会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

會津八一 1233

2016-10-27 20:43:10 | Weblog
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日吉館の由来 2009・8・23(日)             

 八一に師事した安藤更生の随筆に「奈良の美人」がある。その中に日吉館の名の由来が書いてある。「日吉館の先代、松太郎爺さんは、このKの家の山番だった。Kの家では松太郎夫妻が感心によく働いてくれるといふので、今の日吉館の後半部の方を増築して、下宿屋を出させてくれた。爺さんは貧乏な暮らしから、到頭一軒の店がもてるやうに出世したといふので、俺は日吉丸が太閤さまになったようなものだ、といふので、店を日吉館となづけたのである」
 このK家の姉妹が美人で、若い安藤更生や上司海雲が心ときめかした話が書いてある。

安藤更生(あんどう こうせい)
 美術史家。東京生。本名正輝。東京外大卒、早大中退。早稲田中学時代から会津八一に師事。八一と奈良美術研究会を始め、のち奈良に東洋美術研究会を創設。「東洋美術」を創刊。平凡社に入社後、中国滞留を経て早大教授となる。1970年没。

上司 海雲(かみつかさ かいうん)
 奈良市生。龍谷大学英文科卒。昭和14年、東大寺塔頭観音院住職。昭和47年、二百六世東大寺別当、華厳宗管長。名筆家、随筆家としても知られる。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。1975年没。