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ギターの練習

2023年05月06日 | Weblog
 クラシックギターを初めてから(実際には再開であるが)3年目を迎えることが出来た。 出来たと言うのはちょっと違う気もするが。 違うというのは、そもそも、途中で投げ出す事は最初から思っても居ないし、逆に今後ギターを辞めるつもりは毛頭ない。 生涯の私のライフワークになった。 
そして、去年まではいろいろなギターに手を出して、なかなかクラシックギターだけではなく、他のギター(アコギ、レスポール、フルアコ、フラメンコ、SGなど)もそれほど熟す事が出来なかった。 それでも、そうした経験は確かに生かされてもいる。 そして、これまでよりもクラシックギターに専念する気持ちが強くなった。 今は2本のクラシックギターを所有していて、どちらもとても気に入っている。 何度も書いているけど、当初は上達する事、難しい曲を早く弾きたいと思う気持ちが先走って、丁寧な練習をする事が無く、難しい箇所もなんとか弾ける程度になったら次に進むことにしていた。 
基礎練習もそこそこにして、譜面と指板の同期も出来ていないまま練習曲を先に進んで弾くだけで精一杯の状態。 実際に確かにある程度までは弾けるようになったし、それなりに難しい、早い曲でも弾いていた。 
しかし、やはりそれはあまり楽しい物ではないと気づいたのである。 
単純に難しい、早いテンポの曲を弾いて、一体何が楽しいのだろうか? と言う疑問があった。 誰のためにそんなに難しい曲を弾いているのか? 自分は何のためにギターを弾いているのか? ギターで何かしたいのか? 
結局の所はギターを弾いて楽しい時間を過ごす事が目的なので、背伸びをして、まだ本当の実力が無い状態で難度が高い曲を弾いていても、やはりそれほど楽しいと感じる事はない。 
もちろん、ある曲を弾きこなす事が目的だったとして、ではその曲に到達するまでには何をどのような練習、どのような曲が弾けるレベルになったら弾けるのか・・。 それは本当に未知である。 何しろ、ギターなどの楽器のレベルはまさしく、個人的なレベルの問題であるからだ。 
どの曲が弾けるからこの曲が弾けると言うことは出来ない。 
仮に同じレベルの曲ならスラスラと譜面を見ただけで弾けるのか? いやいや、それはプロでも難しいだろう。
初見の譜面をスラスラと弾きこなすには相当高いレベルの技術や知識が必要である。 私の今のレベルでは到底不可能な話だ。 譜面の音符と指板の位置関係もまだ把握していないようなレベルでは、曲を覚える、弾く事だけでも、音符と指板の位置を確認して、音を確認して、さらには運指も確認して、さらには押さえる事が出来るように指を届かせること、素早く移動出来ることが難しいのである。 
いわゆる、素人はこの程度のレベルの人が大多数で、私が通っている講座の人達もほとんどが譜面の音符と指板の位置関係を一つづつ拾って確認しながら、曲を理解して居るレベルである。 
これは本当の意味で音符を理解したり、解釈したり、指板の位置や音階と曲とが同期出来ていないのである。 
最低でも、譜面の音符が即座に指板に落とし込める程度の技術と言うか、それぐらい練習したり、知識を持っている事が条件なのである。 と理解したのである。 今は初級レベルの曲を何度も繰り返して練習して、音符と指板が完全に即座に同期して、指がその位置を確実に押さえ、爪弾く事が出来るまで記憶に刻みつけ、指に覚えさせ、音符を観た瞬間に指が押さえる事が出来るレベルになりたいと練習している。 運指に関しても、最初曲を練習するときには気づかない運指も、スムーズな動きで弾く事が出来る運指を見極める事を意識して居る。 これは何度も弾いて居る間になるほどと気づく箇所がいくつもあるのである。 あ~~、ここはこの指を残して、他の指を順に移動する方が押さえやすく、楽でスムーズな音の繋がりになる。 
そうして曲を繰り返して弾く事はとても重要な事であると気づいたのである。 
これは以前にはあまり気にする事が無かったことで、先走って練習する方に意識が優先していたのだろう。 
今はそうした意識をなくして、ともかく、易しい曲を丁寧にひたすらスムーズに限りなく無駄な動きをなくして、音が綺麗に繋がる事を意識している。 
そうした丁寧な練習は他から観るととてもつまらない練習に見えるが、実はこうした練習は凄く楽しい。 何よりも、自分が気づかない物を手に入れる事が出来た喜びがあるし、教えられる以上に自分でそうした物を発見していく事はそれ自体が楽しいのである。 弾ける弾けないは別の話だ。 
さらには、最初はどうしても無理だと思っていた運指や押さえも徐々に出来るようになると、それだけ上達しているのだと実感することが出来る。
まっ、この点は当たり前の話なんだと思うが、ある意味では飽き性の私には何度も同じ曲を練習する忍耐が足りないので、こうしたより丁寧な弾き方や音色に注視して練習することが必須なのだと実感している。
同じ曲の同じ箇所を何度も繰り返す練習は確かに忍耐が必要だ。 どうしても人間は同じ事の繰り返しは飽きるし、慢性的になるし、集中力が無くなる。 
でも、それは弾ける弾けないに関係なく、人間の煩悩なので、致し方ないのであるが、そうした慢性化する意識を新鮮な物に変えるような練習をする必要があるのである。 なので、繰り返す事は同じだが、注目する視点を変えることにしているのである。 同じ箇所を練習するときでも、指の位置、早さ、音符の繋がり、指板の位置関係、次の音符を弾く時のタイミングなどに視点を移しながら練習するのである。 
そうすることで、同じ曲でも何度も練習する意欲を維持することが出来る。 もちろん、練習は1曲だけを1度に弾いて居る訳でもなく、数曲を順番に弾いて居るのであるが、それでも、数日すると当然だけど飽きる事は間違いない。 飽きたら練習にモチベーションが持てない事になるので、数曲を練習しているのであるが、1曲ごとにそうした違う視点から思考しながら弾くのである。






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