆、新しい時代を確信していたわけではない。東側の国民の多くはまだ疑心暗鬼で、社会主義体制や警察国家のゆり戻しがくることをおそれていた。そうした環境の中から、将来、自由主義世界との架け橋となる学者やジャーナリストなどを一人一人、さまざまな研究会やシンポジウムに引っ張り出してきて、東欧諸国が二度と社会主義体制にもどらないように、総力をかけたものだった。そうした学者とペンタゴンの食堂でよく会食した。まさに本来あり得ない状況を、テーブルを囲んだ各人がそれぞれ一種のスリル、一種の恍惚感を感じて談笑していたのだろう。流れる映像を見ながら、そんな時代を思い出した。
日本では今日だけの単なる歴史のシーンだ。しかし、ヨーロッパでは、今日にむけてずっと長期間、さまざまな展示やイベントが開催され、自分たちが自由を獲得し、獲得させるためにどれだけの犠牲を払ったかを思い出させている。歴史を知ることの価値とはそういうものだ。