届いたのでさっそく読んだ。
『脳はバカ 腸はかしこい』(藤田紘一郎 三五館)
著者はかつて血液型と性格の関係について発表し、「エセ科学者」とバッシングをうけたことがあるらしい。
その点を踏まえながらだと思うが、著者が「エセ科学者」(水の結晶と言葉の関係についての本が売れたことがあった)に対したとき、実験結果を「素晴らしい」と誉めたたえたことがあると書いている。
もちろん、頭の中ではそれとは反対のことを考えていたという。
どうして、そういう対応ができたかについて、著者はこんなふうに書いている。
このときの私は、脳で考えていたわけではなく、腹で人の話を受け止める余裕があったからでしょう。
これだよなあ、と思う。
科学とエセ科学の線引きは難しい。
科学的な実験結果が100%近くだからといって正しいと言い切れないことは、「想定外」という言葉によって証明されたではないか。
自分の目で見たということの信憑性など、今いかほどのことがあるのか。
突き詰めれば、世の中は錯覚にあふれている。
「要は、信ずるか信じないかだ」という怪しい結論にたどりつきそうだが……そう言われても仕方ないか。
これが「腸的思考」(造語)というものだろう。
どのくらいの幅を持って自分の考えを導き出すか、が問われている。
そういう観点で筆者の理論を眺めてみると、専門的な部分は正直ついていけないにしろ、生物史や食に関する歴史からみてナルホドと思えてくる部分は多い。
自らの心身管理や子育ての「失敗」も正直に吐露し、何より自分の身体を実験対象としている重みを、明るく軽い印象で語っているところが、信ずるに足りると思わせるのだ。
かと言って、今すぐ「土壌菌」を飲んだり、「落としたものを拾って食べる運動」に参画したりはできないが、この著作を見習った食生活改善や心の持ち様に関する努力ならできそうな気がする。
また、もはや後戻りできないほどの、異常な清潔志向、善人志向をより冷静な目で見つめられそうだ。
著者は本文の最終行にこんな言葉を書いている。
バカな研究を長年し続けてきた私自身への約束
端的にこういうことを書ける人を、私は信じたい。
『脳はバカ 腸はかしこい』(藤田紘一郎 三五館)
著者はかつて血液型と性格の関係について発表し、「エセ科学者」とバッシングをうけたことがあるらしい。
その点を踏まえながらだと思うが、著者が「エセ科学者」(水の結晶と言葉の関係についての本が売れたことがあった)に対したとき、実験結果を「素晴らしい」と誉めたたえたことがあると書いている。
もちろん、頭の中ではそれとは反対のことを考えていたという。
どうして、そういう対応ができたかについて、著者はこんなふうに書いている。
このときの私は、脳で考えていたわけではなく、腹で人の話を受け止める余裕があったからでしょう。
これだよなあ、と思う。
科学とエセ科学の線引きは難しい。
科学的な実験結果が100%近くだからといって正しいと言い切れないことは、「想定外」という言葉によって証明されたではないか。
自分の目で見たということの信憑性など、今いかほどのことがあるのか。
突き詰めれば、世の中は錯覚にあふれている。
「要は、信ずるか信じないかだ」という怪しい結論にたどりつきそうだが……そう言われても仕方ないか。
これが「腸的思考」(造語)というものだろう。
どのくらいの幅を持って自分の考えを導き出すか、が問われている。
そういう観点で筆者の理論を眺めてみると、専門的な部分は正直ついていけないにしろ、生物史や食に関する歴史からみてナルホドと思えてくる部分は多い。
自らの心身管理や子育ての「失敗」も正直に吐露し、何より自分の身体を実験対象としている重みを、明るく軽い印象で語っているところが、信ずるに足りると思わせるのだ。
かと言って、今すぐ「土壌菌」を飲んだり、「落としたものを拾って食べる運動」に参画したりはできないが、この著作を見習った食生活改善や心の持ち様に関する努力ならできそうな気がする。
また、もはや後戻りできないほどの、異常な清潔志向、善人志向をより冷静な目で見つめられそうだ。
著者は本文の最終行にこんな言葉を書いている。
バカな研究を長年し続けてきた私自身への約束
端的にこういうことを書ける人を、私は信じたい。