私は失語症です(脳出血により失語症にかかり、克服したい)。

映画・美術館・料理・コンサート・短期旅行・一年に一度(?)海外旅行etc.種々雑多。

友人の心配り・・・感謝。

2007-01-27 22:50:05 | Weblog

 中学校以来の友人の Ⅰ君が迎えに来た。彼の家に一晩泊まって少し身体を休めたほうがいいのではないかと来てくれたのだ。父や弟妹達も快く送り出してくれたので苅田の彼の家へ行った。 

 彼の奥さんは料理はプロである。食卓の上には様々な手料理が並んでいた。Ⅰ夫妻は酒を酌み交わしながら母の死を慰めてくれた。
 何より、彼らの子供達がそのまた子を連れて来てくれていた。小さいときからよく知っているので、まるで自分の甥や姪っ子のような感覚である。前回遊びに寄ったときは、まだお腹の中にいた子が二人、一歳半の一卵性の双子の女の子。見分けがつかない。
 美味しいご馳走、成長し立派なお父さん、お母さんになった子供達とにぎやかなチビ達に励まされた一夜だった。

 

 (地獄めぐり)  坊主地獄  シャッターチャンスはバッチリ!

 

  近くにいい露天風呂があるから明日皆で行こうと誘ってくれた。翌朝は彼が父と共に最近建てた Ⅰ家のお墓に94歳のお父さんと一緒にお参りに行く。
 そして別府へ。時間が限られているので地獄めぐりは坊主地獄と海地獄のみ見学。明礬温泉の露天風呂で身体を温める。湯の温かさと友の心配りに目頭が熱くなった。
 帰りの車中は思い出話に泣いたり笑ったり・・・・。それにしても Ⅰさんの奥さんオーケストラの演奏会が恐ろしく苦痛だったとは知らなかった。今だから言える話だと告白したのだ。(たまには恋人の趣味にも付き合わないと・・・全員大笑い)
 海老津に向かう車の中で歌った思い出の歌「空に星があるように」は青春時代の思い出が詰まっている大切な一曲だ。

 海地獄。 きれいな水色

 久しぶりの温泉、やはり湯は露天がいい。

 

 

 


母の死

2007-01-25 15:40:29 | Weblog

 14日の早朝、電話のベルが鳴った。 電話に出たら妹の様子が変だったので、すぐに女房に代わった。 そして女房から母の死を告げられたが実感が無い。                         
 急ぎ九州の実家に向かう。途中妹や弟と連絡を取り合い、友人の助けをかりて母の遺体を安置している斎場に着いて棺の中の母に会った。静かな顔で眠っている。


 「お袋、起きろ」と声をかけたが目を閉じたままだった。夢の中の出来事の様に時間が進む。 翌日葬儀を執り行ない、いよいよ出棺の時になったら母との別れが本当の出来事として心に受け入れられた。途端に心の中に大きな悲しみが込み上り、私は泣いた。遺骨となってしまった母を車の中で少しだけ抱いた。両手でしっかり抱いてやりたかった。悲しかった。親不孝と心配ばかりかけた事を母に詫びた。

 母は、辛抱強く穏やかな性格だった。いつも笑っていた。老いても可愛らしく、いつも優しかった。

  母への別れの言葉は、「心に生きつづける」。


謹賀新年。

2007-01-03 20:31:35 | Weblog
 「新しい年」を迎える時、大掃除をして家の内も外も清め、玄関にはしめ飾りを飾り門には門松があったはずなのに、街中は、いまだにクリスマスのイルミネーションが輝いている。正月気分は味わえない。

 2日に孫が来た。新年の挨拶をしてお年玉をわたす、この時だけがお正月の気分。孫の希望で近くの羽村動物園に行った。
 福袋とバッジを買った。なぜか今回は動物はそっちのけで園内の広場で走り回って遊ぶ。園内の放送で閉園時間の放送が流れた途端、「まだペンギンさんも猿もキリンも見てない。」と言い出し、駆け足で動物達に何やらあいさつ?をしていた。

 夜は近くに出来た「ホルモン長者」に行った。

 今年もマイペース。旅にも出たい、絵も描きたい。いい音楽もたくさん聴きたい。ボランティアにも参加する。とにかく自分のペースで好きなことをやって行くつもり。