風呂の歴史
火山国日本では、いたるところで温泉が湧き出している。伊豆(いず)の地名は温泉が湧き出
るところから「ゆいずる」と呼ばれ、、更に縮まって「いず」に転化したとされる。昔はそんな温
泉で入浴するのではなく、自然の洞窟や岩屋を利用した石風呂(蒸気風呂)に入浴していた。
★「ふろ」の語源も、「窟(いわや)」や「岩室(いわむろ)」を意味する「むろ」が転訛したという説
がある。
☆入浴スタイルは、6世紀中国から仏教と共に伝来したといわれる。仏教では、「入浴は、七病
を除き七福を得る」と説かれているほか、「汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事」
ととも説かれている。
このような背景のもと、「業」(修行)の一つとして「体を洗い清める」ための「浴室」が寺院に
備えれるようになり、浴室のない庶民にも入浴を施したため、「入浴する=お風呂に入る」習
慣が広まった。
☆宗教的な入浴スタイルは室町時代になっても続いていた。宗教的なものではなく、純粋な公
衆浴場「湯屋」が登場するするのは江戸時代になってから。当時の湯屋は、「戸棚風呂」とい
って膝から下をお湯につけ、上半身は蒸気で蒸す「蒸し風呂」方式が主流だった。また、蒸気
が外にもれないように「石榴(ざくろ)口」という小さな引き違い戸から出入りしていた。この頃
は男女混浴だった。
☆首まで浸かる風呂は「据え風呂」といわれ、17世紀初め、慶長年間の末に登場した。据え
風呂は、井戸水を沸かして入れるので「水(すい)風呂」と呼ばれ、庶民の家庭にも広まっ
た。
☆湯舟は、湯量が少なく済むよう人一人が入れるほどの木桶を利用し、浴槽の内側の縁に通
気口のついた鉄製の筒を立て、その中に燃えた薪を入れる。通気口から入る風により薪は
燃え続き、鉄製の筒が熱せられることにより湯が沸く「鉄砲風呂」が発明され、江戸の主流
となった。
☆関西では、桶の底に平釜をつけ、湯を沸かす「五右衛門風呂」が普及した。
★明治になり、湯屋・銭湯の方式は大きく変化した。石榴口は取り払われ、蒸し風呂方式は
やめ、浴槽は板間に沈め湯をたっぷりと入れた。更に洗い場を広く天井を高くし、開放的な
清潔感のある銭湯に変わった。「改良風呂」と呼ばれ、評判になった。石榴口の豪華な破
風造りは改めて入り口に据えられ、今も残る古い銭湯の原型となった。
★大正時代になると、さらに銭湯は近代化し、板張りの洗い場や木製の浴槽は姿を消し、
タイル張りになった。昭和に入って水道が普及すると、浴室に水道のカランが取り付けられ
、衛生面においても向上した。
★因みに家庭内にお風呂が普及し一般的になったのは、高度成長期の昭和30年代後半。
日本人がお風呂好きな限り、これからも家庭風呂は進化し続けるでしょう。
風呂好き
風呂は、日本人の日課であり、一日の疲れを癒すためには欠かせない。海外では、シャワー
のみで、浴槽内で体を洗う国が多いが、日本人は湯に浸かるのが習慣になっている。
また、風呂は娯楽でもある。全国に数千余りある温泉やヒノキ風呂や打たせ湯、石風呂など
様々な風呂を集めた施設は人気がある。人々は温泉に浸かりながら親しい友人や家族と談
笑し、時に酒を飲み良い気分になる。
人生の最初の沐浴は産湯であり、死後は湯灌(ゆかん)によって清められる。
その他
(1)菊湯・・・菊の芳香には、カフェインなどの精油成分があり、皮膚を刺激して血行を促進し、
体の痛みを和らげる効果がある。また保温効果も高く、体の芯まで温まるので、夏の疲れを
ほぐすにはぴったりの風呂。一般に菊湯というと乾燥したものを使うが、野生のリュウノウギク
の生の葉を摘んで使ったり、花びらを浮かべて秋の香りを愉しんでもよいでしょう。
リュウノウギクの花期は10~11月。葉を30gほど布袋に入れ、風呂桶で上から1.8リットル
のお湯をかけ20分くらい蒸らし、汁ごと風呂に入れよくかき混ぜるか、少し多めの量を布袋に
入れ水から風呂を沸かしてもよい。
参考: http://matsue-hana.com/hana/ryuunougiku.html
(2)生姜湯・・・季節の変わり目はなにかと風邪を引きやすい。風邪の引きはじめにショウガ
汁にお湯を加え、ハチミツで甘くした「生姜湯」を飲むとよい。これはショウガに含まれる辛味
・精油成分が血行を促進して体を温める効果があるから。
また生姜湯は体の芯から温めてくれる風呂で、熱めのお湯で足湯でも、体を温めることがで
きる。風邪などで風呂に入れない時試してください。
市販のショウガ1握り(80g)を摩り下ろし、しぼり汁を浴槽に入れよくかき混ぜる。また、薄く
スライスしたショウガを布袋に入れ揉みながら入浴するとよい香りがする。