すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

コインロッカーストーリー

2023年05月30日 | 雑記帳
 「すみませんが、ここにはコインロッカーってありますかね」と、窓口の男性に訊いたら、「ありません」と即座に返されてしまった。口調が強めなので、「はあ」と口をついただけで、問いを重ねる気が失せた。気弱な性格は自覚している(笑)が、ここは県都にある公共施設。訊ねた意図を察することはできないのか。


 「この近くでしたら…」と続けられないのは、知識がないのか。気持ちのありようなのか、定かではない。ただ、県外からいや国外からの訪問客だったら印象が悪いだろう。いや、待て。尋ねられたことに対して簡潔に答えるという合理性の追求と見れば正しい対応か。これは問いの仕方が悪かったのかもしれない。





 「この荷物を預かってくれる所を教えてください。」…そんなふうに、生成AIに尋ねるようにすべきなのだ。そうすれば「残念ながらここにはありません。その大きさであれば、隣の施設の玄関付近にコインロッカーがあります。コイン返還式ですので、気軽にご利用できます」とでも答えてくれるのではないかしら。


 つい、そういう思考になってしまうのは便利さに慣れてしまっているからか。サービス依存症とでも言うべきか。何でも他人に頼り、機器に頼り、自分で解決する習慣をなくしてはいけない、それゆえワシはつっけんどんに振舞う、訊かれたことにしか答えん、いいか、分かったか…と窓口男性の精神になって呟く。


 苦笑しつつ隣接する施設へ。自動ドアから入り検温し、無人の受付を通り、ふと右に目を移す。あるではないか、コインロッカー。大きめのトートバックを入れようと№15の扉を開ける。下段にあるせいか奥の暗さが際立つ。イマ、オマエガアズケヨウトシテイルノハ、オマエノカラダスベテナノダと言われそうな…。

参参参(二十三)幾度もアンダーライン

2023年05月27日 | 読書
 いずれも再読。三人とも気になる作家、文筆家である。再読こそが読書と主張する書籍が出たことを、新聞の読書案内で見かけた。それは実感としてある。気になる箇所は何度読んでも気になる。ずっと考えるために、また記しておく。


『私の方丈記』(三木 卓  河出書房新社)

 こどものころ、そして若者であるころ、自分が風景に融けこんでいるから、風景を対象として見ることはない。風景がその輝かし姿を現わすとき、人は何らかの意味で風景から剥がれ落ちている。だから風景が見えるのである。


『「あまのじゃく」に考える』(平川克美 三笠書房)

 アンダーラインを引く行為というのは、自分のなかにはすでにあるのだけれど、まだ完全にそれが自分のものになっていない事柄が、書かれているところ、ということになりますね。





『この先をどう生きるか』(藤原智美  文藝春秋)

 目的は達成したとたんに目的でなくなります。それはたちまち結果となります。人間にとっての、あるいは生にとっての結果は死です。しかし死は生の目的とはなりませんね。死ぬために一生懸命生きるというのは本末転倒で矛盾しています。つまり死は価値化できないのです。死という結果が価値ではないとすれば、人生にとって何が価値なのか。いうまでもなく人間にとって価値があるものは、生そのものです。生きるという行為、その過程こそが価値なのです。

令和五年小満日記

2023年05月25日 | 雑記帳
5月20日(土)
 父の命日。朝、自宅から図書館のブログアップや頼まれていた原稿を送信する。ブログは町の伝説を紹介する新シリーズをスタートさせた。昼前、実家に行き位牌に手を合わせる。父は40歳で亡くなっているのでずいぶんと年上になってしまった。午後から録画していた『男たちの旅路』を観る。昭和50年が沁みる。


5月21日(日)
 二十四節気の「小満」。あらゆる生命が満ち満ちていく時期、太陽の光を浴び、万物がすくすく成長…ということで、ネマガリダケを求めて山へ。2時間ほどでワラビも含め結構採れた。帰宅してからの皮むき作業も大変。昼は今シーズン初の冷やし中華。大相撲の熱戦が続く。朝乃山が北青鵬に負ける。この若者は…。




5月22日(月)
 2週間ぶりに書きかけていたある原稿に取り組む。しかし迷いが次々浮かんで進まない。勢いが大事だ。昼食は久しぶりに道の駅でそばを…。相変わらずの繁盛で何より。週末の株主総会(笑)が楽しみだ。大相撲は明生がいい相撲で横綱を破り全勝力士なし。「面白くなってきたじゃない」と天海祐希のようにつぶやく。


5月23日(火)
 出勤し、諸々の処理をした後、公用車で秋田市へ向かう。県の図書館協会総会及び館長会議。コロナ前は一日日程だったが、タイトになったので実にいい。情報交換でマイナンバーカードと図書カードの紐づけをする館があり、そう来たかと思った。今のゴタゴタは一過性のものかしら…。17時過ぎには帰館できた。


5月24日(水)
 シフトの関係で今日は勤務なし。ブログアップを自宅から行う。「誰かの命日、誕生日」とは、いったいどんな蔵書紹介かと自分で苦笑する。夕方、少しゆっくり大相撲を見たかったが、地区ロータリークラブの夜例会に招かれ参加する。知らない分野の会にはへえーっと驚く話があると今さらながらに思った。


その一手間が分かつ

2023年05月20日 | 雑記帳
 隣県での立川談春独演会へ。本当に久々、5年ぶりぐらいだろうか。いわゆるマクラで語ったことの一つに音響へのこだわりがあった。今回は600人程度の中ホールで座席は後方だったが、実にクリアに聞こえる。観客の身になってどう響くか、届くか、伝わるか、それを突き詰めていくことが一流たる由縁と知る。




 足を伸ばしたついでに、まだ全国旅行割も続いているしと、途中にある温泉宿に泊まった。料金もさほど高くはなかったし、まあそこそこでいいと思ってはいた。ところがフロントや置かれている旅行誌などを見ると、〇〇部門1位と掲示され置かれた旅行誌にも数少ない「推し宿」として載っている。期待は高まる。


 歴史ある旅館を大胆にリニューアルし、くつろぐスペースもゆとりがあるし、調度品も結構揃っていた。フロントの対応や案内も丁寧であり、温泉も露天を含め施設として過不足はない。人数調整も計画的だ。ただ、何故か心に響いてこない。ごく稀に行く高級旅館と比べるのは酷にしても、さほどの高評価かと思う。


 夕食時に気付いたことがある。食事のなかみは取り立てて特徴はないが、それは値段相応なのかもしれない。それより添えられた「お品書き」に目がいった。こうした形でコース(的)なイメージを持たせようというねらいは理解できるし評価する。ただ、その紙の使い方(文章のレイアウト、余白)について首を捻った。


 1㎝トリミングして切り落とす手間を省いたとしか思われない。家人の紙もそうだから偶然ではないだろう。機械操作で可能か手作業なのかは不明だ。それにしてもこの出来上がりを良しとする感覚に「美」はない。そうか、この宿に欠けているのは「美」だ。そう理解すると多くの箇所に薄さが透けて見えてきた。

参参参(二十二)娯楽も感動も

2023年05月18日 | 読書
 皐月、それなりに読書が進む。


『風の港』(村山早紀  徳間書店)

 この作家の単行本は読んでいないと思う。人気のあるシリーズ物もあるが手は出なかった。「空港」を舞台にした連作短編。4話とエピローグで構成されている。空港は親しみを感じるほどの経験値はないが、多様な人が行きかう場として取り上げやすい設定を持つ。自分が読んできたコミックなどでも振り返ると結構多い。あとがきで作者は自らの体験から「郷愁が漂う場所」「自由の象徴の場所」といった対照的な表現を使っている。それらが交錯しあう場所で、背景に飛び立つ機体が様々な角度や陰影を想像させてくれるので、ドラマチックになるのだろう。個人的にはずいぶんと冗長な表現をする書き手だと思った。中味にハマれば深くなりそうな気配…。





『透明な螺旋』(東野圭吾 新潮社)

 図書館の年間貸出ランキングで2位に入った小説。ファンはすぐに飛びついたのだろう。「ガリレオ」シリーズなので、どうしても俳優を思い浮かべて展開させてしまう。細かい心情描写があったとしても、さらっと流れてしまうような印象を持ってしまった。今回は最後に湯川の出自が明らかになるわけだが、これは映像化になるのかしらん…若い時の役は誰にするのだろう…そういえばTVではかつて三浦春馬がやっていたな…などと余計なことばかり考えてしまう。しかしさすがに因縁づけが上手いし、するするっと読ませる。娯楽小説として楽しめる一冊でありましたな。



『愛は愛は愛は』(時実新子  現代川柳編集部)

 川柳作家として敬意を持っているのは二人しかおらず、その一人。そもそもの出遭いの句は、このアンソロジーにも当然取り上げられている「ほんとうに刺すからそこに立たないで」…これほど情念を感じさせてくれる一節にはなかなかお目にかかれない。男女の情愛に絡む一瞬を激しくきりとる感覚が、びしびしと伝わる。改めて読み直して、本質をつかむ表現の巧みさにまた感心して、15句ほどノートに書きつけた。そこから三つ。
「手が好きでやがてすべてが好きになる」
「別れねばならない人と象を見る」
「空に雲 この平凡をおそれずに」


相性悪いと結論付ける

2023年05月17日 | 雑記帳
 毎日の暮らしのなかでは思いもよらぬことが時々起こる。最近、届いたメールもその一つ。何度操作しても送られてくる迷惑メールが絶えないので、受信トレイからの削除作業が日課だが、あれっと目に留まった「Twitter」から「ご利用のアカウントは凍結されました」という連絡。スパムとも付いていないので正式?





 「Twitterルールに違反している」とのこと。なんだろう。リンクを開いてルールを見る。「安全性」「プライバシー」「信頼性」「動画コンテンツでのサードパーティ広告」と項目があり説明がついていた。具体的な内容として「プラットフォームの悪用とスパムを禁止するルール」と指摘があった。もちろん自覚はない。


 説明は「情報を人為的に拡散または隠蔽したり、Twitterのユーザー体験や、Twitterによるプラットフォーム操作の防止策を操作または侵害する行為に関与したりする意図で~~」…もっともなことだ。情報操作に注意を払うのはソーシャルメディアの責務だ。削除され、なんだか超大国の元大統領になった気分だ。


 と言っても自分が発信するのは、小さな町の図書館情報(ブログ)更新のツィートであり、それも毎日リンクさせているわけではない。単純に考えれば該当しないだろう。おそらく外部から何らかの侵入により引っかかったのか、と想像する。知識・技能の程度は自覚しているので「異議申し立て」をする気にはならない。


 教職時に知り合いから勧められ始めたが、ほとんど活用できなかった。FBなら範囲限定ながら楽しく使えることもあり、Twitterは一旦止めた。それを2年前図書館ブログとリンク付けたくて改めて取得した。結果中途半端なアップとはいえこんな形で突き放されるとはね…。相性が良くないことだけは確かなようだ。

付録の人生も油断禁物

2023年05月13日 | 雑記帳
 4月から5月上旬まで「雑誌の付録・抽選会」という企画を行った。5冊以上借りた来館者に券を配布し、希望の品物(館で購読している雑誌等の付録)に応募してもらうのだ。結果239枚の応募券が抽選箱に入れられ、貸出数(読書活動推進です!!)に貢献してくれた。興味を持った方は結構多い。自分もその一人だが…。


 大型書店に並ぶ雑誌をみると、依然として付録つきが少なくない。それは大昔の少年少女雑誌にもあったし、幼少向けや「学習・科学」などの学習雑誌でもそうだったから、そうした習性を持つのが一般庶民なのかもしれない。付録を目当てに購読推進している雑誌もある。付録に魅力があるかは大切なポイントだ。


 「付録・おまけ」という概念は、主たるモノ・コトがあって生じるのは言うまでもない。それを人間の生活や行動に当てはめることもある。コンサートのアンコールなど同じだろう。妄想的に拡げて考えると、人の一生もそうなのか。「俺にとっちゃあ残りの人生はオマケのようなもんだ」などいう台詞もありそうだ。





 我が身の仕事に照らし合わせれば22歳から還暦まで勤めた学校の場が主で、今の図書館は付録のようなものか。大きな意味で「教育」に括られる分野だし、意外性はないが妥当な線ではあろう。自分にとっては本当に魅力的な付録生活である。それで十分なのだけれど、客観的な評価も心をよぎると正直に言おう。


 中古本として買った『つながる技術』(小山薫堂)に正方形の付箋が紛れ込んでいた。読者のメモだろう。サイドラインや書き込みをしたり、またはレシートが挟んであったりするのは時々あるがこんな形は初めてである。私の前にこの一冊を手にした方は、それに文章を引用していた。まさに言い得て妙な一節だった。

 「自分が期待するほどに、人は自分のことを見ていない。でも、自分が油断する以上に人は自分を見ている」

絵本漬け、幸せな一日

2023年05月11日 | 絵本
 予想していなかったが、こども園と学校の読み聞かせが重なった。もっともこども園は午前、学校は午後なので他の迫った仕事もなく、計画通り行うこととした。こういう日はこの先ないかもしれないし、残しておきたい。こども園では4冊(うち紙芝居が一つ)、学校は下学年対象で3冊取り上げ、計7冊読みきった。


『あか あお ふたりで』先日書いた通りのなかみ。これは、鉛筆で何が描かれているか、子どもの反応があるほうが楽しいし、やりやすかった。問いかけてもいいと感じた。

『あばれネコ』…キューライス作の、楽しい絵本だ。ただネコが暴れて、最後に母親に叱られるという顛末だが、その単純さが楽しい。暴れ具合で聞き手のボルテージも高まった。

『きみなんか だいきらいさ』…これも先日書いた。小さい絵本をモニターで拡大したのはよかった。仲よくなる結末は予想していたようだが、二人の表情がいいし、子どもたちも食い入るように見つめてくれた。

『となりのさくら』(紙芝居)…落語をもとにした絵本。長野ヒデ子さんの絵が可愛いし、ストーリーも単純なので見入ってくれたようだ。「花」と「鼻」の違いの妙が伝わったかどうか。




『てんてんきょうだい』…「一年生のために」とひらがな学習を意識させたが、それはお構いなしの楽しい絵本である。セリフにも濁点をつけるので、読みは結構大変だが、たいそう盛り上がった。

『ゴリラさん、だめです』…声をかけるうさぎと、しゃべらず行動するゴリラのズレの繰り返しが楽しい。子どもたちも先を予想して読むが、山場でひっくり返る面白さは印象に残ったかな。

『まっくろいたちのレストラン』気に入りの「恋の絵本」。さすがに一年生には無理だったかもしれないが、静かに聴いてくれた。何が心に残るかは、それぞれなのだが「まっくろいたちの…」と言えば思い出してくれる話になった気がする。

 一度に多くこなすとなると、散漫な脳みそがさらにばらけて集中できないのが常だ。しかし今回は準備期間もあったので、まずまずの出来だった。この経験を少し糧にしたい。

参参参(二十一)AIでは、でも…

2023年05月09日 | 読書
GW後半の読書メモ。どれもそれなりの読了感があった。


『あなたはここにいなくとも』(町田そのこ 新潮社)

 以前何か一冊読んでいたようなイメージを持っていた。それは人気作家で次々に新刊が出ていたからか…。これは2月に出た新刊の短編集。5編にそれぞれ高齢女性(祖母も含めて)が登場する。文章が練れていてするーっと読ませるが、なんとなくどれも空気感が似ている気がした。特典として付いていた著者による「特別エッセイ」には、冒頭「粋なおばあちゃんになるのを目標としている」と書かれてある。そこで語られる「粋」の姿を、それぞれの作品で具体化しているのが本作であろう。その声や息が去り際にふっと思い浮かび、人の心に働きかける…「粋」は、AIじゃ表現できないかもなあ…。





『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』
  (オードリー・タン プレジデント社)

 台湾のコロナ感染対策成功の鍵を握っていた人物として、ごく普通の興味を持っていた。エリートには違いないだろうが、日本のそれとはやはり異なる。発想も刺激である。自分がトランスジェンダーである意識を強みに捉え「マイノリティに属しているから提案できる」という。台湾がデジタル推進を、特に教育の場で地方から進めていることにも通じる考えだ。つまり「一人も置き去りにしない社会改革」を、美辞麗句ではなく具体的に進める。そのためにデジタルとAIをツールとして、フラットな関係を築くという思想に満ち溢れている。日本流に言い換えれば「傾聴」「相互扶助」の精神が、未来志向に固く結びつけられている。わが国にこのような人物は有りや無しや。


『雪国昭和少年記』(小坂太郎 萌芽舎)

 「創作」「評論」と記された章もあるが、大きく括ればエッセイ集と呼べるかもしれない。所属していた同人誌に発表した文章が集約されている。亡くなる半年前の刊行であり、いわばベストセレクションだろう。出版されてすぐに読んだ記憶がある。教職中はもちろん、定年後もいくらか親交があり、読めばまた懐かしいあの笑顔と声が蘇ってくるようだ。いわば遺作のようなこの著の核は「幼少期」と「青年教師」にあることに間違いない。それは、戦争と戦後の民主化運動の波をまとも受けながら、じわりじわりと進みゆく姿であり、人間が人間であることの生々しさに溢れていた。その熱が冷めていく時代を、私たちは生きたのだ。

令和5年GW日記

2023年05月08日 | 雑記帳
 実は目論んだことがなかなか捗らない5日間だったなあ、と見直して感じる。
 まあ、焦るほどではない。じっくり熟成も大事か。


5月3日(水)
 今年はワークショップ企画をGWから別期日にしたので、勤務予定なしで休日が続く。といってもいくつか仕事上の計画はある。憲法記念日は毎年蔵書紹介をしているので、これを自宅からアップする。朝のうち山菜採りを少しだけ、その後「山桜」撮りをメインに再び山間部へ。天気が良くて、いいスタートとなる。


5月4日(木)
 来週は読み聞かせが三カ所あり少し読み込んでおく。午前中、行政書士をしている友人に相談があり出向く。他業種の話を聞くと、この齢になってもいかに知らないことが多いかわかる。その後、量販店でビールなどを仕入れる。午後は休養。この頃、未明のうちに覚醒してしまうので、昼寝しつつ録画ドラマを観る。




5月5日(金)
 4時台で目が覚めてしまい読書タイムになる。町田そのこの新刊を読了。朝風呂ではオードリー・タンを読んでいる。午前中は出勤しブログアップや読み聞かせ資料づくりをする。午後からはだらりと…過ごしていたら、北陸の地震報道。娘一家は昨夜遅く戻ったが、一日遅ければ影響があったろう。危険は常にある。


5月6日(土)
 雨の「立夏」となった。「こどもの読書週間」は続いているので館内の「人気本ランキング」の展示をブログアップする。昨日のアクセス数が多くてびっくり。午前中、小物を買いに少しだけ外出。あとは連休中に片付けたいと思ってた頼まれ印刷など。昼食は久しぶりにカップ焼きそば。保存用ジャンクもたまにはいい。


5月7日(日)
 最終日。明日からの読み聞かせ準備や図書館ブログアップを、午前中に済ます。午後から競馬GIや見続けている『あまちゃん』再放送をTVでみる。やはりこの作品はセンスがいいと改めて思う。地元の大先輩の著書を再読してみると、個人史の厚みが感じられ我が身を振り返る。「時代」と言い切るのはあまりに軽薄か。