これだけの爪痕を残してやっと雨が上がり
さりとて元に復興するのはまだまだ先。
コロナに大水害・・・この先、日本は大丈夫?と
心配ですが、折しも今日は終戦記念日。母が居れば
「あの日を思えば何だって出来る」と言っただろう。
もう何年も最後の爆震地、京橋あたりに行くことも
無かったが、今朝のTVで触れていたので思い出した。
子どもの頃は、「戦争痕」と言うだけで“へぇ~すごいなぁ”
と思うだけ。今おもえば 戦後何年も手つかずのままの
京橋・森之宮当たりの爆撃の凄まじさを思えば
「さも有りなん」とおもう。
ひと筋違うだけで運よく戦火を逃れた我が家でも
周りは焼け野原。生駒山がすっぽり見えるシチュエーション
に当時の住民はどうして這い上がったのかなぁと思えば
母の「何だって出来る!」が背中を押してくれます。
因みに終戦時の母は35歳であった
この先コロナも「変異種」として、こちらはワクチン新開発して・・と繰り返してやがて残るのは○○国。
もうかってしたら!
明治維新から74年であの戦争。終わって76年経てば歴史の一コマに過ぎないでしょう。もう我々が最後の体験者です。
今となっては3歳半での記憶は、大人たちの話も書き加えられ覚束ないものに。
戦後間もない頃の
身を弁えた暮らしが、いつの間にか「贅沢は自分の甲斐性」と誰もが堰を切ったように好き勝手、毎日がお祭り騒ぎ
経済上昇、利益追求、一人勝ち云々の頭打ちがこんな形でもたされるとは
パンデミックは地球上のすべての人類へのお灸だと
思い、せめて罪滅ぼし、慎ましい暮らしぶりで辛抱という言葉を思い出したいものです。
昨年初、突然、コロナとの闘いが始まりました。平和ボケしていた日本中みんな右往左往するばかり、いつ終息するかまったく目途がたっていません。人の力でどうにもならないから戦争よりたちが悪い!
それに毎年どこかで大きな自然災害が発生、大勢の人が大変な思いをしています。難を逃れたことを感謝して、コロナに感染しないようおとなしくします。