会津八一に関するブログ 128
飛鳥園と八一 2009・1・27(火)
有名な飛鳥園の店主、故小川晴暘(せいよう)の仏像写真は、会津八一に勧められて大正時代に始まった。昭和28年の八一と亀井勝一郎の対談から以下に抜粋する。
「・・・奈良の美術というものを新しい写真で写すということは、非常に大切なことで、世界的なことだと思う。君一つやれと言って、私(八一)が勧めたのです。それが当時の小川君(晴暘)ですよ。・・・ところが寺々では喜ばれない。・・・仏像というものは学者の参考品ではなくて、宗教の礼拝の対象ですから・・・許可できないということであった」
2人は仏像を芸術の対象として粘り強く撮影し始める。試みに撮った東大寺三月堂の2枚ばかりの写真が堂内で売られ、当時の寺の欠損を埋めたために、写真撮影が大きく前進したという。奈良に出かけたらぜひ飛鳥園を訪れてほしい。八一の歌碑もある。
飛鳥園と八一 2009・1・27(火)
有名な飛鳥園の店主、故小川晴暘(せいよう)の仏像写真は、会津八一に勧められて大正時代に始まった。昭和28年の八一と亀井勝一郎の対談から以下に抜粋する。
「・・・奈良の美術というものを新しい写真で写すということは、非常に大切なことで、世界的なことだと思う。君一つやれと言って、私(八一)が勧めたのです。それが当時の小川君(晴暘)ですよ。・・・ところが寺々では喜ばれない。・・・仏像というものは学者の参考品ではなくて、宗教の礼拝の対象ですから・・・許可できないということであった」
2人は仏像を芸術の対象として粘り強く撮影し始める。試みに撮った東大寺三月堂の2枚ばかりの写真が堂内で売られ、当時の寺の欠損を埋めたために、写真撮影が大きく前進したという。奈良に出かけたらぜひ飛鳥園を訪れてほしい。八一の歌碑もある。