すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

見た目、見つめる目

2016年06月29日 | 読書
『たいのおすそ分け ちょっと、いい噺』(林家たい平  主婦と生活社)

 たい平の落語は一度聴いたことがある。
 「通る声」「めりはり」などが印象的で、「わかりやすい」と感じたことを覚えている。
 その視点でたまに『笑点』を観たとき、他のメンバーとも比較できる。

 さて、この本、なんと「日本農業新聞」に連載した日記がもとになっているらしい。
 何故に農業新聞かはわからないし、中身もそれほどとは言えないが、とにかく「見やすい」「わかりやすい」。

 その理由として内容面は当然にしても、装丁や印字なども見事にそれを支えていると感じた一冊であった。
 編集した人をエライと思った。

 「見た目」の重要性をここでも教えられた。




 『人に好かれる笑いの技術』(鶴間将行  アスキー新書)

 著者は「SMAP×SMAP」や「ごきげんよう」などの構成を手がける放送作家。
 欽ちゃんこと萩本欽一が師匠である。
 芸能界の裏ネタなども取り入られながら、キャリアアップのためのいわゆるビジネス要素が詰まった一冊だ。

 萩本欽一著の新書もずいぶんと売れたそうだが、やはり一流人の言葉は深い。著者が見聞きした、また感じた一言を少しメモしたい。


★萩本さんは、人間としての「下地」を作る期間、いわば「無駄飯を食べる時間」を与えてくれていたのではないか

★欽ちゃん流の哲学「絶対に引き受けたくない仕事を引き受けた時、新しい道が広がる」

★萩本さんの愛称「大将」にちなんだ「タイショウの法則」
 「タ(他人を観察)」「イ(いい挨拶)」「ショ(正直)」「ウ(受け入れる)」


 長期間にわたって一線で活躍している人たちに共通する要素が詰め込まれている。

「幸せな時代」という見方

2016年06月28日 | 読書
 『娘に語るお父さんの歴史』(重松 清  新潮文庫)

 久しぶりの重松本。しかも小説というより物語仕立ての時代解説という趣である。新書で読んだような記憶もあったが、お気軽読書として取ってみた。こうした類を、あのつかこうへいも書いていたと思うが、つかの場合と出自が異なるし、その意味で昭和生まれの一般人が読むには手頃な「社会史」とも言えそうだ。


 著者は1963年生まれ、等身大として感じたこと、考えたことを資料等駆使しながら語っている。その前後10年程度の範囲の世代であれば、自分と重ねて読むこともできそうだ。章立てしているキーワードを拾うと、「テレビ」「親の呼び方」「ふつう」「時間」…今では意識せずに暮らしに存在する事物を掘り下げている。



 中学生の娘の宿題をきっかけに、父である主人公が自分の生まれ育った時代を調べていく形で話が進む。冒頭場面で娘があまり意識せずに放った次の問いかけが、全体を貫いている。

 「お父さんってさあ、ほんとうに幸せな時代に生まれているよねえ」

 終盤ではまるで説明文のようにそれを肯定する返答が書かれているわけだが、その気持ちにたどりついた結論は、次のような考えだ。

 「いまがたとえ不幸でも、未来にしあわせが待っていると思えるなら、その時代は幸せなんだよ。つまり、未来が幸せだと信じることができる時代は、幸せなんだ。」

 そうなると、ではこの時代はどうかと考えざるを得ないし、その意味で重い一言とも言えそうだ。

 世の「幸せ論」の多くが語る結論は、「幸せの中身は自分で決める」ということだと思う。
 そしてこの本もそんなふうに結ばれるのだが、最終的には、時代や社会とどう関わりあっていくかを次の世代に示すことには禁欲的であった。

 そのあたりを弱みと自覚しつつ、逆に強みにしていくという気構えが求められている気がする。

奇跡の人たち

2016年06月27日 | 雑記帳
 今日6月27日は「奇跡の人の日」であるそうな。かのヘレン・ケラーの誕生日なので、そう名づけられたらしい。ヘレン・ケラーの伝記は小さい頃に読んだ方も多いのではないだろうか。私は一度芝居で観たいというのが念願だ。さて、4月からのBSプレミアムドラマ『奇跡の人』はなかなか面白く、続けて視聴した。


 岡田惠和脚本で、峯田和伸という俳優?が主演している。いわゆる「駄目人間」ぶりがよく表現されていて、わけのわからない言動がぴったりしていた。その主人公が、障害を持つ少女と関わり「奇跡」に導くまでの物語だが、とにかく凄かったのは、その少女役の演技ぶりだった。こりゃ天才だな、と家人と話した。


 住田萌乃という子は、朝の連続ドラマ「マッサン」にも子役で登場したことを覚えている。その時は可愛らしい娘という印象しか残らなかった。今回、目は見えず、耳も聞こえない、つまり意思疎通ができないという難役をまさに熱演した。小学校低学年ぐらいと予想するが、他の子役ではそこまでできなかったろう。



 ヘレン・ケラーの話では、井戸の水を「water」と発するところがハイライトだ(その点はフィクションらしい)。今回のドラマは少女の名が「海」であり、実際の海との出逢いも大きなポイントとなっている。現実にハンディを抱える人たちが別次元の能力を発揮するために、「自然」が果たす役割は不可欠といってよい。


 地上波での再放送があった場合はぜひご覧いただきたい。一見の価値あり。NHKドラマつながりで、書き留めておきたかったことを一つ。1月から放送された『逃げる女』。土曜10時枠で視聴率2%だったらしい。主演の水野美紀に関わる役どころの仲里依紗の演技にぶっ飛んだ。これはある意味で「奇跡」と驚嘆した。

ナンバー2の筋は…

2016年06月26日 | 読書
 『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』(松田賢弥   講談社+α文庫)



 選挙が近づくさなかに手にしたこの文庫本。地元の有権者の何パーセントがこれを読んでいるんだろうか、などと考えてしまった。現存する(という言い方も変だが)湯沢雄勝出身者の中で、間違いなく一番有名であり、巨大な権力を手にしている人物である。政治への興味もあるけれど、人物伝に深い関心がある。


 惹きつけられたのは「満州で集団自決した開拓団」に触れている箇所。菅を生んだ家族、土壌、歴史等を探るなかで深い意味を持つと著者は判断したのだろう。地元にいてもわずかな知識しかなかったので、ある意味驚いてしまった。亡くなった祖母が、祖父の弟の一人を「マンシュウ」と呼んでいたことを思い出す。


 菅の世代であれば、出自に関して背負う風景は似ているかもしれない。抱えている運命のようなものを「宿命」と位置づけられる者は、何かに反発し、どこかで屈み込みつつ、飛躍する時を待ち、機を逃さず階段を昇っていく。内なる反発が故郷であり、父であることは想像できる。それが屈み込む熱になっていた。


 戦後史的な読み方もできる。もっと言えば、自民党内の影の権力者の系列が書かれている。「政治の師匠」の梶山静六、そして「目標」であった野中広務、どちらも一時期「剛腕」と形容された、印象深い政治家である。野中を書いた本やこの著から受けた印象を括ると、筋の通し方が他の政治家と違うことがわかった。


 いわゆる「ナンバー2論」の要諦は、そこにあるのではないか。きっとある面で拘りが強くあり、そのほかの面(これが一般的に守らなければならないこと)について、かなり柔軟になり得る。その言動はトップとの関係で決まってくる。そこには当然相性もあるのだろう。この辺りの微妙な加減が今の政権を支えている。

隠居について学ぶ

2016年06月25日 | 読書
 憧れの「隠居生活」のために、知識を得ようといくつかの本を読んだ。
 軽くメモしておきたい。


 『隠居学』(加藤秀俊  講談社文庫)

 この本には教えられる事柄が多い。
 きっと、この後も何度か見直すのではないか。こんな一節がある。

 ★「見かけ」あっての「中身」である。「形式」あっての「内容」である。「形式」が定まっているから安定するのである。

 服装について述べている箇所なのだが、これは実に広く深く洞察することができる。

 ある意味で「職業」は形式であるわけだし、それをとっぱらった時に何が残るか、という問題である。
 「形式」を作り出すことも必要かと思えたりする。



 『知的余生の方法』(渡部昇一  新潮社新書)

 この新書も広く、かつ深い。
 もちろん「知の巨人」たる著者であるし、先日「内なる時間」のことについて引用したが、まさにどう時間を使い切るかという一点に向けて、広範囲に掌握している。
 そして、おそらくそのためのキーワードになるのは次の言葉だ。

 ★「内発的興味」

 その掘り起こしをどうするか…まず、振り回されないことか。


 
 『知的創造の方法』(阿刀田高  新潮社新書)

 第一章「ダイジェストする力」には、とても共感できたし、どこか心強かった。
 ネーミングやキャッチコピーなどにも通ずることがあったので興味深かったからだろう。
 あえて、自己解釈を文章化してみよう。

 「テーマだけを追い求めず、モチーフを大切にし、アイデアをもって、ストーリーを作ろう」

 なんのこっちゃ!まあ、自分は分かったつもりだ。

先週の田舎者

2016年06月18日 | 雑記帳

 今週は日曜の同期会から始まり、なんだか気忙しい一週間が過ぎた気がする。前日用事があって乗ったJR中央線で、久々に都会の有名人を見た。といっても関心がない方にはわからないだろう、演出家のK・K氏。電車を降りてどこへ行くのか気になったが、新宿駅の混雑ではとても追い切れない老年田舎者だった。

 

 二次会はホテルに近い野毛にある店。一緒の席になった女子共相手に少し地元の宣伝をしようかと「羽後町のキュウリは有名だど」と、スマホを出して音声検索を自信満々にした。「羽後 きゅうり」と正確な発音で話しかけたつもりが、認識はなんと「う○こ きゅうり」。大笑いされた。これが田舎に住む標準発音か。

  

 三次会へ向かう連中とは離れて、半分ほどは夜更けの桜木町をホテルに帰る。日付が変わるまであと少し。それでもこんなに煌々とした風景が広がっている。あの観覧車は花火風の照明をするらしいが、何時かわからんと諦めてその場を離れたら、とたんに始まる。どこまでも間の悪い田舎老年。夜はどんどん更ける。

 

 帰宅すると、木曜の「道の駅うご」のプレオープンに向けて準備が始まっている。入口の「(仮)羽後町時計」がなかなかしゃれている。保育園児が映っているのは特に可愛いい。きっと話題になるだろう。やはり子どもは町の宝、より輝いて周囲を元気づけてほしい。小さくともキラリ輝く「にぎわい」が作れますように。

 

 PCにある写真データ整理に取りかかる。ここ10年間に撮った学校関係写真である。一括で消去ではなく、一応残したいものや贈りたい写真もチェックする予定だ。目につく所から始めてみたが、これが膨大な数となる。某小の単年度分に限っても1万枚前後だ。マウスを握る指が痙攣してくる。半年分で挫折した。


周縁からじっと見る類型

2016年06月17日 | 読書
 『ことり』(小川洋子  朝日文庫)



 久しぶりの小川洋子。いつもながら「静謐」という形容がぴったりする文体である。イメージできるのは、中学や高校の教室に必ず一人はいた文学少女の存在で、その子が深く見つめる現実、心の中で膨らませている想像が描かれているような錯覚を覚える。今回、気づいたのはどの登場人物も典型的だということだ。


 主人公は「小鳥の小父さん」と称され、解説によると「マージナルな人」つまり社会の周縁に追いやられている存在に見える。小鳥のさえずりを理解する兄の言葉を唯一わかることが、社会生活を営むうえで優位に働かない事実は、どこか暗示的である。人に必要とされる能力とは結局のところ、ひどく功利的なのだ。


 その小父さんに関わり合い、物語の要素をつくる人は、それぞれのパーソナリティが明確だ。一般的な善人である幼稚園の園長、その後任園長はエゴと保身で固まっている。薬店の主人は親子共々、自らの位置を崩さずに語るだけの人間、そして心を寄せた若い図書館司書は、優しい心をもつゆえに受難に晒される。


 虫の箱をつくりマツムシの鳴き声を聞く老人は、視野狭窄ゆえに強く生きられる。そして最後に登場する、メジロの鳴き合わせに興じる男は、物事の価値判断の磁場が狂っている。主人公の母親や少女の存在も含めて、この世に居る様々な人の類型が示されている気がした。自分は誰かに近いか、そんな観点でも読める。


 さて、小鳥の存在をよく表していると思う吉野弘の詩がある。「素直な疑問符」の第二連を引用する。

 わからないから
 わからないと 素直にかしげた
 あれは 自然な、首のひねり
 てらわない美しい疑問符のかたち。


 この一節を思い出したのは次の会話を読んだときだ。「鳥の目は両側に付いている。だからものをじっと見ようと思ったら、首をかしげなくちゃいけない。生まれつき、考える生き物だ」。『あん』で書いた「聞く」も、じっと「見る」も考えることに変わりない。要はどれだけ心が籠められるか、籠める方法を磨けるか。

囲いを越えた心で生きる

2016年06月15日 | 読書
 『あん』(ドリアン助川  ポプラ文庫)



 旅のお供にとバッグに入れた文庫本。珍しく一気読みをしてしまった。中味もめくらず買い求めたのは、お気に入り作家の一人、ドリアン助川だったからだ。ぱっと題名の「あん」をみると、それは女の子の名前かと想像するが、二秒見たら予想が出てくる。少女が手にしているのは「どら焼き」。つまり「餡」である。


 もちろん、そこに象徴性がある。初めに身体・容姿に不自由さを抱えた老女が登場し、餡をうまくつくることで一定の方向が示されたとも言える。ただ、物語の背景は酷い困難さを抱えていることを知り、引き込まれてしまった。ぬぐい切れない差別感覚と、それがどんなふうに社会に波及していくか考えさせられた。


 キーワードの一つには「聞く」が挙げられる。毎日の生活、仕事や教育、様々な場面で「見る」が支配的な世の中であることに間違いない。しかし、そこで落とされる、気づけないことも多くあることを私達は経験的に知っている。「小豆の声を聞く」ことのできる老女は、自らの苦悩を背負ってその域にたどり着く。


 その言葉の真実は、老女の友人はこう語る。「聞こえると思って生きていればいつか聞こえるんじゃないかって。(中略)現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには、囲いを越えた心で生きるしかないんだって」…迫害、蔑視の中で生きる困難さが身近にはなくとも、必ず存在することは忘れてはいけない。


 具体的には、らい病つまりハンセン病。松本清張の『砂の器』が有名だが、ドラマなどの映像化では設定が変えられている作品もあり、そのこと自体が酷く深刻な現実を表しているとも言えよう。今年最高裁が謝罪したことも、この文庫つながりで知った。映画化は河瀬直美監督の手でなった。見るのが楽しみである。

「食足世平」を貫いた人

2016年06月14日 | 雑記帳
 横浜に出かけるので20年ぶりにラーメン博物館にでも寄ってみようかなと思っていた。検索していると「カップヌードルミュージアム」が付近にあることがわかり、俄然興味が湧いてきた。実は朝のNHK連ドラ「てるてる家族」の再放送を見ていて、そこに登場した安藤百福の存在がとても面白く、印象に残ったからだ。


 チキンラーメンに始まり、カップヌードルそして宇宙食ラーメンまで、その成功物語について少しは知っていたが、トータルで見てみたかった。またその建物全体プロデュースを、あの佐藤可士和がしている点も気になった。日曜日午前、家族連れなどで賑わうその場所へ。エントランスからなかなかオシャレだった。



 最初の展示である「インスタントラーメンヒストリーキューブ」で、数々のラーメンの展示は壮観だった。それは1958年から始まり、まさに我々の世代が歩んできた道と重なる。個人的にチキンラーメンの馴染みは今一つだが「出前一丁」「どん兵衛」「ラ王」そして有名ラーメン店とのコラボなど日清恐るべしである。


 創業者である安藤百福の歩みで強調されているのは、創造的思考の大切さ、そしてあきらめないこと。数々の偉人の成功と重なる点が多い。特徴的な四字熟語?が提示されていた。「食足世平」…「食足りてこそ、世の中が平和になる。」これが百福の志であり、それを麺に求め一生を貫いた原動力だろう。徹底していた。


 見どころはまだまだあったが、さすが佐藤可士和と思わされたデザインを最後に見つけた。見終わり建物の外へ出て足元を見た。タイルが敷き詰められたおしゃれなアプローチなのだが、その中に百福の言葉らしきピースが埋め込まれている。たくさん撮ってきたが一番お気に入りなのはこれ。現役世代を勇気づける。


嬉しい復帰~aiwa

2016年06月10日 | 雑記帳
 書籍などの整理は一段落したのだが、まだまだ収まりのつかない様々なモノがある。音楽関係はその一つだが、これはあまり急がずのんびりやれるかなと、まあほったらかし状態である。その前に書斎(といってもわずか一畳半のスペースだが)の模様替えをしたいと、PCデスクの向きを10年ぶりぐらいに変えてみた。


 4月以降、ここに座っている頻度が高くなったのは確かだし、これ以降もそうだろう。狭いながらも快適に過ごしたい…じゃあ音楽環境かなと考えた。部屋の中では安いラジカセだけのセットだったので、居間の機器を移そうと思案していたが、先日、たまたま娘の部屋に置かれたままになったミニコンポが目についた。


 このコンポは確か私が娘に譲ったもので、大学に入り家を離れるとき持っていったものだ。改めて見直すと、おお、懐かしのaiwaではないか、そうだそうだ。買ったのは2003,4年頃だろうか。当時でももはや目にすることのなかった針式のレベルメーターがついていて、そのアナログっぽい所が気に入って買ったものだ。



 試しに検索してみたら、なんとこれがaiwa社としては最後の機種のようである。ソニーに吸収されて少しだけ名前の残った期間はあるにせよ、貴重なロゴと言えるのではないか。改めて機能を見直してみると、なんと背面にはUSB端子があるではないか。PC接続が可能なわけだしこれは使えそうだ。嬉しい復帰になった。