summer diary

日記らしきページ

知多四国結願・・・興正寺

2018年05月12日 | Weblog

 今日も最高の天候になった。 風もほとんどない暖かい日だ。 夕方から天気は下り坂の予報になっているけど、今はまったくそんな気配は感じないほどの好天気。 午後からは汗ばむような気温になりそうだ。 昨日から妻は京都の親戚の家に妻の兄弟と一緒に泊りで行っている。 親戚の叔母が亡くなったので、通夜、葬儀に出席するために昨日の午後から車で出発した。 ここから高速道路を使用して京都までだと凡そ2時間30分ぐらいだろうか。 休憩を入れると3時間近く掛かるかもしれない。 

息子も朝から仕事で出かけてったし、今は私一人で家に居る。 朝から洗濯物を2回洗濯して干し終わり、片付けなどを終えたところだ。 せっかくの天気なので今日は自転車で出かけるつもりでいる。 昨日はグロムで八事山 興正寺へ結願の参拝をして、御朱印を頂きに行って来た。 ここからグロムで50分程度で到着できた。 有料の駐車場があるので停める心算だったけど、ゲートでチケットの発券が出来ず、(バイクは反応しないみたいだ)入り口の広い場所に停止させた。 特に通行に支障が出るような場所でもなく、このお寺自体が相当な大きさでもあり、問題ないだろう。 実際に停めていても特に何も問われることもなく、参拝を終えることが出来た。

境内に入って行き、どこから参拝したらいい物やら・・・。 とりあえず、本尊だろうと思われる所を最初に参拝。 その横に納経所があったので、中へ入ると御朱印を貰える所だった。 女性の方に御朱印を頂きたいと言うと、奉納帳を出してどこに押しましょうか?と問われたので、奉納帳の最初にページに奥之院の御朱印、もう一つは最終ページに本尊の大日如来の御朱印を押してもらうことにした。 210年の記念御朱印も押して貰えたのは良かった。 しかも、この御朱印は納経帳には無いお寺なので、全て手書きで頂くことができたのだ。 しかも、手書きでも1か所100円の御朱印代だった。 2冊で4か所だから400円である。 これにはちょっと驚いた。 通常は手書きの御朱印は100円では頂けないことが通例だ。 もちろん、次回からは御朱印のみを頂くことになるので、ある意味では当然かもしれないけど。 何しろ、これまで御朱印を頂きに廻っているお寺とはその規模が違い、敷地の広さは相当なものだ。 境内にはエスカレーターまで完備されていて、足腰が悪い人にも配慮されているのは驚きだ。 本堂、普照殿と参拝して御朱印を頂いてから諸堂図を頂き奥之院までの道順を確かめて、私はエレベーターを使用せずに階段を上り、能満堂で参拝、墓地の中を通り過ぎて大日堂、弘法堂、奥之院では不動護摩堂、東山本堂の順で参拝して再び中門に戻り、バイクの停めてある場所へと戻った。 

これは中門から五重塔が見える所から撮りました。

能満堂から五重塔を眺める所から撮りました。

 

園照堂の前には水が滝のように流れていて、すがすがしい感じです。

 

法羅陀浄苑から登ってくる階段です。

この日は参拝者も少なく、ゆっくりと歩きながら参拝することが出来ました。 心が落ち着くとても良いお寺だと思います。 次回からは知多四国遍路が一巡した時には必ずこのお寺にも参拝して御朱印を頂きに来ることにしようと思っています。 家からも一時間程度で来ることが出来るので、次回も春の陽気が良い時に来たいと思います。 もう一つ結願のお寺が覚王山の日泰寺である。 このお寺にも足を運んでみたいと思っているので、近いうちに行こうと思っています。 やはり、こうして一巡毎にその証として参拝するのが良いだろうと思います。 もちろん、それは絶対ではないし、自分が気に入っているお寺を何度も参拝する事も良いと思いますし、仮に私もそうですが、島へはなかなか行けないので全てのお寺を廻ることが出来なくても、自分の節目として結願するのも良いと思います。 今回も二冊持って行きましたが、今年新調した納経帳はまだ日間賀、篠島のお寺には参拝していません。 それでも、絶対に行くことにしているので、今回はその前に結願の意味で御朱印を頂くことにしました。 まっ、御朱印はある意味では自己満足と言ってしまえばそうなので、特に御朱印を頂かなくてもお寺に参拝して心を清めること、願いを込めることもあるでしょうが、それ以上に本来、煩悩を無くし、少しでも釈迦に近づけるようにお参りをして、弘法大師と同じようにお遍路をすることで生きることの意味や今ある姿を見つめることで自分を見失うことなく、誠実に生きることが大切だと思うのだ。 何のためにお遍路をしているのだろうか? と自分に問い質す時に、私は当初はバイクで行く目的地に過ぎなかったのだ。 今は何度もお参りを重ねているうちに参拝することで心を清め、自分を見詰め、出来る限り邪念を自分の中から無くし、人だけではなく、周りにある物の全てと共存して生き、あるがままの自分を愛することが出来るようになることが最も大切な精神を生むことが出来る根源だと思うのだ。 自分に嘘をつくことはもちろんだけど、誰かに嘘を付いていたり、誰かを恨んでいたり、何かに不満を持っていたり、いつも満たされない気持ちなどを抱いていたりする間は本当に自分を好きになれないのだ。 自分を好きになれない(愛することが出来ない)以上、他人を愛することも出来ない。 なぜなら、全ての物は自分自身だからだ。 この世の存在は自分の目に見る物、触れる物、聴くもの、感じる物であるからだ。 

さて、以前から一度は参拝したいと思っていた興正寺にも行ったし、これからもお遍路はこの身体が動く限り続けることにしたい。 これからもグロムは私のお遍路の大切なパートナーである。 このバイクはお遍路をするには最適な私の足になってくれている。 今後も大切にしていきたい。 次回6順目は梅雨明け後になるだろう。或いは、真夏はちょっと無理なので9月を過ぎたぐらいになるかもしれないな。 それまでは気になっているお寺や神社にグロムで出かけようと思っている。

 

 

 


最新の画像もっと見る