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あの余震ある4月に語った

2019年04月06日 | 教育ノート
 今学校では始業式が済み、担任の先生方はそれぞれの構えを持ちながら、来週からの本格的な学習開始に備えていることだろう。

 先週にまたぞろPCデータ整理を行って、つい懐かしい気持ちで開いた資料があった。
 スタートの4/1に研修を入れてほしいと教頭や教務主任にお願いして語ったことの下書きがあった。
 あの震災の年の4月である。

 もはや時代に合わないかもしれないが、どこかブレてはいけない点でもあると信じている。


・・・2011.4.1 「学級経営案」作成にあたって・・・

 なぜ学級経営案が必要か。ふだんあまり考えてはいないことでしょうが、この機会に確かめてみたいと思います。私たちには学習指導要領をはじめ、定められたものがあるのに、なぜ個別に経営案などというものを書かなければならないのか。

 当然のことながら、第一の要素は、「子どもがちがう」からということです。地域による違い、年齢による違い、集団構成による違い…その他、対象となる子どもは、学級によって様々な違いを抱えています。これが第一です。

 もう一つあります。それは「教師が違う」からです。教師の何が違うのか、というと、この場合は「願い」が核になると思います。
 私たちは子どもに教えることが仕事です。教えるという行為は、自分の人間性と切り離せないものを持っています。そこにはやはり独自なものがあると考えられます。その独自性を生かすために経営案はあるとも考えられます。

 が、しかし、それでは好き勝手に教えていいか、というとそれはできない。なぜか。
 私たちの置かれた立場は、「公教育」ということです。
 これが「私教育」であれば、ぐんと幅が広がるでしょうが、公教育である以上、定められた意義や役割を順守していくことは避けられません。

 では、公教育のなかで私たちが担う「初等教育」の役割とはいったいなんでしょう。
 最近の行政のありかたを見ていると、学力テストを初め教科学力の向上に特化したイメージもうけますが、そして私たちも不満を持ちながらもなんとなくそこに寄りかかりたい気持ちを持っています。
 しかしもう一度思い出してみると、初等教育の役割の核は「調和のとれた人間」ということにあります。

 これをふだん使う言葉でいうと、「知・徳・体」のバランスということになるのだと思います。
 何をもってバランスがとれているかということは非常に難しいでしょうが、少なくとも教育する側の立場としては、一人ひとりの子どもを、知・徳・体の備わった人間に育て、社会を支えていく個人として成長させることが使命であることは確かです。

 さて今回、このチェックリストから取り上げてみようと考えたのは自分に次の思いが強いからだろうなと思います。
 経営案を作るということは、「具体的な場面を描く」ことだという思いがあるからです。
 つまり「○○さんが、朝元気よくあいさつできるように」「○○くんがしっかり挙手をして発言できるように」ということを明らかにして、そのために何をやるか考えてほしいということです。

 もう一つは、こうした帰納法的な手法で、重点実践事項や子ども像に迫ってみることも、ちょっと視点をかえるためにはいいかなという思いです。
 通常ならば、学校の目標があり、それを砕いて学級目標、子ども像、そのための具体策と続いていく、いわゆる演繹的な手法だと思いますが、またそれが本来のあり方でしょうが、まあこうした方法で少し自分の願いを考え直してみることも大事かと思います。

 さて、具体的な手順について説明します
 (以下略)

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 チェックリストを持ち出したところなど、いかにも当時の自分らしさがわかる。
 今ならどうだろう。
 数を絞るけれど…やっているかもしれない。