2002年2月、私が倒れた。2010年3月、知人が倒れた。私と同じ脳出血、右半身麻痺で失語症。今度は、同じ仲間で、反基地闘争や沖縄も行った事がある知人が倒れた。それが、脳梗塞。別の知人の言うには「三人共、脳卒中なんてねぇ!」と。
誕生日は一日違いで、毎年、誕生会を開いているが、今年は病院でやる事になる。この知人は、糖尿病を患っているので、本人は除いてケーキを食べよう。
2010年3月ブログ
【友人が倒れた。私と同じ、左脳内出血で右半身麻痺・失語症だ。私の女房が友人の奥さんに電話をした。今後についての相談をした。本人よりも付き添いの人(この場合は奥さんと女房)が大変だ。私は、手紙や「ボイスノート」・「ScanTalk」(失語症のリハビリの道具)の準備をしている。
私が倒れ、入院していた時、同じ病室の中に、話をする人があったので、半身麻痺と失語症は、「あぁ、治るのかなぁ」と思っていた。それから、七年、今度は友人が倒れた。今度は私達が「ぼちぼち」と「少し頑張れよ」と言う番だ。】
父が、老人ホームに入った。
90歳で認知症が、わずかにあるが、近くに住む弟や妹の見守りで、一人暮らしていた。喘息や心臓病の持病があり、主治医から、これ以上は一人で暮らすのは無理だと言われ、ケアマネージャーの紹介してくれた施設を見に行ったら、家からも近いし、父も気に入った様なので入居することになった。
私は、時々、父宛に絵手紙を出している。早速、ホームの住所に絵手紙を出した。
「リハビリのつもりで返事を書いて下さい。」と、葉書に書いた。
この頃は、便りをするペンを持つこともなかったので、返事は、期待していなかったが、先日、ホームでの様子を知らせる父の葉書が届いた。嬉しかった。
これを機会に、また、ペンを取って、90歳の老人の想いを伝えて欲しいものだ。
初めて、ケンタッキーフライドチキンの店に入った。丁度、昼過ぎだったのでサンドカーニバルを食べた。私は右半身麻痺で盆を持てないので、店の人が運んでくれた。
毘沙門天管弦楽団の名前の由来は、「東京都交響楽団コントラバス奏者の上杉隆治先生に指揮をお願いし<略>。上杉先生はかの上杉謙信公に所縁あるお家柄だったことから、毘沙門天の名前を拝借し団の名称<略>。」だそうだ。
ブラームスの交響曲第3番は、一楽章のEinsatzが揃わないし、ブラームスの重厚さが、弦も管も足りない。
それに引きかえ、エルガーのエニグマ変奏曲は、大空に飛び立つような自由な音の響きが心に響く。殊に、コントラファゴットやチューバは、音程は勿論、強い響きが残る。
アンコールは、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番 だったが、特に、弦が堂々として気持ちが良かった。
トルコ料理は、初めてだった。店に入ると中近東(?)の人ばかりだったので、一瞬、海外旅行の最中と勘違いしてしまった。
コムス(雛豆?ペースト)とアダナケバブ・ピデ(?)・サラダ・ピーマン・御飯。ケバブもおいしいが、コムスはとろけてしまう。
キョフテと同上。
店の人と一緒に写真を撮ってもらった。
老いと死が迫ってくるが、何歳になっても新しく始められると思った。「本当の失敗とは“やらないでおくこと”」。
成田は、雪のため?欠航と思ったら、ゴールドコーストは洪水のため欠航、帰国は二日間の日延べ。義妹一行は、高尾山に行った。
話は変わって、女房は仕事中、モノレールで富士山バッチリとメールで。
その二日後、義妹一行は、成田からゴールドコーストへ、と思ったら「ゴールドコーストは雲が多すぎて着陸できず、急遽ブリスベン空港に迂回。他の便も迂回してたのでブリスベン空港は大混雑」・・・だそうな。ふ~~~っ!お疲れ様。