
それこそ小説の醍醐味であるし、他の作品に比しても没入感があった。『月の満ち欠け』と並べられると評価できる一冊だ。主人公がある登場人物の心を評した「見て見ないふりのできない」姿勢ということが、ある意味でこの話の底辺に流れているのではないか。一生の中で何度か遭遇するだろう場面は誰にもある。
見過ごし方にはパターンがある。鈍感で気づかない場合、迷いつつもつい保身に走り看過する場合…いずれ想像力の欠如。他者と向き合う心の薄弱さ。誰しも抱えているかもしれないことを前提にしながら、せめて身の周りの事象を見つめ直そうと殊勝な気持ちになった。そのために「浮かれない」日常は基底となる。
題名である「熟柿」は、冒頭から人物の傍らでイメージを形作る深い要素である。しかし終末に、その語の意味は大きな希望となる。文中で使われた辞書は「大辞林」らしい。他の辞書には見出し語として「熟柿主義」と載っていた。曰く「時機が来るのを気長に待つ主義」…今、ずいぶんと縁遠い考え方と言えよう。
かつて市毛勝男先生の模擬授業を受けた時、発問に対する応答の挙手がなく、ずいぶんと長い時間が流れた。そしてふいに先生自身が「この沈黙はなんと豊かだろう」と仰ったのだ。沈黙の内容を想像できる余裕こそが豊かさなのだと知った時を、今「熟柿」という語と共に思い出す。素晴らしい表紙デザインとともに。