すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「八」に願いを込める

2007年08月31日 | 教育ノート
 この頃職場内で流行?している「ハチノヒト」という言い方がある。部外秘(笑)なので詳細は語れない。そのことに触発されたわけではないが、八月もいよいよ終わりということで選んだら、数字一つでも結構な意味があることに改めて気づいた。
 ますます「ハチノヒト」が意味深に語られるかもしれない。


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 「八」は「末広がり」で縁起がいいと言われています。
 この字は、左右二つにものが分かれる様子を示した形からできました。また、次々に二等分できるという数(8→4→2→1)という意味も含まれるようです。 しかし「八方」「八重」「八面」などの言葉から考えると「数が多い」「あらゆる」という意味にもよく使われることが分かります。

 八月もいよいよ今日で終わり。
 本当に暑かった夏でしたが、暦どおりに夏との「分かれ」になるのでしょうか。学校にとっても九月以降は様々な校内外の活動も増える時期です。
 今まで培った力を精一杯出しながらさらに成長していくために「数多く」の挑戦が始まります。
 「末広がり」を期待してください。
(8/31)
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輪郭のはっきりした『国語教室』

2007年08月30日 | 読書
 津軽での「鍛える国語教室」に参加したとき、会場の後方で販売されていた冊子に手を伸ばした。

 『せせらぎ国語教室』(照井孝司著 私家版)
 
 第9集と10集を購入した。どちらもA4版で110ページを越す立派なものである。
 奥付の日付から推測するに、年1回のペースでの発行らしい。

 照井氏は当日の模擬授業者のお一人でもあり、昨年に続き意図の明確な説明文指導を拝見できた。
 冊子発行は題名から察するに、野口先生の感化を受けてのことに間違いないだろう。
 それにしても驚くべきは、第10集ということである。
 照井氏は現在地教委の要職に就かれている方であり、指導主事経験も10年以上ある。そんな職歴の方がこのような冊子を発行すること自体稀有なことであるのに、それを10年という期間続けてこられたとは恐れ入った。

 二つの冊子を見る限り、内容は粗く次の三つに分かれる。

 「国語科実践、教材研究」「教育論、研修資料等」「随想等」

 章立ては若干違うが、どの内容にも見どころが随所にあった。
 個人的に興味を覚えたものの一つに、「文学教材の指導段階」「『言語力』指導系統試案」があった。
 コンパクトに整理されているし、何より小学校と中学校を結ぶ視点が明示されているところは、照井氏の強みが活かされていると感じた。豊富な学校・教室訪問の経験から、教師と子どもたちの現実を肌で感じとっておられるだろうし、指導事項と実態を突き合わせながら明快な言葉で表現している。
 教育論、指導論も特定の理論や観念が先走っていないので非常に読みやすく感じた。
 エッセイ風の文章は、誠実なお人柄が感じられるし、そこにも教育者の目が熱く溢れている気がした。

 実は、私にも粗末な冊子を作った経験がある。
 90年代のことである。「すぷりんぐ~私の国語教室」と題して第4集までどうにか作成した。
 内容は些細な実践資料や校内研資料、また雑誌掲載原稿や研修通信などであった。
 世紀越えを期してそういう場をネット上に移し、いつの間にかホームページからブログへと書き込む形態も変わってしまった。

 そもそもネットでの発信は野口先生のある言葉を受けてのものであった。しかしそれ以前と比べて、はたしてこれが自分の望んだものだったか、時折迷いや不安を感ずることもある。
 今回の照井氏の冊子のように、誠実に継続された明確な方向性をもったものに出会うと、余計にその思いが強くなった。
 「紙面活字」に集約していくという営みは、その作業を通して意図的・計画的な思考と整理を強めていくことではないだろうか。もちろん「画面活字」でも可能ではあるがやはり身体から離れていくような印象がある。年齢的なものなのだろうか。

 照井氏の「国語教室」は大いに刺激になった。私も内容の検討はもちろんだが、形にもこだわりながら、より輪郭のはっきりした「国語教室」を目指していきたい。

心地よくさせる知恵を持つ

2007年08月29日 | 教育ノート
 「便利なものをどう使っていくか」「身の周りにあるよさをどう残すか」は大きなテーマだ。とかく流れに身を任せてしまいがちだが、どこかで踏みとどまらなければ…といつも考えているようなことを二学期最初の校報に書いてみた。

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 小学校高学年のとき、担任の先生がこんな言葉を教えてくださいました。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」…たぶん暑くてダラダラしている私たちに対してかけた一言だったのでしょう。
 当時は「なんだか難しい言葉だなあ」としか思わず、またそのような無念夢想の境地に達することなど到底できないわけですが、今になっても不思議と頭に残っています。この夏の暑いある日の午後に、ふと口をついて出たりしました。
               
 ずいぶんと暑い日が続き、猛暑日という用語が頻繁に使われました。熱中症などでお亡くなりになる方までいたことは本当に痛ましい限りです。これだけ暑いと文明の利器に頼ってしまうのは仕方のないことですが、暑さをしのぐために、あれこれと暮らし方を工夫することも大切ではないかと考えたりします。機械だけに頼る生活だけでは、ヒトの身体や知能はどうしても先細りしていくのではないでしょうか。
               
 ある研修会に参加したとき、一冊の本が目に留まりました。
『残しておきたいこの授業』(PHP研究所)
昔の尋常小学校や高等小学校の教科書から、貴重な資料がピックアップされています。その中に、次のような1項がありました。

夏日七快(なつびななかい)
  湯あみして髪を梳る 
  掃除して打水したる
  枕の紙を新たにしたる
  雨晴れて月の出でたる
  水を隔てて燈のうつる
  浅き流に魚の浮みたる
  月のさし入りたる

 大正時代の教科書にあるものです。夏の日を心地よいものとさせる七つの喜びを簡潔に記したものとあります。風呂に入って髪をとかすという自分の身なりだけでなく、打水や枕紙を取り替えるなどという過ごし方をしながら…自然に目を向けるといった意味あいになっているでしょう。
               
 その当時と自然環境、社会環境の違いは言うまでもないことですが、ここに表されている世界を全く否定してはならないと思います。「心頭滅却」は強い精神論と割り切ることはできます。しかしこの文章の世界には「知恵」があります。そして周囲の事物に感じる「情感」があります。
 今となっては姿の見えにくいものもありますが、自然豊かな我が郷土には目を凝らし耳を澄ませば、見えてくるもの、聞こえてくるものがまだまだたくさんありそうです。伝えられてきた日常や周囲の景色に心を向けるひとときを持ってみましょう。
(9/1予定)
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思い出せない陶磁器

2007年08月28日 | 読書
 「R50」のような話題だなと思いつつ…

 『言葉ある風景』(小椋佳 祥伝社黄金文庫)を読んでいたら、えっと思う一行があった。

僕の歌に『白い一日』というのがあります。「真っ白な陶磁器を~♪」と始まる歌なのですが、じつはこれ誤りです。
 
 『白い一日』は思い出深い曲である。
 作曲井上陽水、作詞小椋佳という組み合わせは斬新だったし、最初は陽水のアルバムに入っていたものだ。メロディラインのきれいさとともに、その題名に象徴される虚無感や焦燥感が強く出ていた、自分にとっての愛唱歌であった。

 それを今さら「これ誤り」と言われたらおいおいであるが、実はこういうことである。

その後「眺めては飽きもせず」という歌詞が続き、ある物を見ている状況を描写しているわけですが、その場合真っ白な陶磁器というのは存在しません。あるのは「真っ白な陶器」か「真っ白な磁器」のどちらかなんです。
 
 なるほど。
 「陶磁器」という言葉は総称であるし、言われてみればもっともである。
 「誤りと承知の上で意識して使った」と書いてあるので、おそらく曲が最初に出来て詞をのせるためにそうなったか、または言葉の意味の広さや語感そのものを生かすという意図か、どちらかなのだと思う。

 「真っ白な陶磁器を~♪」と歌った時、聴いた時、心にどのような風景がイメージが広がるかが肝心なわけだが、正確な言葉を使うとすれば、以下のどちらか。

 真っ白な陶器を眺めては飽きもせず、かといって触れもせず~
 真っ白な磁器を眺めては飽きもせず、かといって触れもせず~

 メロディが頭に沁み込んでいる状態では、なんだか間の抜けた言葉のように思えてくるから不思議だ。
 従って曲が最初にありメロディ、リズムにそって選んだといえば、もう納得である。

 では、詞が最初に出来たと仮定して考えてみよう。

 陶磁器という総称を使うことのメリットは、想像の枠が広いということだろうが、危険性も持っている。鮮明なイメージは描きにくい。
 しかしこの場合は真っ白な「色」が意味として強いので、「形」には幅を持たせ各自の想像を引き出すという手法なのだろうか。
 身の丈にあったセトモノの形を思い描く方が、歌が聞き手に寄り添ってくるような気がする。そもそも陶器と磁器の違いをどのくらいの人がわかっているかということもある。十代の時の自分はわからなかった。
 そして何より「トウジキ」という言葉の持つ響きの良さもポイントに違いない。

 さて、その時どんな白い陶磁器を想像していたのか、今となっては思い出す術もない。
 もしかしたらそんなことを考えもせずに、言葉面と音符だけをなぞっていたのが関の山かもしれない。
 それにしても、「踏み切りの向こうの君」はいたはずだし、歌詞にあるような一日を幾百日も過ごしてきたのは確かだ。どんな形か、どこかの隅っこに残っていないものか…。

 何十年も過ぎた今、
 真っ白な陶磁器の形を思い出せないまま、
 「ああ、やっぱり器は備前だよなあ」などほざきながら、
 今日も一日が暮れてゆく、か。

お灸をすえるという教育法

2007年08月27日 | 読書
 幼い頃に親に叩かれた経験はあっても、実際に灸をすえられたということはない。
 お灸そのものをあまり見かける機会がなかったと言ってもいい。
 「灸をすえる」は「痛い目にあわせる」という意味で使われることはもちろん知っていたが、本当にもぐさを使った灸が使われる場面があったのかどうか、少し疑っていた。

 ところが、野口芳宏先生の著した『縦の教育、横の教育』(モラロジー研究所)を読んでいたら、こんなことが書かれてあった。

 そのころ私の近所では、子どもが言うことを聞かない時には「お灸」をすえるという教育法が、極めて常識的な子育ての知恵でした。

 先生も実際「三回程度」すえられた経験を持つという。
 「子どもにはある程度の体罰が必要である」という先生の考えは、こうした身を持って体験しことに裏打ちされているのだろう。
 その文章を読んでいたら「灸をすえる」が単純に叩くなどと違う特徴?があることに気づいた。

 一つは、二人がかりで行われること。
 もう一つは、痛み(熱さ)が続くこと。

 もぐさが飛ばないように父母二人に押さえつけられたと書いてある。これはもちろん一瞬の熱さだけでなく、一定時間それを持続させるために行うわけである。

 つまり両親が協力して、良い子どもにするためにする懲らしめです。  

 私自身は体罰そのものにはかなり慎重な考えだが、懲罰と大きくとらえたとき、この「お灸をすえる」方法の特徴は、かなり有効に働く場合があるのではないかとふと考えた。

 複数で持続的に行う懲罰 (念のため、虐待や折檻の意味ではありませんよ)

 子どもに対して懲罰という方法を用いるとき、用いる側に相談・合意する相手がいて一定の時間を保つように行うことは、意図を強く伝えることができるのではないか。すえた後の見取りも的確にできるのではないか…そんなことを考えた。
 
 「お灸をすえる」という言葉のなかに、人の怖がるものを、手順を踏み、用意周到に行っていくというイメージを見る。
 これは現代にも通ずる教育原則だろう。

品格1位に物申す

2007年08月26日 | 雑記帳
 「品格のある著名人ランキング」をネット上で見かけたのは先々週だった。

 「1位がイチローねえ、なるほど」とすぐ感じたが「じゃあ松井は?」という思いも同時に残った。

 イチローの素晴らしさは認めながらも、私の中ではいつも何か不満があった。そんなことを数年前のブログに書き込んだこともある。

 「品格」という流行語にのってのランキングだろうが、イチローの品格は何か狭いような気がして、それを選ぶ日本人の志向はそれでいいのか、という気もしてくるのである。
 そう思っていた矢先たまたま買った『プレジデント』(プレジデント誌)の連載が目に留まった。

 『松井秀喜の「大リーグ日記」』(文・松下秀典)

 松下は「個人優先のイチロー チーム優先の松井」と題して、二人の比較を論じている。

 イチローがマリナーズ残留時の年俸に言ったコメント「弥生時代からプレーしないと達成できない数字」に対して、松井ならこうしたコメントはしないだろうと、二人の野球観、人生観の違いについてその発言を取り上げながら書き進めていた。
 「基本はチームが負けても四打数四安打のほうがうれしい」というイチローと、「野球はチームスポーツ、その中で個人の優劣を競うことに、どれだけの意味があるのか」という松井。
 「ふたりの発想は180度ちがうのは、歩んできた軌跡が対照的だからかもしれない」と松下は論を進める。
 新興チームで自分の存在をアピールするイチロー、常勝チームで優勝に貢献したい松井…といった比較はなるほどと納得がいった。

 こうしてみたとき、日本人の持つ「品格」のイメージは、やはり個人主義という流れにマッチしているのだろうと感ずる。
 では、WBC優勝時のイチローは何だったのか。あの感激するイチローに国やチームへの貢献意識の高さを見た人も確かにいるのかもしれない。
 しかし、松下の文章を読んでしまうと、今まで恵まれなかった?イチローの心の隅っこにあったチームスポーツへの熱情の発露と思えてくる。
 松井が所属球団優先で参加しなかった背景もあったから燃えたか…そこまでいえば穿った見方か。

 と、これ以上書くと自己の品格が損なわれそうなので打ち止め。
 とりあえず「ランキング結果に見られる心理を疑え」という警句を収穫としたい。

警句を持って二学期へ

2007年08月24日 | 教育ノート
 始業式前日の会議の資料の一部を使って書いたものだ。
 授業づくりを日常的に意識するためには、何らかの警句を自らの心に留めておく必要がある。自分の紹介したことばが、一人ひとりが持っている課題とフィットすればいいのだが、そう簡単ではないだろう。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で機会をみて書き続けていきたい。


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 やはり、坪田耕三先生の授業は凄い。
 算数数学夏季研修会での提案授業のことです。
 周囲の方々は「苦しい授業」と口にされていたようですが、会場が西馬音内小であった数年前の授業でもそうであったように、今回も、私には言うなれば「つながる授業」そのものの気がしました。

 授業に入る前に、坪田先生は身近な地名などをもとに、「アナグラム」(言葉の文字順を入れ替える)のゲームを4問行いました。字の組み合わせをあれこれ考えることが、実は本時の「場合の数」に結びついています。
 こうした教材レベルのことだけでなく、早く思いついた子にヒントを言わせたり、困っている子に挙手させたりと、活動レベルに関することも扱い反応を早くしていきます。自然に楽しみながら学習に誘導していくのです。

 教材(ネタ)の斬新さについては語りつくされているので触れませんが、それ以外に私が特徴的ととらえているのは、教師の言葉と板書です。子どもが実際に操作したり思考したりすることを優先し、その反応にそって言葉をかけ、黒板などに実際に書かせていきます。
 とにかく結論を急がない、徹底して子どもの反応を大切にして、そのよさをほめてから、本時のねらいに近づけていく言葉かけをしているということです。実際の反応を織り交ぜながら、「授業が板書として完成していく」形をイメージしてもらえばいいでしょうか。
 ともすれば教師自身が言葉でまとめてしまう授業がよく見られがちですが、それとは対極をなしていることを実感しました。

 簡単に真似のできることではないかもしれませんが、例えば坪田先生の次の言葉が主張していることは、そのような授業へ近づく一歩ではないでしょうか。

 「課題は紙に書いていて貼ってもいいだろうが、まとめはそういうことをしては駄目だ。みんなで作り上げて印象を残すことが大切だ。」


 同行した筑波大付属小の細水先生が「授業を支える教師人間力」という題で講演したのですが、その冒頭でテーマに触れてこんなことを言ったことも印象的でした。(これは実際に授業を見なければなかなか通じないとは思うのですが、想像してみてください)

 「坪田先生の指導で言えば、子どもとつながる一言が大切なんだ。授業記録では言葉としてあまり出てこないような…。その子に応じた一言が言えるかどうかが鍵になる」

 指導過程や発問は当然ですが、学習活動を左右する要素は他にもあることを再確認させられました。
 小学校の担任にとってはあまりに日常的ゆえに、意識化するための方法が必要になってきます。
(7/23)
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大村はまの汚れた絆創膏

2007年08月23日 | 読書
 『優劣のかなたに ~大村はま60のことば』(苅谷夏子著 筑摩書房)を読み終えた。

 夏休みのある午後に手にした本だったが、そしてその日は時間があるので一気に読みきれるだろうと思って読み始めたのだったが、なかなかはかどらない読書となった。

 大村はまの元生徒であり、晩年を「大村はま国語教室の会」事務局長としてぴったりと大村に寄り添った苅谷は、膨大なる著書、資料から60のことばを選んだ。その一つ一つに対して大村との思い出や知りえていることなどを記している形である。形式上は読みやすいようにも思うのであるが、やはりどうにも大村のことばは重い。
 立ち止まり、自分を、現在を考えてしまう頻度が多いのである。
 今まで読んだ大村のいくつかの著書にもそういう場面はあるにはあったような気もするが、今回はその密度が違うような気がした。著者である苅谷の眼、筆力のなせる業かもしれない。

 たくさんある拾い上げたいことばの中から、いくつかを記しておく。
 大村の教師としての姿勢は、平凡であるが、次のことばにつきる。

 子どもを知る

 さも当然のように言われるこのことばの重さ、深さは、本当の実践者でなければ知りえないと思う。私などことばでわかっていても、では現実はどうだと問われれば立ちすくむ以外にない。
 苅谷は書いている。

 子どもが問わず語りで語ったことばのなかにだけ、その子のほんとうの心がうかがえる、子ども自身すら気づいていないような真実が聞こえてくるのだ、と大村は言う。

 結婚もせず自身の子どももいない大村は「親をも越えて子どもを知る」と言った。その言い方を長年の友人に批判されてそれから何故か口をつぐんだという。しかし、「教師」として仕事の本質はやはりそこを目指すものだという信念は変わらなかったに違いない。それは大村の膨大な仕事そのものが証明していることだ。


 国語教育の先達である芦田恵之助の話を胸に納め、生徒の「片々たるところを責めない」ことも大村の信条だった。しかし気分に左右されるのも人間。そうした自分をよく知って対処しようとしたエピソードが、実に印象深い。

 大村は朝起きてみて、いつもより気が晴れない、自分らしくない、と自覚したときは、指にきつめに絆創膏を巻いて、自分へのいましめとした。絆創膏を巻いた日には、子どもに小言を言わないことに決めていたのだ。

 そのことを大村は公言しなかったという。しかし教え子である苅谷は中学時代に「なんとはなしに気づいていた」。そして、その白い絆創膏は時間が経つにつれて少しくすんで汚れてきて似合わないし、どこか陰気くさいその日の大村先生を見ていたので、「漠然ときらいなもの、いやなものとして覚えていた」と書いている。

 そんなふうに、見せられない弱さは結局どこかで誰かに悟られてしまうものだが、だからといって素直に?自分の感情をぶつけてはいけない。
 「自分の弱さの自覚」は、やはり子どもに対する接し方に大きな影響がある。表立って取り上げられはしないが、実は教員としてのあるべき姿へ近づくために必須なことではないかとも思う。
 さらに自覚はしていても具体的にどうするべきか考えたとき、かなり困難な視点に見えてくる。

 年に何回あっただろうか、大村が指に絆創膏を巻くとき、その胸に何を封印したのか。
 汚れた絆創膏を巻いて働く大村の姿は、やはり悲しいまでに教師そのものなのだろう。

ふりかえりから群読を組み立てる

2007年08月22日 | 教育ノート
 一学期は校内で「必修詩文集」を作成し音読・暗唱を進めてきた。
 月に1回集会を実施し披露しあっているが、声を出す力がついてきているなあと感じている。
 さて二学期、前々から「群読」の形に持っていきたいなあと考えていた。
 もちろん以前にも取り上げた経験はあるのだが、確認の意味も含めて関連する2冊の本を読んでみた。

 『詩を読む学習 導入詩から群読まで』(梅田芳樹 学事出版)
 『すぐ使える群読の技法』(重水健介 高文研)

 前者は学級での国語科実践が中心、後者はCDもついた技法紹介が主となっているものである。

 どちらの本にも簡単に「なぜ群読か」という点が述べられている。
 
 取り上げることが比較的簡単で、さまざまな教育的効果がある

 とまとめていいと思う。

 確かにそうだ、という思いながら、自らの実践を振り返ってみたとき非常に心許ないものだったなあと痛感させられた。
 任用前に講師で2年生を受け持ったとき(当時は群読などという言葉は一般的でなかった)に、集会で詩を分担して読ませたことに始まり、数年前に行った閉校する学校のセレモニーでの全校群読まで結構取り上げてきたはずである。
 それらを思い起こしてみると、「教育的効果」をしっかり把握したかという点ではきわめて曖昧なのである。

 前掲後者の本によれば、群読は11ものよさ(効用)があるという。
 音声言語能力という面から集団性という生徒指導上のことまで、いろいろと考えられることは確かだ。
 しかし自分は、たくさんの効果を持つはずだ、という認識に頼りかかって「今このときの、この子たちに、このねらいで」という大切な点を明確にしなかったような気がする。多くの場合発表がメインになるので、形優先となったことは否めない。そのあげく、結局何が育ったかということも把握できていない。
 
 具体的な場面でいうと、活動後の反省という面が乏しいので、自分自身にも記憶がないのだと思う。
 この後どんな形で取り組むかはまだ決まっていないが、いずれにしろ「ねらいを明確にした活動」と「活動の振り返りをしっかりした評価」はポイントになってくる。
 群読は、ともすれば表面上の華やかさ?に気をとらわれがちになる活動だが、しっかりと一人一人の表情を見取っていくことを強調していきたい。

 群読のよさの一つに「聞く力を育てる」が挙げられていた。そのためには発表会の感想を述べさせるにもしっかりした段取りが必要だ。家本芳郎先生は次のような段階を踏まれている。

 基本は「発表を聞き、よいところを三つさがしてほめよう」である。
 その後、(文章は略)「教材解釈などの知識理解面」「発声、発音、分担などの技能面」「協力性などの態度面」というように感想を述べる視点を示して、発表させていく。
 
 このような具体的な手順を示せるか、そこが活動を充実させる鍵となる。

「思いつき」で学習用語は指導できない

2007年08月21日 | 雑記帳
 「思いつきでいい。やたらに教え込んでいい。」

 青森のサークルふゞき主催の「鍛える国語教室」に今年も参加した。
 最後の感想交流で、私が「『学習用語』をどの程度、どの段階で教えればよいのか、少し迷いがある」というようなことを述べたら、野口芳宏先生がそれに対して上のような言葉を仰った。

 ちょっと誤解を招きそうな言葉ではないか。
 額面どおりに受け取れば、それは「学習用語」とことさらに呼んでいいものかどうか疑問が残ってくる。単なる語彙とどう違うのか、ここは明示するべきではないか…。
 他の方々より少しは野口先生の著書に触れているはずと自負している私はその意はわかりかけているが、ここは再質問して…とタイミングを窺った。しかし会の流れとしては難しい気がしたので飲み込んだ。

 まず、野口先生の仰る「学習用語」とは「言語知識」と読みかえてもいいはずだ。それを授業場面で子ども側からそう呼ぶということである。何度となく先生も書かれている。
 ただ、それだけではどうも曖昧だ。
 言語学者の金田一秀穂氏が書かれている文章に「洗練言語」という言葉がある。日常の暮らしで私たちが使用する「生活言語」と対比される。ふだんの生活で身につけていく言葉と違い、学校の場で教えられるべき言葉という意味である。野口先生の講義で言えば「抽象的な的確な言葉」と同様と言えよう。
 したがって、学習用語は「国語科における洗練言語」というとらえもできるのではないか。取り立てて取り上げなければ、あまり目にすることのない言語とまずおさえることが肝心である。

 ではなぜ「思いつき、やたらに」なのか。これは少し正確に述べる必要がある。
『言語技術教育14集』(明治図書)に、野口先生の次の言葉がある。

 当分の間は「学習用語」は「思いつき」「気づき」で拾い上げ、洗い出していき、たくさんの「用語」が出そろってから、それらの分類や比較によって取捨、選択をたし、系統化を図っていけばいい

 冒頭の言葉はつまりそういう意味なのである。
 しかし、受身的な教員根性?を持つ者にとっては「それにしても」という思いは残る。私の感想もそこから出ているし、現に野口先生も書いておられるのだ。

 これらの「学習用語」を「いつ」「どの学年に」「どの程度」教えるのかということを、改めて考えてみなければならない

 ただ、そこに立ち止まっていては何も進まない。進みつつ修正を加え…という姿勢が大切なのだろう。参加者の中に野口先生の言葉を間違って解釈する人はいないと思うが、その著書から学習用語の指導ポイントの第一として(第二、第三もある)挙げていることは次の点である。自分自身のために書きとめておきたい。
 この段階は思いつきではやれない。

 「まず、いっぱい列挙する」「次に、取捨する」「最後に配列する」という手順を踏むこと