下腹部の腹痛を起こした。痛みはそれほどひどくはない。それで女房と一緒にリサイクルショップに行き用事を済ませて家に帰ろうとしたその瞬間に猛烈な痛みが襲ってきた。「あの痛み」にそっくり!
私は、13~14年前、単身赴任で京都にいた。ある時、会社で夕方に腹痛を起こしたが、経験した事のない激痛で、すぐ近くの赤十字病院に行って症状を訴えた。医者は聴診器をあてて見たが、若い医者は「どこも悪いところはない」と言った。翌日、向日市の有名(?)な病院でも点滴しただけで終わってしまった。2~3日すると治まった。
それから13~14年、「あの痛み」を感じ、その後、激痛が襲って来た。病院は、すぐなので女房の車で走りこんだ。手続きをする間にも、痛い!痛い!を叫び続けた(情けないなぁ!)。
CTスキャンやX線撮影の結果は「虫垂炎とそれに伴う腹膜炎」と分かった。私は右半身麻痺なので、虫垂炎の痛さが分からなかった。それで腹膜炎を患ったと思った。
私は麻酔をかけたからよく分からないが、無事、終わったようだ。
主治医。
そこからが大変だ。一日目~三日目には傷口が痛んだ。欠伸や笑い声は傷口に痛む。丁度、この頃、娘が孫達を連れて来た。笑い声は傷口に痛むと言うのに、孫達は一生懸命、私を笑かそうとした。
三日目には、水が飲めるようになった。医者は小水の管が外すと言った。これで一歩前進。それでも体の中には、四本の管が通っている。点滴が腕に一本、これは電解質液(塩と砂糖?)と抗生物質。それと、開腹手術の跡の間近に、三本の太い管、ダグラス(?私は女性でないので、膀胱直腸)窩ドレーン・傍結腸溝と皮下組織排液。
三日目から痛み止めの薬を飲んで寝た。四日目になると、ガスが出て、午後になると水の様な大便が出た。日に日に回復したが、毎日、日記と絵と本と、それから看護師に付き添ってもらって短い散歩。
初日から六日には、ずっと点滴だったが、七日目には、やっとスープが出た。何の変哲もないスープだったが、染み渡ったし、美味しかった。皮下組織排液と傍結腸溝の管が外れた。夕食はスープと重湯とジュースが出た。他の人が「まずい」と言うが、私はやっと七日振りに御馳走を食べたと言う満足がある。
十日目で、ダグラス(?膀胱直腸)窩ドレーンと点滴が「やっと」抜けた。これですべて抜けた、万歳!!!!!12日目には「やっと」シャワーを浴びた、あぁ、気持ちがいい!
八日目~から重湯から三分粥・五分粥・全粥、そして9月から待望の御飯。
痛い!痛い!と叫んだ私が、最初にあった看護師(あとで聞いた)。
看護師達、このほかにも大勢の看護師や医療事務・ベッドメーキング係・掃除係・三度々々の食事の部屋に運ぶ係、等々、色んな人々にお世話になった。特に、看護師たちは、入院で暗い雰囲気を明るくさせた。
私はあまり喋れない(失語症)ので、彼女達が、手術の経過は勿論のこと、普段の事、例えば、普段は昼食はどうしてるの?や、本は何を読んでいるの?や、脳出血は何年前に倒れたの?等々、聞いてくれた。ナイチンゲール達はみんなかわいい。
入院中、描いた絵。