summer diary

日記らしきページ

違和感は拭えないかな

2021年06月18日 | Weblog
 今日の午前中に書いている大阪なおみの件で、追記です。
今日の正午近くのニュースで大阪なおみが東京オリンピックに出場することを楽しみにしていると言う会見が放送されていた。
満面の笑みを浮かべて、オリンピックに出場する旨を伝えていた映像を見る限り、「うつ病」はやはり、単なる言い訳の口実に過ぎなかったのだと確信できた。
結局、大会を棄権した行為(SNSでの発信の訳)は、本人の我がままでしかないと言う事がこの東京オリンピック出場を意欲的に表明した事だけでも分かる。
大阪なおみファンやどんな事があっても、彼女の見方であると言うような、盲目的なファンは別として、客観的に考察すると、いかに彼女の今回の振る舞いは、プロアスリートとして、同じ土壌で戦っているアスリート達にも悪い意味で、影響を与えてしまった。 
これが、ランク的に100位以下の選手の発言ならだれも大きな反応は見せないし、同意するような発言は無いに等しいレベルだったろう。
彼女が犯した今回の行動は、とても罪深いと私は思って居る。 
世界レベルのトッププレーヤーが取るべき態度ではない事は、明らかだし、何よりも、大会主催者達の多くの努力を踏みにじる行為となる。
さらに言えば、これによって、家族やサポーター、監督、コーチ、トレーナーなどへのバッシングなども考慮する必要があったし、こうした、彼女の努力だけでは達成できなかった周囲の努力を踏みにじるような行為となったことも間違いない。 
こうした、若い頃からその道以外には目に入らないような環境で育った人間が犯す過ちに似ている。 
例えば、全く立場が異なるけど、秋篠宮家の眞子さまも同様な気もする。 
何不自由のない環境で育ち、さらには、両親も所謂生活事体の経済的な問題なども何もない環境であり、一般的な子供とは一線を画しているような生活環境で育った人は、どうしても、いろんな世間の常識と言われるような視点を持つことは難しい。 小室圭さんとの婚約にしても、あれだけ、無視を続けている彼をどうしても諦められない性格? それとも、何か洗脳されている?もっと言えば、一旦決めた相手に印籠を渡すような勇気もないし、もっと、言わせてもらうと、身体を許した相手だから、最後まで付いていくと言う感覚。
処女を与えた相手への盲目的な信頼を捨てきらない。 これは、一般の女性でも見かける事があるが、これは全く世間や、男女と言わず、人間関係を柔軟に対応する能力の欠如からなる、意思の虚弱性だ。 

世の中は自分が想像しているよりは遥かに広く、遥かに謎めいている。
さらに、未来は想像を超越している所に存在していて、予想は間違いなく外れるのである。  これは現実を現実として受け止める時に必須の精神的な対応である。 想像と現実、理想と現実とのギャップを素直に認めて、そこから、最善の道筋を導きだす能力こそが、大人としての人生の生き方だ。
彼女(眞子さま)はそうした能力に欠如しているだろうと思える。
彼のこれまでの社会に対する対応や、秋篠宮家に対する対応、さらには、親である母親の対応などを見るだけでも、信頼の欠片すら感じる事が出来ない。 
彼の行動は到底、普通の男子の行動から想像しても、あり得ないとても無責任な行動だし、この親も同様な行動を鑑みると、とても結婚相手としては選択するような人物ではない事は明らかである。
にもかかわらず、未だに明確な態度を示していないのは、彼女(眞子さま)はどのような教育を受けていたのか? 自分を大切にする事は当然だけど、もっと言えば、本当に自分を大切にするなら、もっと早期の判断として、彼との破断を決断している事は当然の事だったはずだ。
今後も日本の国民は何が合っても、小室親子との関係を絶対に容認することはない。 もちろん、彼女を擁護する人々は、彼女の立場や皇室の人間として見ていない。 一般的な人間と比較する感覚だろう。
もちろん、彼女も単なる一人の女性だ。 しかし、それは我々一般市民とは、生まれた瞬間からその次元は違う。 
その事を認識出来るだろうか?  そうした教育をしてきただろうか?
人間が自由であることは間違いない。 しかし、本当に自由に生きている人間がこの世にどれほどいるのか?
私もそうだけど、自分の意思を100%満たすような人生なんてありえない。
人間には様々な柵もあり、さまざまな環境下で生き抜くために努力する必要があるのだ。 誰もが、自由で、制約のない結婚が出来ているだろうか?
さらに、100%の自由意思で結婚した人が本当に幸せなんだろうか? 幸せの生活を実現しているだろうか?
人間は自由を謳歌するために生まれて来たのだと言う認識は大きな間違いで、逆に人間はこの世で学習するいろんな困難に対応する能力を学ぶために生まれたと感じることの方が、人生はより充実した生活を持てるのではないか?
私はこれまでも、いろんなコンプレックスだけではなく、経済的な事が要因で断念した事柄が沢山あるし、それが、誰かのせいだとも思わなかった。
それは、人間が生まれた時は誰でも平等ではない事。 生まれた瞬間から、環境や、生活レベル、経済的な差、親の教育への意欲や、育てる能力違い、もっと言えば、そもそも、生まれた時から素質や才能の違いは、どうすることも出来ない現実的な物だと理解出来た。 
なので、自分の人生がどのような物になったとしても、それは自分の個性であり、そこからしか生まれない幸せを感じる実生活は必ずあると確信している。
今も私はこの年齢になっても、ギターの上達に意欲を燃やしているし、筋トレで今後も若い時と同様な体形、筋力、筋肉を保持できると思って居る。
もっと言えば、今は特に懸念するような材料はない。 自分のある程度好きな事を出来ているし、経済的にも特に不安が有るわけではない。 
今後もこの生活を維持することは何も難しいことではないし、今はとても満足する生活状況である。
これは、特に努力して来た事ではなく、普通に生きていれば、おそらく誰もが手に入れる事が出来るレベルの話だろう。
妻との関係も今も悪くないし、子供との関係も良好だ。 
生活レベルはごく普通だし、経済的な苦労なども何もない。 当然だけど、贅沢な生活をする事特別ないし、ブランド品を身に着けるような豪華な生活もない。 旅行も特に贅沢するようなこともなく、一般的なリーズナブルな旅行を年に1,2回程度する程度である。
それでも、今は休日にはギターを好きなだけ弾き、好きな酒を飲み、食べたいものを食べ、たっぷりと睡眠を取り、筋トレを週3回程度して身体を鍛えて、健康維持に努めると言う日常を過ごしている。 
これ以上に何か欲しい物なんて今は無い。 2年後ぐらいには、フルアコでも買いたいと思って居る程度だろう。 
話がズレたけど、大阪なおみ、眞子さまもある意味では共通点がある。
それは、少なくとも、周囲の意向を理解出来ない事、世間的な常識が無い事、多角的な視野の欠如。盲目的な自分の感情を最優先する幼い感情。 
もちろん、これが、ある意味で、天才的な芸術家が密室で作品を制作するような事なら問題はないだろう。 しかし、少なくとも、自分以外の人間との関わりが生じるような立場にある以上は、最低限の人間としての常識を養うことは、当然の責務だろう。 



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