すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

生活を掘る所から始める

2019年04月21日 | 読書
 8年前に比べ読みのような形で読んでいて、記録を残していた。時が経つと目をつける箇所も違うなと、不思議な感覚がする。これが再読の良さであり、記録の価値になるのだろうか。読み手としての自分は進歩せず退化する一方のようであり、良さ・価値なんて明らかに言いすぎだろっ、と一人ツッコミをしている。


2019読了38
 『対談集 むのたけじ 現代を斬る』(聞き手:北条常久  イズミヤ出版)



 戦後の日本で、地方から国全体へ向け、鋭いメッセージを送り続けた新聞「たいまつ」。その発刊者、むのたけじの功績を忘れてはならない。その語る声から耳を遠ざければ、国や世界の衰えは酷くなるだろうことが予想できる。「たいまつ」創刊に寄せられた恩師石坂洋次郎の「東北の人々へ」にこう記されていた。

 「自分が正しいと信じたことを、自分の生活の上にすぐ実現しようと焦ることなく、子供の時代に孫の時代にそれが出来上がつていいのだといつた風な根気と熱意をもつてもらひたいものである。」


 昭和23年から30年継続した「たいまつ」には、「根気と熱意」は比類なきものだったが、なかなか届かなかったというべきなのか。いや、反戦平和にとって大事だとむのが考えていた「民衆の交流」ははるかに進んだ。ただそれが結局のところ大半が「経済優先」の形で根を下ろしてしまったところに、残酷さを感じる。

 この本の結論、むのが晩年に多く語ったことは、やはり教育への期待なのである。それは公であれ私であれ全く同じで「人間の可能性を信じて、それをひきだそうとささえ合う」こととしている。むろん教育する側の「正しさ」が常に問われる。それはおそらく、今の生活を自ら「掘る」ところから始めねばならない。


 巻末に「鉄之助さん」という父親を語った小文がある。明治生まれの愚直さがずんと胸を衝き、感動的である。「独立独歩で築き上げる」「どんな仕事も世の中に必要である」「モノにはみなイノチがある」…些細であれいくつかの信条を日常の営みの中に染み込ませているかを問い続ける。それが「掘る」ことではないか。