敗戦前後の広島長崎とか、東京大空襲などは、嫌というほど聞かされて、東条英機とか、昭和天皇のバカさ加減は、もう嫌になるほどわかっている。問題はその4年後。
国鉄の三大事故という、そのすべてが昭和1949年(昭和24年)の、わずか2か月の間に起こっていると言えば、誰でも怪しいとはすぐに気が付く。その占領下での、下山総裁轢死、三鷹、松川の国鉄事故のことだ。
当時はテレビはない。ラジオはあったが、大して聞いていない。気の利いたインテリは新聞を読んでいたかもしれなが、私は自分の親父を含めて、これ関連は、三鷹事件のことだけ、生涯たった一度だけ、他人から聞いたことがある。
学生時代のバイト先の職人。多分彼は昭和13年生まれくらいのはずだから、ハハハ、伊東四朗と同じくらいだとしても、小学生高学年くらい当時の三鷹事件を知っていた。
「ありゃ、ひどかったんだぜ。列車が暴走して突っ込んで、死人も出たんじゃないか」
聞いたのはその程度だけど、過去にこの人一人だけだった。よほど他のアホウは、食うことしか頭になかったか。
(三鷹事件は、中央線三鷹駅での列車の無人暴走で、6人が死んで、商店街に列車が突っこんだ。ブレーキを外した無人列車が、坂を暴走して下った)
下山総裁轢死の方は、松本清張のドラマにもなったし、最近NHKでも検証している。下山総裁の拉致殺害事件。さらに松川事件も。
こっちの方が有名だ。福島県の松川で、列車転覆脱線を企てて、レールの犬釘(ボルト)を深夜に50mほどに渡って外して(当然脱線する)翌朝貨物列車は見事に脱線した。死者3人。いずれも、
「共産党による自分の勤務先国鉄への嫌がらせ」
が原因だと、いまとなってはデタラメが公然と言われていた。
以降は時代のまともな検証である。犯人はその3つの事故いずれも、かつての陸軍参謀本部関連の特務機関(児玉機関とか)の連中だった。日本人の最も得意とする、あの満州事変を起こした残党で戦犯を逃れた者らにすれば、日本の共産化を憂いた、占領軍に悪知恵プレゼンして、「やってくれるか」「お安い御用」と、人殺しなどは安易に請け負った。事件はすべて、その構図だった。
満州事変などは全くそうなのだ。自分で火をつけて、(列車転覆)中国人相手に「お前だろう」と、濡れ衣で軍部は進行して、侵略戦争起こすという、ああ日本人の本質ってのは、これかと毎度呆れる。南京でもやった。
美味しい大福自分で食って、帰ってきた息子に「お前が食ったな」と折檻する。それが家父長制度であり、男尊女卑のつい80年前、いやパワハラその他の、今の風習でもある。この島国部落の知恵遅れ民族は、ここまでバカなのか。まあ今の自民党も大して変わらん。語るに落ちる。