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成人の日・・・成人って?

2018年01月08日 | Weblog

 1月弟2月曜日は成人の日で祝日だ。 今日は朝から雨が降っていて、一日中降る予報。 月曜日の今日、成人式をする市もあるだろうけど、ほとんどの市では昨日の日曜日に成人式が行われている。 この東海地方の私の市でも昨日が成人式だった。 今朝のTVニュースでも昨日の成人式の取材模様を伝えている。 特に取り上げられているのは毎年恒例になっている風潮があるが、ド派手な衣装に身を包んだ20歳の若者達。 九州地方ではその派手さは特に近年になって有名?? だ。 私の市でも一部の若者は派手な衣装で式典に出席する物もいるようだが、衣装だけならいいけど、式の前に酒を飲んだり、喧嘩したり、騒ぎを起こしたりなど・・・。 特に北九州の成人式ではいつもながらだけど、毎年のように大騒ぎを起こして問題となっている。 TVでのインタビューに答えるド派手な衣装を着た若者は、10代最後なので、たった1日のために40万~200万円もする衣装を特注して居たりして、なぜそんなに成人式に熱を入れるのかが理解できない物もあった。 さらに、式に出席する前に酒で酔って泥酔するような状態で成人式に出ること自体がすでに大人になれない証拠だろう。 成人式は単なるイベントではない。 しかも、最後だから・・・誰よりも目立ちたいなんて意識はそれこそお子ちゃまの発想でしかなく、成人式に出席する資格すらないような気がする。 本当に大人(成人)になってから式に来てもらいたいものだ。

外観をどれほど派手に着飾ってもそんなのは一瞬のお笑い種でしかない。 本当に目立ちたいなら社会人として社会から称賛される仕事を熟すことが本物の目立ちなのだ。
自分から目立つのではなく、目立ってしまうほどの仕事を達成する人は嫌が上にも注目されるのだ。 それは別に20歳という枠には関係なく、去年には中学生のプロ将棋士の藤井4段がそうだろう。 もちろん、その他のアスリートなども年齢には関係なく、メディアに取り上げられる存在になっている若い人は多い。 派手な衣装だけで注目されるのはその会場に来ている人だけ。 逆に空しいのではないだろうか? 井の中の蛙以下の存在に成り下がってしまっている自分を感じないのだろうか?

その中でも沖縄の成人式は感動するものがあった。 両親に会場で20歳になった自分の姿を見せ、20歳まで育ててくれた両親に感謝の気持ちを伝える様子は感動する。これから大人になり、両親から離れて(同居していても、精神は独立した大人だと言う意識)生きていくことへの覚悟と意気込みを感じさせられた。 本来なら成人式は祝祭ではなく、子供からの卒業式だと言う意味があるのだと思う。 成人として、今後の長い人生を生きていく覚悟をし、社会人としての良識を持ち、長い人生への出発点に立ったと言うことだ。 それぞれの希望や夢に向かって親から離れて、広い世界へと航海する船出なのだ。 くじけそうになった時には両親や兄弟や、友達や先輩や先生に頼ればいいのだ。 そうして本物の大人になることが出来て行き、結婚して伴侶を持ち、子供を持ち、子供を育て、やがて自分の子供達も成人する日が来るのだ。 

成人式をちゃかして、単なる個人的なパフォーマンスをする場所として勘違いするのはあまりにもアホのやることだとしか言いようがない。 市なども成人式のあり方をもう一度考え直す必要があるのではないか? 別に、市長や政治家や著名人の話を長々と聞く場でもないけど、少なくとも、20歳まで育ててくれた両親に対して感謝の意を示し、その両親の思いを裏切らない自分の姿を示して欲しいと願っている。 成人式と言う式典で、自分の大人としての今後の決意をしっかりと認識することが出来る切っ掛けを作る場所にして欲しい。 

さて、今日はこんな天候なので、もちろん洗濯も出来ないし、昨日中にしっかりと洗濯物は片付けたのでする必要もないけど。 今日は月曜日だけど、祝日なのでジムがあるので、今日は午後からジムで汗を流す。振替で明日はジムは休みになるので、今日は絶対に行く予定だ。 午後1時まではたっぷりと時間もあるし、少し絵を描こうと思う。 デッサンは少し休みにしている。 今は自由に自分の絵を描こうと思っている。 自由な線、自由な色、自由な空間を意識の赴くままに描こう。 自分自身のために描く絵であり、他人の評価などは一切関係ない。 私個人のそれは日記でもあるだろう。 言葉では表現できない私の精神の表情だ。 私の感性を紙の上に写し取る作業だろう。 60歳になって、成人からすでに3倍の年月が過ぎた。 いろんな出来事があり、いろんな経験をしたけど、今でも20歳の精神は私の根底には残っている。 それは死ぬまで変わらないだろう。 人間の基本的な人格は20歳までには完成されていると思う。 知識や常識や社会的な地位や家族や生活環境は変化しても、根本的な自分と言う人間の意識は普遍的だと思う。 人に対する意識、正義、優しさ、考え方、行動力などはほとんど変化するものでもない。 20歳までにどれほど自分を鍛えることが出来たのかが、その後の人生が決まるのだ。 別に、社会的な地位の上下ではない。 有名、無名なんてことも関係ない。どれほどお金を持っているかでもないし、生涯収入でもない。 仕事に上下の位置関係は無い。 友達の有無でもないし、ましてや人脈が多いとか少ないとかもまったく関係ない。 

どれほど本当の自分に対して忠実な生き方をすることが出来ているのか・・・。 これが全てだ。 これこそが幸せでいることが出来る唯一の真理なのだと思う。

 

 


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