すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

腸的思考への誘い

2013年01月31日 | 読書
 届いたのでさっそく読んだ。

 『脳はバカ 腸はかしこい』(藤田紘一郎 三五館)

 著者はかつて血液型と性格の関係について発表し、「エセ科学者」とバッシングをうけたことがあるらしい。
 その点を踏まえながらだと思うが、著者が「エセ科学者」(水の結晶と言葉の関係についての本が売れたことがあった)に対したとき、実験結果を「素晴らしい」と誉めたたえたことがあると書いている。
 もちろん、頭の中ではそれとは反対のことを考えていたという。

 どうして、そういう対応ができたかについて、著者はこんなふうに書いている。

 このときの私は、脳で考えていたわけではなく、腹で人の話を受け止める余裕があったからでしょう。

 これだよなあ、と思う。

 科学とエセ科学の線引きは難しい。
 科学的な実験結果が100%近くだからといって正しいと言い切れないことは、「想定外」という言葉によって証明されたではないか。
 自分の目で見たということの信憑性など、今いかほどのことがあるのか。
 突き詰めれば、世の中は錯覚にあふれている。

 「要は、信ずるか信じないかだ」という怪しい結論にたどりつきそうだが……そう言われても仕方ないか。
 これが「腸的思考」(造語)というものだろう。

 どのくらいの幅を持って自分の考えを導き出すか、が問われている。
 そういう観点で筆者の理論を眺めてみると、専門的な部分は正直ついていけないにしろ、生物史や食に関する歴史からみてナルホドと思えてくる部分は多い。

 自らの心身管理や子育ての「失敗」も正直に吐露し、何より自分の身体を実験対象としている重みを、明るく軽い印象で語っているところが、信ずるに足りると思わせるのだ。

 かと言って、今すぐ「土壌菌」を飲んだり、「落としたものを拾って食べる運動」に参画したりはできないが、この著作を見習った食生活改善や心の持ち様に関する努力ならできそうな気がする。
 また、もはや後戻りできないほどの、異常な清潔志向、善人志向をより冷静な目で見つめられそうだ。

 著者は本文の最終行にこんな言葉を書いている。

 バカな研究を長年し続けてきた私自身への約束

 端的にこういうことを書ける人を、私は信じたい。

7歳のその心がまぶしい

2013年01月30日 | 教育ノート
 自分に課した日記読み続けも、いよいよ大詰め。
 あと数人を残すのみとなった。
 高学年から見始め、結構面白いと感じて読み進めたが、そこに中学年や低学年が加わってくると、これまた違う味わいで、実に興味深い。

 集中して全部の学年を通してみると、やはり成長の段階が見えてくるし、また逆に、上になるにつれ固定的な見方、書き方になってしまっている傾向も感じられる。
 読む人を惹きつける文章とは、ものの見方や文の書き方など日常の様々な場の学習によって支えられるのだろう。
 ペーパーテストにおける短作文の達意性を高めることとはまた別に、暮らしの有り様(休み中の日記だけによけいに)の重要性を考えさせられた。

 さて、面白く感じたいくつかをメモしよう。

 二年生男子。大晦日にごちそうをたくさん食べ、トイレに行きたくなって、出したウンチの長さに大笑いした。そしてそれを家族に教え、また大笑いした話。

 三年生女子。おばあちゃんとおふろに入って、あたたかくて寝そうになり、おばあちゃんの「しあわせだ」という言葉に反応する話。

 四年生女子。雪かきをしているおじいちゃんのために、いろいろとほかのことをやったりして手伝い、栄養ドリンクを少しだけ分けてもらうことが嬉しい話。

 ……限られたスペースなので、そんなに広げたり深めたりはできていないが、顔が浮かぶだけにエピソードが迫ってくる。

 また、かなり個性的な?日記もあった。
 二十日間、「朝ごはん」と「夜ごはん」のことしか書かなかったある子。
 原則1ページの約束を、最後の一マスまで合わせようと毎日残ったマスのうめ方に工夫した子。(1マス残しが1日。一字はみ出たのか1日だけだった)
 まあ、この子らの学校生活もかなり個性的であるので、それが日記によっても証明されたということか。

 陳腐な表現ではあるが、一年生の短い文にも心洗われる思いがすることがある。

 元旦に大きらいな納豆を食べて泣いたが、周囲のはげましをうれしがる子。
 友だちや教師から年賀状をもらい、その返事のために初めてのはがき書きに挑戦した子。

 最終日には、「楽しい冬休みだった」「明日から友だちや先生に会えるのが楽しみ」と前向きな言葉を書いてくる子が多く、うれしい気持ちになった。
 こんなことを書いてきた子もいる。

 きょうはいいことばをおぼえました。いまを生きるということばと、みらいを見つめるということばです。いろんなほんをよんで、もっとおぼえたいです。

 7歳のその心がまぶしい。

生きているうちに,見…

2013年01月29日 | 読書
 史上最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子さんが、賞を受けた直後の談話で、たしかこんな言葉をもらしたと思う。

 「生きているうちに見つけてくださいまして…」

 ううん、なんとも凄い一言だ。

 自らの才能に自信があり、それが顕在化することにも確信があったのだろう。
 問題は、時機だったというのだ。

 時の問題…自分の問題ではなく、時そのものの問題、言い換えれば時という名の世間が自分に追いついて(もしくは、ずり落ちて)くる必然を知っていたとでも言うように。
 もちろん、作家の風貌からしてそんな尊大な言い方はしていないだろうと予測されるが……。

 それにしても、文藝とは、かくのごとく他に気をとられぬ人種の産物ではないか。
 所詮、自分などは……とすねた文体になるのは、やはり憧れの裏返しか。

 そんな時に、こんな漫画を見つける。

 『よちよち文藝部』(久世番子 文芸春秋)
 http://www.yomiuri.co.jp/book/comic/sinnavi/20121203-OYT8T00869.htm

 『新刊展望』をぺらぺらめくっていた時に、対談記事があって興味を持った。

 いやあ、面白い。
 いわば、文豪&超有名作家めった切りという風情。毒舌パロディと言ってもいいだろう。絵は西原恵理子系統?(適当に言ってみた)のようだが、取り上げ方が斬新で、文藝にくわしくなくとも笑える。
 くわしい方ならきっと、もっと笑える。ただし、ファンの方なら怒る人もいるか。

 自分がわずかに知っている中也や賢治にしても、ズブリという感じである。

 中也の巻では、例のよく使われる中也の写真のイメージをテーマとする。あの「黒目」に読者は魅了されるとし、中也の荒んだ生活の中における「黒目率」を探っていくという、実に斬新な切り込み方である。

 賢治では、地名の造語について取り上げられていて、様々な妄想が働かされる。トキーオと名付けられた都会で、ウエーノ、シンジューコの荒廃を鋭くついている。


 とまあ、揚げ足取りと自虐と下ネタ満載なので、私のように豪雪に疲れた北国周辺の方々のカラダには心地よく響くのではないでしょうか。

 そうそう、かのノーベル賞作家川端大先生の『雪国』を、「*」の一字に象徴した過激さ、ちょっと他では見られません。

 生きているうちに、見つからないほうが…いいかもしれない。

モノクロで撮る人が書いた文

2013年01月27日 | 雑記帳
 『ちくま』の表紙には人物のモノクロ写真が使われていて,気に入っている。
 http://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/

 表紙裏にそのカメラマンの小文が載っていて,今回はこれが良かった。
 「チラシの裏に書かれた手紙」と題された文章に,蕎麦屋の見送りのあいさつに触れられて,次のような表現がされていた。

 あいさつは簡単なようだが,噺家の出だしの一言のように「実力」があらわれる気配がある。

 多くの人が感じることのように思うが,食いもの屋とあいさつには因果関係がある。出迎えの気構えが表れるといっていいかもしれない。
 チェーン店でパターン化されたものであったとしても,声の力の差を歴然と考えることもあるし,接客にも味にもそれは伝わる,といったら大げさだろうか。

 そしてそれは人と接する多くの仕事にとって共通することは言うまでもない。


 さて,この小文で一番気にいったところは,実は上の部分ではなくて,題名にかかわる次の文章である。

 八十を過ぎた独り暮らしの妻の叔母は,季節の田舎の野菜や味噌などを宅急便で送ってくる。必ず,何枚かのチラシの裏に書かれた便りが入っている。ボールペンの筆圧の残る手紙は,野菜の息でいつもしんなりとなって届く。

 なんとまあイメージが喚起できる文章だろう。
 おそらくはあまり達者でない文字で,町に住む姪へ,暮らしを気遣い,近況を知らせるなかみが綴られているのだろう。
 「野菜の息でいつもしんなりとなって」という箇所が,リアルであり,温かくもあり,また切なくもある。

 写真家,それもモノクロで撮る人が書いたからこそ,こんな描写になるのではないだろうか,そんな気がした。

 一つ目の「アウェー」はまずモノクロ写真か,そう思いついた。

アウェー比率を高める

2013年01月25日 | 雑記帳
 楽しい時間はあっと過ぎる、というが、それは良いことか悪いことか。
 いや、やはりこれは問いのたて方がまずいかもしれない。

 限られた人生の中で、速く時間が過ぎるように感じることは、なんだかもったいない。
 けれど、「楽しい」とか「夢中」とかの連続であるならば、苦しい時間が長いよりどれほどいいことなのか。

 ところが、ある雑誌の連載に脳科学者茂木健一郎氏が、こんなことを書いていた。

 ホームの活動ばかりやっていると、「時間泥棒」が出現する。

 ここでの「ホームの活動」とは、特に仕事において「自分が慣れ、親しんだ、いわば得意分野」のことだという。

 いやあ、できれば得意分野だけで仕事ができないものか、などとしょっちゅう妄想している自分などは、もはや時間泥棒の餌食となっているのかもしれない。


 確かにこの齢になれば、時間の経つのがはやいような気もする。齢を重ねた人間というものはみんなそうなのか、一人一人訊いたわけではないが、結局年配になるにつれ、自分が慣れ、親しんだことに時間を費やすことが増えているから、そう感じるのだとすれば、なんとなく納得である。

 茂木氏は書いている。

 ホームだけでなく、アウェーに挑戦することで、小学一年生の一学期のような、充実した時間の流れを取り戻すことができる

 振り返ってみても、自分が一年生のその時の感覚を思い出すことはできないが、目の前にいる子どもたちの時間の流れがゆっくりであろうことは、想像できる。

 教員は数年ごとに職場が変わるので、その度に一種のアウェー感覚で仕事に対することができる。しかし半年過ぎてしまえばもう完全にホームになっているのかもしれない。

 そのあたりの意識の持ち方、意図的に「アウェー比率」を高めていく自らの設定など、ちょっと新しい視点を持つべきかなと、厳寒の季節に考え始めている。

20年前の冬花火

2013年01月24日 | 雑記帳
 今日は、朝の活動で読み聞かせがある日。
 地域のボランティアの方がいつものように三人いらした。
 高学年では大型紙芝居をやっていたので、終わってから誰が作られたのか訊ねたら、自作だという。
 『山谷の大男』という民話をもとに、絵も語りも自分で書きあげたらしい。教職の先輩ではあったが、そこまで手をかけているとは知らなかった。

 そんな話をしながら、そう言えば自分も似たようなものを作ったことを思い出した。
 数えてみたら、ちょうど20年前であった。94年の冬のことだ。

 地域イベントへの参加依頼があって、地元に伝承されている義人「甚助」の話の脚本を書き、それをバック絵とペープサートで演じる形に仕上げた。
 低学年の担任をしていた当時で、委員会活動か何かで高学年の子どもたち数名とともに練習、録音などした記憶がある。

 当日は、真冬の屋外、しかも夜の時間帯に行うということで、今考えるとよくやったものだと思う。
 もちろん、レベルはしれたものであるが、ユニークさは際立っていたような気もするし、何かの新聞にも載ったことを覚えている。
 ついでながら、江戸時代の凶作にあえぐ農民の話に、長渕剛の『RUN』をバックミュージックとして使った我がセンスの良さにしびれてしまう(笑)。

 さらに、同じときに、その雪で作った!ステージに立ったのが、全身を金ラメで塗りたくった暗黒舞踏系のダンサー、そしてその春に都会へ旅立つという歌手志望の娘(数年後に紅白に出る…)だったことも忘れられない。

 私たちの出番が終わり、このイベントのメインとなる花嫁道中が、馬そりに引かれて山間の広場に到着したとき、漆黒の冬の夜空に輝いた花火の大きさは、今も目に鮮やかだ。

 ともあれ、その舞台「ゆきとぴあ七曲」
 http://www.town.ugo.lg.jp/sightseeing/detail.html?id=345&category_id=133
 27年にも及ぶ歴史を持っている。
 内容は少しずつ変わってきたが、健在の部分もある。

 今年も明後日の開催である。
 「暴風雪」の予報は外れてほしいなあ。

久しぶりに日記をみる

2013年01月23日 | 教育ノート
 今日から、子どもたちの冬休み中の日記を見始めた。
 この休みの課題の一つにぜひ加えておいて、とお願いしていたものだ。
 http://homepage3.nifty.com/spring21/rujyutu11.pdf


 最初に手元に来たのは五年生28人分のノート。
 方法は担任に任せてあった。
 この学年は、毎日200字程度を目安に書いていく形で、もし思いつかない場合の例も細かく用意されていたので、全員書ききって提出された。

 久しぶりに子どもの日記に読むと、全員とまでは言わないが、その子その家庭なりの暮らしぶりが伝わってくる。
 正月を挟んだ冬休み。以前のような家庭内の習わしのあれこれについて記す子は少なくなったが、やはりある意味では動きのある時期なので、読んでいて楽しい。


 いくつかの気づきやナルホドを記しておこう。

◆今年も雪の多い休みだった。「雪寄せ」や「雪下ろし」を手伝った子が目立つ。五年生にもなると、多少の労働力としてあてにされていることがわかるし、作業の仕方に目をつけ始めている子もいる。

◆お年玉については記すのが当然だと思っていたが、そんなに多くない。印象としては書いている子は三分の一いないか。自分なりの予想としては、以前ほどの親類付き合いが減ったこと、お金をもらう喜びに慣れてしまった子も出てきたこと、そしてお年玉の習慣自体が減っているのかもしれない…そんなことが頭に浮かんだ。まあ、もっとも「お年玉をもらう明日が楽しみ」と書いて、次の日にはもう「来年のお年玉が楽しみ」と書いた子もいるにはいたが…。

◆今どきのショッピングセンターの「福袋」には、「不幸袋」という種類?があるそうな。お祝い気分を逆手にとった商売か。でも正直あまり感心はしないな。見つけた子も買わず、売れ残っていたという。

◆日記を続けていくと、子どもによって書き方や内容のパターンが決まってくるという当然のことを、何年かぶりに思い出した。小学校4年生あたりから顕著になる気がするが、興味・関心の対象を広げたり、深く突っ込んだりすることの差が見え始める。やはり周りがどう設定してやるかがポイントなんだよねえ。

お金とムードとセンスと

2013年01月22日 | 読書
 『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』(糸井重里・邱永漢  PHP文庫)

 金儲けや経済のことについて語り合われているわけではない。
 しいて言えば「お金との向き合い方」ということになろうが、それが内容の多くを占めているわけでもなく、糸井が邱の価値観、人生観をあれこれ訊き出している対談集といっていい。

 読み終わって、心に残ったのは次の言葉。

 「ムード」そして「センス」

 その昔、糸井が邱にどんな土地を買ったらいいか尋ねたときに、邱が「ムードのあるところを買えばいい」と答えたというエピソードがあとがきに載っていた。

 見事な話である。

 ムードそのもののとらえ方は人それぞれに違うだろうし、どんな観点で有無を決定するのか、到底説明できるものではない。
 それを超越して「ムードのあるところ」と言い切るためには、いうなれば「センス」の問題となる。

 邱は、訊いた者のセンスを見通してそう答えたのかもしれないが、そうでない人に対しても「ムード」と言いきってしまうようにも思う。
 もしかしたら、その感覚つまり自分のセンスを信ずるところから始めよ(その覚悟がなかったら止めなさいとも)と言いたいのではないか。

 商売がうまくいったり、金儲けができたりする人が、一様にセンスがよくてムードを持っているとは限らない気がする。しかしまた、そうした成功者?も目立っていることは確かだ。

 そうした人たちの共通項を探れば、しっかりと自分の感覚を信じながら、ある面冷静さを持ち合わせていることも確かだろう。
 それは、方向を見極める目ということだろうか。

 邱の語った次の一言も含蓄が深い。

 自分が本当にやりたいと思ったことで成功する人は少ないですね。

 自分の欲求とあまりにもぴったり合うものだと、前のめり感が出過ぎて、外に漂う雰囲気は張り詰めてしまうのかもしれない。芸術家なら十分あり得ることだ。

 そう考えると、一般的には人の魅力を表わす言葉として、ムードとセンスは最高級に近いのかもしれない。
 金銭がある程度の支えをしていることは認めざるを得ないが、人はセンスある者に惹かれ、ムードのよい者の引き寄せられていくことは、周りを見たって確かだろう。

 ただ、センスを磨くということは、他や周囲からうまい具合に誘導されることではない。
 あくまで自分の内部を見つめ、信じて行動することから輝きが増すのではないかな。

加担者としての自分

2013年01月21日 | 読書
 『経済成長という病 退化に生きる、我ら』(平川克美 講談社現代新書)

 きっと今年はこの人の本を何冊か読むことになるだろう、と思っている。内田樹氏との交遊が有名で、その線から購読してみたのだが、まさに当たりだった。

 「物価目標2%」というニュースが喧伝される今、この著と照らし合わせてこの国の行方を考えてみると、そちらに進んでいいのかという思いが過ぎってしまう。
 書名からしてそうだが、ふだん何気なく何の疑いも持たずに話したり、書いたりしている言葉に対する感覚、分析の鋭さは恐れいるばかりだ。

 例えば、「グローバル化とグローバリズム」。

 例えば「多様性、多様化の時代」

 今まではっきりしていなかったモヤモヤに、輪郭を与えてくれるような知見だった。
 教育でもよく使われる言葉ではあるが、その意味するところが、結局は経済合理性、覇権主義などと深くかかわっている。

 そこに振り回されず仕事をするのは難しいことかもしれないが、立ち位置をよく知ることは、自らの心身を自らのものと意識するためには必要なことのように思う。

 10ページを越す「長いまえがき」に著者はこう記している。

 誰でも評論家のように外部から「事件」を眺めて裁断することは可能だが、誰もがほんとうは外部にいたわけではないということは言っておかなければならない

 この著は2009年発刊であり、リーマンショックや秋葉原連続通り魔事件のことが重く取り上げられている。
 これらの出来事が、自分と関わりあっているという直接的な思いを抱く人は多くはないだろう。

 表現として記された「可能性としての被害者、可能性としての加害者」が限りなくゼロに近いのかどうか。
 それは置かれた環境や隔てた距離等によって測れるものではなく、知識と想像力によって姿を現す。実は初めから存在しているものなのである。

 そうやって昨今の「いじめ」「体罰」事件を考えてみることも必要だろう。

 つまり、「加担者」としての自分。
 バイアスのかかった見方や言い方をしていないだろうか、疑わしいとしたら、どのような経験からそうなったのか。

 そんな振り返りを自らに課そうとすることは、上からの通達によるものとはかけ離れている気がする。

体力のない週末記

2013年01月20日 | 雑記帳
 金曜日は荒れた天候の中でのスキー教室。
 留守番なので一人職員室でばたばたしていたら,愛用の湯呑み茶碗を落としてしまい,ひびを入らせてしまった。

 実は備前焼。「万」近い金額で求めたものなので,がっくりである。
 さらに付き合いも長い。もう十数年は経っているはずだ。
 勤務した学校へ持ち歩いているので,たしか6校目だと思う。思い出もあるので少ししんみり。


 土曜日。体調がまだ完全ではない。
 風邪が治りきっていないのだと思う。天気がまずまずなので排雪のことも心配で,ちょっと外に出て作業したりするのがよくないのだろうか。

 ぼやーっとしながら,雑誌『BRUTUS』をながめる。
 「カラダにいいこと。」という特集。冒頭は「糸井重里さんの養生訓」である。
 カラダを仕事に置き換えた語り口で,いつもの糸井節。
 読んでいて,ああと思うこの一節。

 体力がないと体力のない人の思考になる。

 本当に,そうだよねえ。早く回復しないかな…。


 日曜朝。間違えてスイッチを入れ4時半に目覚ましがなる。仕方ないと思いながら,読書。
 年明けに買っておいた話題の単行本だ。

 『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(金子哲雄 小学館)

 お見事としか言うことがない。
 まえがき,あとがきを記す妻稚子さんの強さにも舌を巻く。
 夫婦愛が同志愛として昇華した姿を見るような気がした。


 来週は回復したい。