summer diary

日記らしきページ

寒い朝

2018年02月25日 | Weblog

 今朝は陽ざしも無く、寒い朝を迎えている。今日一日は曇り空が広がり、気温も上昇する気配はない。天気予報通りと言えばそうなのだ。今日の天気予報を見て、昨日は洗濯物をしっかりと洗濯をして終わらせたのは正解だった。 今日は最低最高気温の日なのだそうで、すでに120年も前になるけど、北海道の旭川で-41.0を観測史上最も低い(もちろん、日本で)気温だったらしい。 それにしても、-41.0度?? これはもう日本と言うよりは南極じゃないかと思うような気温だろう。 この東海地方では-2度ほどでも最低気温だ。 今年はまだ積雪も無く、去年は早朝に一度だけ積雪があり、朝の通勤時間帯の道路は渋滞となり、交通機関などの遅延や欠航が相次ぎ、通勤する人にとっては大変な迷惑となる雪となった。 今年はまだ積雪による交通渋滞や公共交通機関などへの影響は聞かれていない。 まだ、2月下旬だからまだまだこの先は解らないけど、近年では3月に入ってからの積雪はこの地方ではあまりないのではないだろうか? 私が子供の頃は3月でも雪が降ることはあったし、一冬に雪が降ることは何度もあり、積雪も相当な量だった。 雪が降ると体育の授業は雪合戦だったことも覚えている。 この地方でもその頃は冬に雪が降るのは当たり前だったし、子供の頃には雪が積もるのも楽しみにしていた。 学校への登校下校時にも雪合戦をしながら帰宅することも多々あり、手袋がびしょ濡れになって帰宅するのだ。 この田舎の小学校の通学路はほとんどが田んぼ道だったので、下校の際には田んぼや狭い川などに入ってカエル、ドジョウ、フナ、ザリガニなどを採りながら帰ることも普通だった。さらに、セミ、トンボ、蝶々、クワガタなども林や森に入って行っては捕まえて帰宅するのだ。 冬は田んぼの積藁に登ったり、川を飛び越えたりと何しろ走り回っていた記憶がある。 帰宅してからもすぐに外に遊びに出かけて行き、夕暮れまで家に帰ることも無く遊んでいたのだ。 私が小学校の頃は帰宅してから遊ぶ場所が決まっていて、近くの松林や神社、少し離れた場所には自転車で出かけて行き、森の中にいろんな遊ぶ場所を自分たちで作り上げていた。 あの頃はその場所に行けば必ず数十人もの子供が集まっていて、缶けり、かくれんぼ、鬼ごっこ、ボール遊び、メンコ、縄跳び、秘密基地もあり、いろんな遊びを沢山の子供と一緒になって共有していたのだ。 もちろん、結構危険な遊びもあり、時には骨折するような大怪我をする子供も居たけど、そうしたときにはすぐに病院に連れて行ったり、大人に連絡して助けて貰う事も忘れてはいなかった。 5,6年生達が常に下級生の面倒をしっかり見ていたし、喧嘩などの争い事なども中立的な立場で解決することも出来ていた。 

今はそうした遊びはほとんど無くなってしまったようで、屋内でゲームやカードなどで遊ぶことやネットでのバーチャルとして人と付き合う子供が多い。 大人も子供達が怪我をするような遊びを禁止したり、衛生上に気を遣いすぎていて、自由奔放に子供達が遊ぶことを制限するようになった。 本来は子供同士の喧嘩や遊びの中で真剣に相手と対峙したり、仲間同士の信頼関係を築くことを自然としていたし、どれぐらいなら怪我をさせないのかも把握してした。 そこにはいじめは存在しなかったし、必ず仲間がいて、何かあれば仲間が後ろにいるという安心感もあった。 体力や運動神経を試すような遊びなどでも、失敗して川や池に落ちた子供を即座に仲間が助けることは当然だったし、出来なくてもその子を非難するような事も無く、むしろ、勇気を出して挑戦したことを讃えることの方がほとんどだったので、出来ない子もいつも一緒に遊びに来ることは当たり前だった。 出来ない子は今度こそ出来るようになって見せるのだと何度も挑戦して、やがて成功する日が来るのだ。それをみんなが褒めることも忘れないのだった。 少々の傷なんかは日常茶飯事だったし、毎日服がドロドロになって帰ることなんて普通の事だった。服の破れを縫ってあることも普通だったし、大きな継接ぎをしている子も少なくなったのだ。 どんな服を着ているかなんてどうでもいいし、別になにも気にもしなかったのだ。 逆に綺麗な服なんて着て居たら気になって遊べないし、また、新調の服を着ている子も汚れることを気にする様子も無く、その日のうちにドロドロになって帰るのだ。

今では私は60歳を超える年になったけど、あの頃の遊び心は忘れていない。 自由奔放な気持ちは少し衰えたかもしれないけど、何かに挑戦する気持ちも持っているし、正義に対する信念は変わることはない。 今はバイクでお遍路をして、ジムでのトレーニングで筋力を鍛え、こうして毎日ブログで日記も書いている。 さらに、来月からはいよいよ新しい仕事にも就き、60歳からの人生の再出発をすることになる。 何歳まで生きることになるのかはわからないけど、何歳になっても、自分に正直に生きることが出来ればそれが最上の幸福だと思う。