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貴方の「喉」には何がある

2019年04月15日 | 雑記帳
 ある会合に出て雑談している時に、ふと「喉小言」という言葉を使われた方がいた。久しぶりに聞いたなあ。でも、そんなに小さい時から聞いていた覚えもない。おそらく成人してから耳にしている。ただそれが、なんとなくぶつぶつと小言を言っている様子をうまく表していると、印象深く覚えていたのだろう。


 また調べ魔と化して、国語辞典やら方言関係を引っ張り出してみた。しかしどこにも見つからなかった。ネット検索してみると、ブログタイトルとしてその語を使っている方がいた。内容は詩、ニュアンスとしては独り言に近い使い方なのか。「小言」の類語を見ていたら「口小言」はある。これは見出しとして一般的だ。


 口と喉、その二つを比べてみると、あきらかに口が前面にあるので、やかましく言う感じがする。喉だとすれば、それよりもやや聞こえない感じか。もともと「のど」は「飲(の)み門(と)」から変化した語だとされている。不平や文句があっても飲みこんでおこうという意識が働いているようなニュアンスが感じられる。


 表面化させないほうが、我が身の為か相手や周囲を慮ってかは場合によるが、東北人特に秋田人は顕著な気がする。そういうあまり表に出ない小言の中味は、やはり「本音」であって、それを溜め込むのは健康上もよくない。だからか、齢を重ねると喉にタンが絡まるようになるのは(笑)…と、発見したような気分になる。


 「のど」という語は「大切な所、急所」も表している。肉体的にはもちろん、精神的な意味合いもある。「のどの下へ入る」という慣用句があり、「うまく取り入る」という意味だそうだ。「のどから手が出る」は欲しくてたまらない喩えである。つまり、のどは重要なポイント。その喉を小言だけで溢れさせても困る。