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枯れかかった者のそら

2019年04月14日 | 雑記帳
 忙しいことが舞い込んだときや突然の出来事に面食らったときなど、例えば「食ったそら にゃ(ない)」「休んだそら にゃ」と使うことがある。

 この「そら」が気になった。
 「食べた気がしない」「休んだ気がしない」という意味で、この頃はあまり言わなくなったようなので、方言だろうなと思って『秋田のことば』を調べたら、見出しにはなかった。念のため、他の関係冊子もめくったがない。

 あれっ方言じゃないかと、電子辞書を開く。

 「空」…広辞苑には「①地上に広がる空間②空模様③落ち着く所のない不安定な状況④放心⑤根拠のないこと⑥無益なこと⑦暗記⑧てっぺん」と載っているが、ぴたりと当てはまらない。
 しいて言うなら③④⑥あたりと関連するか。

 明鏡国語辞典も同じだろうと移ってみたら、なんと「④心の状態。気持ち」とダイレクトにあるではないか。例として挙げられているのが「うわのそら」「生きたそらもない」。実際あまり使わないが、語彙として知っている。


 念のため日本語大辞典を見てみると、さらに詳しい。
 大項目二として「比喩的に、精神状態などについて用いる」とあり、その④として「心。気持」と明示されている。その説明が、いかにも辞典らしい。

 「下に否定の表現を伴う不安な心境やうつろな心を表す。または、その行為や方角・場所などにむかう漠然とした意志などさす。

 成長著しく目の前のモノゴトに興味いっぱい、手あたり次第に散らかして歩く孫を相手にすると、親や祖母は日常のなかで「食ったそら」「休んだそら」が無くなるのは当たり前だろう。
 ある意味では「漠然とした意志」で食事や休息、睡眠に入っていくかもしれない。
 それでも、「不安な心境やうつろな心」にはならないようだ。

 それは、小さい子が育つさまは、まさに生きることそのものであり、眩しく感じられる時があるからだ。その現場に共に在ることの幸せを思う。

 枯れかかった者の「そら」など、見上げた空へくれてやる。