日々雑感

残りの人生 こころの趣くままに

終戦記念日。

2021-08-15 | Weblog

これだけの爪痕を残してやっと雨が上がり
さりとて元に復興するのはまだまだ先。

コロナに大水害・・・この先、日本は大丈夫?と
心配ですが、折しも今日は終戦記念日。母が居れば
「あの日を思えば何だって出来る」と言っただろう。

         

もう何年も最後の爆震地、京橋あたりに行くことも
無かったが、今朝のTVで触れていたので思い出した。


子どもの頃は、「戦争痕」と言うだけで“へぇ~すごいなぁ”
と思うだけ。今おもえば 戦後何年も手つかずのままの
京橋・森之宮当たりの爆撃の凄まじさを思えば
「さも有りなん」とおもう。


ひと筋違うだけで運よく戦火を逃れた我が家でも
周りは焼け野原。生駒山がすっぽり見えるシチュエーション
に当時の住民はどうして這い上がったのかなぁと思えば

母の「何だって出来る!」が背中を押してくれます。

因みに終戦時の母は35歳であった








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4 コメント

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Unknown (オールドレディー)
2021-08-16 09:14:51
岡山空襲の戦争体験は、聞いたことが実体験になったようなところがあってよく覚えていません。ちなみに私の母は27歳くらいか? 戦後は苦労したようです。

昨年初、突然、コロナとの闘いが始まりました。平和ボケしていた日本中みんな右往左往するばかり、いつ終息するかまったく目途がたっていません。人の力でどうにもならないから戦争よりたちが悪い!
それに毎年どこかで大きな自然災害が発生、大勢の人が大変な思いをしています。難を逃れたことを感謝して、コロナに感染しないようおとなしくします。
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戦後76年 (sirousagi gamanoho)
2021-08-16 17:14:11
終戦記念日を迎えるたびに、生駒山麓の高台にある本家の屋根に抱かれて上り、大阪市内の燃える姿3月の大空襲を思い出します。
今となっては3歳半での記憶は、大人たちの話も書き加えられ覚束ないものに。
戦後間もない頃の 
身を弁えた暮らしが、いつの間にか「贅沢は自分の甲斐性」と誰もが堰を切ったように好き勝手、毎日がお祭り騒ぎ
経済上昇、利益追求、一人勝ち云々の頭打ちがこんな形でもたされるとは
パンデミックは地球上のすべての人類へのお灸だと
思い、せめて罪滅ぼし、慎ましい暮らしぶりで辛抱という言葉を思い出したいものです。
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オールドレディさま (suri-riba)
2021-08-17 15:57:10
ほんとうに歳と共に記憶も薄れ、またそれで救われる人もいて間もなく「戦争」も物語りとなっていくでしょう。
明治維新から74年であの戦争。終わって76年経てば歴史の一コマに過ぎないでしょう。もう我々が最後の体験者です。
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sirousagigamanohoさま (suri-riba)
2021-08-17 16:13:02
もう健康寿命に余裕が少なくなってきたこの身、孫との二人旅も今年もぱーとなり、つまらない夏休みです

この先コロナも「変異種」として、こちらはワクチン新開発して・・と繰り返してやがて残るのは○○国。
もうかってしたら! 
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