すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

終の通勤車選びを終えて

2012年06月30日 | 雑記帳
 6年ぶりに車を買い換えた。

 年齢のことを考えると,これが終の通勤車ということになろうか。

 目論見としては,流行の「ダウンサイジング」であったのだが,あれこれやりとりしたり試乗したりした末に,なんと今乗っている車と同じもの(もちろん新モデルだが)で,結局サイズアップになってしまった。

 これも長年このメーカーに付き合ってきた因果?というものだろうか。

 納車の期日を待っていた先週,新聞を読んでいたら,経済コーナーでその会社の社長のインタビューが載っていた。

 「『スバル』ヒットが続く理由は?」と題されている。
 業績が好調のようだ。

 トヨタとの連携をしながらも独自路線を歩み,円高の中で成果を上げているリーダーの言葉は力強い。

 スバルがスバルでなくなったら魅力を失い,国内最小自動車メーカーとしての個性が埋没する

 スバルの場合は,最小だからこそできることが技術志向と結びつくわけだが,だからこそ魅力的な車づくりにつながるとは納得がいく
 「移動そのものを楽しむための車」とも言っている。…ううん,自分が他メーカーを多く乗り回しているユーザーではないので,そこまでは言い切れないが,なんとなく精神は感じる。だから続いているのだろう。


 円高に負けない経営として挙げられた3つも得心がいった。

 「付加価値の高い製品」
 
 「値引きしないマーケティング」

 「工場操業度を高めること」


 現実問題として,2番目ではずいぶんと手こずった。
 それも一つの揺るぎない戦略だといわれると,ハハアッと恐れ入る。

 学校教育の方向と同じには考えられないが,学ぶべき視点であることは確かだ。

少し早めにふりかえって

2012年06月27日 | 雑記帳
 こんなにいい天気の続く六月も珍しい気がする。

 気温は高いがじめっとした感じも少なく,比較的気持ちがいい。

 毎日の街頭指導にはカメラを携行しているが,なかでも気に入った2枚をアップしてみた。
 上旬の頃のスナップだが,いろんな「いのち」を感じた。
 ぜひ,「月」も見つけてほしい。

 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-33db.html

 一学期もあとひと月を切った。
 今月もずいぶんと慌ただしく過ぎた。各種訪問の多い期間だったので,いろいろと落ち着かない面もあった。

 言うなれば「バカの壁」。
 学校や授業について語られることに対して,どうもそうじゃないと思うのだが…と感ずることが多かった。

 所詮,分かり合えることは難しいとわかっていても,やはり語り合うことは大事だ。
 しかし,どのあたりで接点を見つけられるものなのか…その把握は,壁をたどってみるばかりでは難しい。
 少し浮揚してみることか。
 俯瞰とは,おこがましい気がするし,思い切り背伸びをしてみたり,ジャンプをしてみたりして,ほんの少しの高みに立とう。

 さて,漠然とした言い回しはそれくらいにして,具体的なことを書こう。
 
 久々に行った職員相手の模擬授業の実施。回らなくなった頭には刺激になった。
 来週は第2回目がある。準備に取り掛かり始めたが,やはりこういう時間は楽しい。

 子どもの顔と名前もずいぶんと覚えた。職員室での子どもをめぐる会話もスムーズになった。
 これはやはり三ヶ月目だなと思う。次のステップに入っている。
 授業参観をどんな視点で行うか,改めて考えてみたい。

 私的なことについて,目まぐるしいほど様々なことがあったひと月だった。
 連れ合いがこの三月末で若年退職し,文字通り「家人」となったが,きっとそういう環境でなければ大変だったろうなと想像できる。これは,感謝である。

 大きな反省は読書だと思う。
 
 それは買っていますよ。あの本も,この本も。
 訪問しているブログで話題になった書籍…読みかけのまま,または積まれたまま…。

 気持ちが向かないというわけではなく,たぶん身体が近寄れないような感じなので,結局エネルギー不足なのかと思う。
 しかし…
 「来月は期待できる」と書いて,締めくくろう。
 
 

「三方よし」の視野,視点

2012年06月26日 | 読書
 近隣に住み「モラロジー」を進めている方が,毎月冊子を届けてくれる。
 薄い冊子なので努めて目を通すようにしている。

 今月号のテーマは「暮らすに生かす『三方よし』」
 納得させられる中身だった。

 近江商人の経営理念を表わす「三方よし」,つまり「売り手よし,買い手よし,世間よし」という考え方は,確かに商業に関わらず大切なことだ。

 物事を直接やりとりする当事者たちだけでなく,そこに介在しない第三者や世間はどうなのかと常に心を配ることは,いわば自分の視野の問題でもあるような気がする。

 この文章によく表れている。

 何をしようとするときにも一呼吸置いて,「自分の行動の影響を受ける人」に心を向けてみることが大切でしょう。


 自分の思いや理念が強く,仮にそのパワーで相手を納得させたり,問題解決できたりしたとしても,それはいつの場合,どんな内容であっても,他との関わり抜きに語られるものではない。
 第三者や世間にその結果が反映され,具体的に向上や利益があがっているのかと問いかけねばならない。
 これは案外知恵のいることだ。

 そして道筋を間違えてはならないことも大切だ。
 「世間よし」が出発点ではない。
 「世間よし」は目的であって,自分と周囲の行動によって,その世間がほんの少しだけクリアになっていく。その視点を絶えず持ち続けることだ。

「師匠をしくじる」と言える幸せ

2012年06月25日 | 読書
 『雨ン中の,らくだ』(立川志らく 新潮文庫)

 自分の好みは談春だし,そして『赤めだか』の方が面白いと思うのだが,この本もそれなりに楽しめた。才気溢れる噺家である。
 いつぞやの高座では途中眠ってしまう失態があったことを反省し,次の機会があればきちんと聴きたい一人となった。

 さて,様々なエピソードの面白さはともかく,一つ気になった表現があった。

 「師匠を失敗る」

 「失敗る」は「しくじる」とルビがふってある。

 これは一体どういう意味か,一瞬立ち止まってしまった。
 師匠に反論できないわけとして「こんなことで師匠を失敗るわけにはいきませんから」と続けられている。
 ということは,つまり「御機嫌を損なわせるわけにはいかない」ということだろうかな…そんな読み流しをしたかが,読み終えてからもどうもすっきりしなかった。

 「しくじる」には何か別の意味があるのか,調べてみた。
 広辞苑より明鏡国語辞典が明解だった。

 ① したことが目的とは違う結果となる。やりそこなう。失敗する。
 ② 過失などによって勤め先や仕事の場を失う。


 言われてみれば②の意味もあったなあと例の二つで気づく。
 
 「酒で会社を―――」「師匠を――――」


 辞書では「勤め先や仕事の場」と軽く書かれてあり,噺家にとって「師匠」は確かにそういう存在なのだろうが,この本の中で,師匠はそれ以上の存在,つまりは人生や生き方の手本として描かれている。

 「師匠をしくじる」という言葉の重みは,きっとしっかりと師匠と呼べる存在を持っている者にしかわからないものだ。
 それはとても厳しい表現だし,同時にそれを口にできる幸せも大きい。

だんだん何かをあきらめている

2012年06月24日 | 雑記帳
 この土日は,ほとんど部屋に籠り,新しいPC設定や今までのデータ処理に終始した。

 修学旅行の動画処理が最終的に完成しなかったことが,新PC導入のきっかけだったので,ソフトを移行しどうにかDVD作成までこぎつけたことはほっとした。

 それにしても,データの量が半端ではなく,ましてうまく整理されていない「タンスの肥し」のような状態であり,そしてそれをエイッと捨てきれない情けない男なので,効率の悪さといったらきっと見ている人がいたら(いるわけないが)ほとほと呆れることだろう。でも,本人はその無駄さかげんを楽しんでいるのかもしれない。

 途中の最大トラブルは,Outlookが途中から起動できなくなったこと。
 つい数時間前まではきちんとつながっていたのに…舌打ちを何回したことか。
 ヘルプで検索して,あれこれやってみたが結局うまくいかず,お助けソフトのようなものも効かず,復元に頼ってみた。

 現在,なんとか数日前の環境構成になっているので,このブログも打てるようになった。

 やれやれと思いながら,雑記を残してみた。


 今日書き留めておきたいことは,朝刊のコラムで紹介された地元写真家の一言。もう亡くなった方だが,以前お話を聞いたことがあった。
 今朝起き掛けに,居間の障子を開けた自分の気分に似ていたので,妙に心に沁みた。

 僕は朝の雨が好き。朝の雨は,人の心を落ちつかせてくれる。朝の雨は,人に何かをあきらめさせてくれる。

 こんな文章に共感できる自分になってきたんだな,と思う。
 

引越し,どこかの政党のよう

2012年06月22日 | 雑記帳
 話題は、さよならXPマシンなのである。

 自宅を新築したときに購入したデスクトップをとうとう買い替えることにした。
 まだまだ使えそうな気がするが,周囲のPC環境とも合わなくなってきているし,特に動画関連ソフトを扱うときに書き込めなかったりすることがストレスになってきた。

 ネットショップで安いのを見つけ注文した。
 わずか3日で届いた新人さんは30分もかからず組立,セットアップ完了した。
 見た目は確かに安っぽいが,やはり動きは軽快だ。8年前のFMVの三分の一ほどの価格でこんなパソコンが揃ってしまうのは驚きだ。

 さて,問題はデータの移しである。
 ネット上の口コミ,評判は様々だったが,移動のための安いソフトを買ってみた。
 内部の構成をかなりよく移行できるということなので,その前にXPマシン内部のゴミ捨てをしなくてはと思い取り掛かる。
 一度も使っていないソフト,主としてゲーム系が結構ある。削除するときに最終使用日を見ると2004/08/13という表示の連続,つまり購入してから全然使っていないということか。

 これは家の引っ越しと同じなんだろうな。買い揃えたものの一度も使っていない食器のようなものが結構あるだろう,ということ。
 まあ,買う時にオプションのようについていてが実際に使わないけどまあいいやという気持ちだったんだろうと思う。
 それが動きが重くなった原因の一つであるとも言えるだろう。
 どこかの政党の話のようである。

 世の中,そんなことが多いのかあという気になる。
 まして,整理下手を自称する者にとっては,その連続か。
 どんなふうに軽くなれるか,自分には永遠のテーマだな。
 そう書きながら,またこのソフトを残しておくべきかどうするか迷っているし。

 そして昨夕,ソフトが届き,さっそく引っ越しに挑戦。
 意外と簡単だなと54%程度まで進んだが,ちょっと目を離したすきにあえなくエラーが生じて中断していた。これもある意味予想通りである。また時間がかかりそうだ。

雑読で知るピーク

2012年06月20日 | 読書
 『運がいいと言われる人の脳科学』(黒川伊保子  新潮文庫)

 著者が以前著した『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』は面白い新書だった。こうした言葉と音に関わることに興味を強く覚える。

 この本のなかでも「情のことば,知のことば」と題して,和語と漢語の発音からうけるイメージの違い及び使い方について記している箇所は納得だった。たとえば,激励の漢語とねぎらいの大和ことばなどの使い分けは,今更ながら新鮮に思えた。

 このほかにも,「当事者意識」「声の色」といった興味深い話題が豊富だった。
 男性の書く脳科学とはまた異なる視線があり,そこが読ませるところなんだろうと思った。
 特に,頻繁に登場する息子さんとの会話,やりとりが面白い。
 その中で,今までなぜ気付かなかったかと,膝をうったところがある。

 よく日本と外国との比較で,「自分に満足しているか」という類のデータが出されることがある。
 2011年の調査では,日米中韓の四カ国の高校生で日本が最も低い数値が出たという新聞記事が載ったことを覚えている人も多いだろう。

 なんとなくありがちなデータで,この国のいわば「幸福感」についてまた考えさせられるところだが,筆者は「自分に満足か」と問われれば大人の自分でも自信がないと言いきっている。
 そこから,日本の高校生のYESの少なさはともかく,アメリカ人は多すぎないかと疑問を持ち,19歳の息子にこの点を訊ねる。その即座の返答に得心した。

 「それは,言語の違いだろう」

 つまり,日本語の「満足」と,英語の「satisfy」では重みが違うというのである。
 「satisfy」は準備や条件が揃ったという語感を持つという。日本語の「満足」はやはり「結果」であり「成果」なのだ。

 その意味で,このデータから日本人高校生の積極性や有能感につなげるのは無理があるのかもしれない。
 まあ,ただそう問わざるを得ない言語の質を持ってしまっている現実からは目をそらせないのだが。


 この著に励まされることを最後に一つ書き留めて,自分自身の糧としよう。

 本質脳になるのは,五十代半ば。五十五歳ごろ,脳内では,人類最大の英知=連想記憶力がピークを迎える。

 物忘れしているくらいがちょうどいいらしいのである。

この頃の雑読メモ

2012年06月19日 | 読書
 読書記録がいっこうに進まないが,読んでいないわけではない。
 印象程度のものだが,やはり残しておくことが大事だ。少しずつメモしておきたい。
 好きな二人の作家の作品を読んだ。

 『プレゼント』(伊集院静 小学館文庫)

 短編と随想が収録されているが,表題作の「プレゼント」が考えさせられる。
 作者には珍しく学校という場がひとつの舞台として登場する。今までだと『機関車先生』ぐらいしか記憶がないし,そんなに多くは扱ってはいないと思う。何しろ「大人」の作家だろうから…。

 さて,それはともかくここでの「プレゼント」の意味は,とてつもなく重く,つらい。
 倖薄い主人公の娘が,一人の教員からかけられる温かい声,華やかな同級生から受け取った冷たい悪意の封筒…そのどちらも,彼女がこれからの道に大きな意味を持つものとなるが,その生の行方が閉ざされたような結末は悲しい。

 生きるということはある意味プレゼントのやりとりであり,その質だけが問題なのかもしれない。


 『キャンセルされた街の案内』(吉田修一 新潮文庫)

 これも短編集である。
 いつものことながら,人物の描き方がうまい。短編であってもキャラクターがけっこうたつので,他の作品に出てきそうな人物だなあとふと思ってしまうことがある。

 印象に残るのは「乳歯」という子連れの女と同棲している男の話と,これも表題作である「キャンセルされた街の案内」。
 これは小さい頃の軍艦島の思い出や,劇中小説?が書かれたりして,構成も巧みだ。

 作者が書くイメージのなかで,海や灯台が結構大きな位置にあるなあとふと感じた。
 『悪人』の印象が強いので重なるのかもしれない。

近づく夏を撮る

2012年06月17日 | 雑記帳
 昨日、例年より早い梅雨入り宣言があった。

 先月初めの連休から中頃までは、天気もぱっとしなかったが、その後は意外に良い天気が続いたと思う。

 対外的な行事・大会などがない休日は、近くの山へ足を運ぶことができたし、そこそこの収穫もあった。

 愛用の2台のカメラで、結構写真も撮ったなあと思う。
 なかなか整理できなかったのでこの機会にと思い、久しぶりにフォトブログにアップしてみた。

 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-8c38.html

 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-e165.html

 今月に入ってから仕事上のことはともかく、週末は人に招かれたり招いたりすることが続き、中身が充実していたこともあって、多少疲れが残っている。

 それでも今日は、最後の「春山」になりそうなので、ちょっぴり散策を楽しもうと思っている。

高揚感のレッスン

2012年06月15日 | 雑記帳
 修学旅行の引率から帰ってきて,とある雑誌社の小冊子を開いたページにこんなことが書いてあった。

 「遠足は家に帰るまでが遠足です」ではなく,「解散したからもう自由だ,勝手にやれ」と言われたような高揚感

 つい数時間前に解散式をして挨拶をしたのだが,常套句のように「家に帰るまでが…」は言わないにしろ,「家の人によくお話しして…」といった類のことは口にしたので,何となく小馬鹿にされたような感じがする。

 まあそれは確かに,ぐだぐたと言ってしまうのが教師の常道であり,そんな言葉が子どもたちに染みいっていくものかと言われれば,うなずかざるを得ない。しかし同時に,そういう常識的なことを口にするのは,今,やはり学校のセンセーしかいないかとも思ったりする。

 それはそうと,自由に「高揚感」を感ずることができるためには,結構修業が必要なのではないか?そんなことを思う。

 たぶん自分のしたいことを,時間の制限なくやってみたいと思っている人にとっては,そんなに苦労しないだろうが,大方の子はいわば縛られていることに慣れてしまって,気持ちが高揚するよりもかえって不安だったりするのではないか。

 そういう意味で高揚感を味わうトレーニングを考えた。遠足,修学旅行編である。


 ・見学先のガイドさんから常に一番近い位置を求めて移動する。必ず目を真っ直ぐに見て、肯きながら話を聞く(ふりをする)。

 ・ホテルの朝食バイキングで,少量でいいから全ての食べ物を盛り付け,完食する。余裕があれば盛り付けた皿を写真にとっておく。

 ・遊園地で,自分の学校の集合放送がかかったと思ったら,すばやく一番気に入ったアトラクションへ行き,もう一度乗ってみる。(集合の時刻,何分か前に放送はあるはずだから,それに間に合うぎりぎりをねらう。もし遅れたら,言い訳としては…)

 ルールに則ったぎりぎりの線に挑戦する,その時の高揚感は結構なものではないか。
 自由を謳歌するには,そのぎりぎりラインを体験しておくといいのではないか。

 (以上、もちろん,引率が終わったあとの戯言である)