東京国立近代美術館の藤田嗣治展に行った。先ず、目を引いたのが、学生時代の自画像。真面目で素直だ。しかし、黒田清輝には好かれなかったそうだ。パリ時代の絵は自身の感性のままに描いた自画像や裸婦像など素晴らしい作品だ。細い墨で輪郭を描いて、薄い暈かしを入れて、まるで日本画のようだ。
渋谷のシネ・アミューズで「ククーシュカ ラップランドの妖精」を見た。
先月、渋谷へ映画を見に行った帰り道、妻が次回作のポスターを見て「ククーシュカってタイトルの響きがいいね。ロシア映画なのかしら・・・きっといい映画よ。そんな匂いがする。」と言った。妻は時々変なことを言うが、勘はよく当たる。 ロシア映画ではなかったが、いい映画だった。
登場人物の三人はお互いの言葉を理解できない。
したがって、会話はかみ合ってない。
それなのに、心は伝わっていく。
普通の人には、おかしい感覚だろうが失語症の私にはよく分かる。
コミュニケーションは言葉だけではない。うまく言えないが相手の気持ちが言葉と言う
音でこちらの心に伝わってくる。
映画の字幕を読みながら、「かみ合わないセリフの会話」これが、毎日繰り返されている妻と私の日常会話の世界に似ているかも知れないと感じた。
映画の中で、声高に反戦と言わなかったけれど「反戦」が心に染みていた。
渋谷のシネ・アミューズで「ククーシュカ ラップランドの妖精」を見た。
先月、渋谷へ映画を見に行った帰り道、妻が次回作のポスターを見て「ククーシュカってタイトルの響きがいいね。ロシア映画なのかしら・・・きっといい映画よ。そんな匂いがする。」と言った。妻は時々変なことを言うが、勘はよく当たる。 ロシア映画ではなかったが、いい映画だった。
登場人物の三人はお互いの言葉を理解できない。
したがって、会話はかみ合ってない。
それなのに、心は伝わっていく。
普通の人には、おかしい感覚だろうが失語症の私にはよく分かる。
コミュニケーションは言葉だけではない。うまく言えないが相手の気持ちが言葉と言う
音でこちらの心に伝わってくる。
映画の字幕を読みながら、「かみ合わないセリフの会話」これが、毎日繰り返されている妻と私の日常会話の世界に似ているかも知れないと感じた。
映画の中で、声高に反戦と言わなかったけれど「反戦」が心に染みていた。
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