すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

おっLike a Rolling Stone

2017年04月30日 | 読書
 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

 あまりにも有名な若山牧水の短歌。教科書にも載っていて何度か授業したことがある。分析批評という手法を使いはじめた頃…今は改めて言わなくとも「対比」「区切れ」「色」など、発問要素になっているはず。とても印象深い歌だが「牧水」というと、それしか浮かばない程度の知識であることが少し恥ずかしい。



2017読了44
 『ぼく、牧水 ~歌人に学ぶ「まろび」の美学』
  (堺雅人・伊藤一彦 角川ONEテーマ21)



 俳優堺雅人の高校の恩師が、著名な歌人の伊藤であり、伊藤は牧水の研究者の顔も持つ。そんな縁がもとになり(というより、目をつけた人がエライ)この新書ができた。章立てを「第〇夜」とした酒を飲みながらの対談形式もユニークだ。そういえば牧水は、酒を愛した漂泊の歌人と称されていることは知っていた。


 「第一夜」は牧水の恋愛や「あくがれ」の話が中心で、その当時の文学者にありがちな内容でもあった。それを「なまくらの恋」と括ったのは大胆ではあるが、だらしない性癖や弱味が文学になるのも常道(笑)で珍しいことではない。ただ、牧水と同郷の二人にとっては感覚的に共鳴できるのか、想像の広がる話だった。


 「第二夜」は「まろびの美学」。副題になっていて、いわばこの著の核とも言える。しかし直接的にその言葉で語られている箇所はわずかだ。「まろぶ」とは「ころがる、ひっくりかえる」こと。確かに様々な出来事に対して「まろぶ」ことによる作歌は輝いているように見えるが、それもある意味で常道のように思える。


 同時代の啄木しかり、例えば太宰や中也であれ「まろび」の要素が強いではないか。その違いは…と頭をひねったとき、「まろび続ける」という点で抜きんでているのかもしれないと気がつく。おっLike a Rolling Stoneか。他の作家にない身体性もそれを支えているだろう。冒頭の写真ページに添えられた歌が眩しい。

 けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く

独り視聴者委員会~「ひよっこ」

2017年04月29日 | 雑記帳
 朝ドラの視聴率はもはや定番話題だが、さほど視聴者が気にしているわけではない。しかし、この「ひよっこ」が期待ほど伸びていない理由の分析は、読んでいてなかなか面白い。一つは前作「べっぴんさん」の後半のダウンが引き継がれているということ。これは頷ける。それほど前作の終盤部は面白みに欠けた。


 朝ドラは一つの習慣なので、その時間帯に離れてしまえば、次回作に影響が出るのは確かだ。さて、もう一つは「イケメン」が出ていないから、というかなり俗なこと。ああなるほどと思うが、それは本筋か。出ている男優にも失礼だ(笑)。主役級の女優たちの人気を問わないのは、視聴者層がやはり女性中心だからなのか。



 さて番組感想である。まずオープニング、素敵ですね。タイトルバックのミニチュアと桑田佳祐のテーマ曲がマッチしている。時代設定がかの名作「三丁目の夕日」に近いし、独自性を出すための工夫として評価したい。レトロ感を出すためにあんな手法があるのだと感心。「若い広場」の歌詞は少しわかりにくいか。


 脚本岡田惠和、さすがです。「ちゅらさん」「おひさま」という二作があるが、ある種の事件性を盛り込んで仕上げていたので、この作品も期待できる。今のところは、昭和の青春ドラマに父の失踪を絡めて進んでいて、来週以降に展開が激しくなるのではないか。ただ「すずふり亭」が絡みそうなのが、見えすぎる。


 主演有村架純、田舎出身者像がよく似合う。登場人物もしっくりくる配役だ。ただ山村の家々、バス経路、学校等の位置、距離関係が掴みづらい気がしたのは私だけか。さらに人物の多くが巻くマフラー。あの当時あんな巻き方はどこでもしてない!そんな細かいところまでは時代考証しないのか。結構ひっかかる。

一年が速いと感ずるのなら

2017年04月28日 | 読書
 かつて大勢の参加者がいる開会行事で、「一年去って、また一年」と切りだした会長さんがいた。残念ながら笑いは出なかった。おそらくは「一難去ってまた一難」と掛けたと思われるが、気づいたら苦笑というジャンル?の駄洒落だろう。しかしまあ「一年去って」という心持ちは、齢を重ねる度に実感が強くなる。


2017読了43
 『一年は、なぜ年々速くなるのか』(竹内 薫  青春出版社)


 魅力的なテーマである。かつて『ゾウの時間ネズミの時間』というベストセラーの新書を読んだことがある(わっ!検索したら、あの3.11の日にアップしていた)。動物による時間感覚の違い、寿命などについて斬新な見方を示した一冊だった。この新書も、それを踏まえつつ幅広く様々な考え方を提示してくれた。


 五つの仮説が列挙される。「一年の体感時間は年齢に反比例する」という心理学者ダプソンの仮説に始まり、「加齢による効率低下率」「ルーティン仮説」さらに著者の交流や研究から「鈴木光司仮説」「小泉英明仮説」を設定している。いずれをとっても「速い」と感ずる個の時間感覚を変化させるヒントはつかめるはずだ。



 書名となる問いに対応する決定的な答えはないが、著者はこんなふうに結んでいる。

 周囲との比較と自分の内部が原因の二つの時間の経ち方がある。そして、二つとも、あなたの工夫次第で、時間は速くもなり、遅くもなる。



 仕事や家事の時間に追われているなら、自ら管理するという工夫を入れることだ。ルーティンワークにさえ、その余地は必ずある。具体的には、著者の妻が言う「自分が満足できる何か」を徹底に行う手法?が興味深い。他の評価などを気にしなくとも、概ね役立っているはずというアバウトさが自己管理のこつだ。


 それにしても、この新書は面白い知見にあふれている。「ほとんどの生きものは、心臓が二十億回鼓動するとその一生を終える」「ヒトの意識は3秒ごとにリフレッシュされる」「左脳は時計係で右脳は『今』にしか関心がない」…科学頭ではない自分も、こんな刺激を受けると好奇の芽が顔を出し、時間を堪能できそうだ。

先を行く人は…

2017年04月27日 | 雑記帳
 あの復興大臣の失言も、その前の地方創生大臣の学芸員に関する失言も、結局「経済最優先」の見方で括られるような気がする。もちろん、復興や創生は経済抜きであり得ないのだが、人はそれのみで動かないという肝心な点が抜け落ちた。先に立つ者は、個の価値観全体が否応なく晒される世の中になっているのだ。



 お世話になったT先生が逝去された。同職こそしなかったが若い頃からとても可愛がっていただいた。採用になった時に近隣校にいらして、公民館活動等のキャンプの手伝いにいつも駆り出された。今思えばひと夏に4回ということもあった。その度に次の日は酒場に直行というパターン。いつも先頭はT先生だった。


 先生が50代前半のときに衝撃的なご自身に関わる話を聞いた。中味は広言できないことだが、三十数年前のその話を今でも覚えているほどだ。一言で表すとそれは「バイタリティー」。教職を辞してからも地域のため積極的に動かれ、高齢者のお手本とも言うべき毎日、まさしくバイタリティーの善用と称されると思う。


 先生の二人のお子さんとも旧知であり、一昨日偶然路上で逢いお悔やみを申し上げた。「絶対に死なない人かと思っていた」と軽口を叩いたら笑顔で頷いてくれた。ご葬儀の挨拶で、家族と一緒に過ごされた入院の日々に、ある種の幸せ感が漂っていたのはT先生の充実された日々を物語る。先を行く人はこうありたい。合掌。

消費社会の質を問う

2017年04月26日 | 読書
 『里山資本主義』の感想メモを書きながら、ふと頭をよぎった一節がある。
 備忘メモとして残してあるファイルを探してみたら、御大内田樹氏のコトバであった。結構、前に書かれたようだ。出典は失念した。



Volume49
 「消費社会は親族の解体を要求した。親族の存在が消費行動を制約するからである。(中略)親族の絆が深い社会では、商品購入によって『自分らしさ』を表現する道筋は二重三重に遮断されていたのである。それゆえ、消費社会は消費単位を家族から個人に移行することに全力を傾注した。」


 「自分らしさ」「個性」の喧伝が消費活動を煽っていることは、多くの人が気づいている。
 ただその気づき方に関しては、世代的な隔たりや暮らしてきた環境による違いがあることだろう。

 生き方や社会的承認といった問題ととらえて進んだ揚げ句に、あれっ?実は…と思った層がいる。
 また幼い頃から「個性」という言葉を強調されながら育てられてはきたが、実際とのギャップに悩んでいる層がいる。
 自分らしいということを当たり前のように聞いて育ち、それらしく言動はするものの、実はほとんどパターン化しているようにも思う。
 一方で、消費社会の現象についてはわかるが、その意味は気づかないままという人も少なくない。


 そのように、分断され、操作されるように消費に向かっている私たち。
 もう一度、自らの消費行動を見直し、消費社会の階層というものに気づき、暮らしや生き方の変換を図るべきではないだろうか。

 それは、単に消費の抑制ということではなく、個人の消費活動が集団に重なるような、何か新しい生産性を持つような活動が意識できるかどうかにかかっていると思う。

 親族や地域の絆の維持が可能ならば継続するし、無理であるならば、新しい形の絆の創造が求められるということだ。それは、自分らしさや個性と反発しあうものではない。

 いずれにしても、順序はどうあれ自分の消費行動が、目に見える生産行動と結びついたところで成立するかどうかを意識したい。
 それが「金銭換算できない価値」と深く関わることは言うまでもなく、消費社会の質の変化を促すと考える。

明るいシナリオはト書きが重要

2017年04月25日 | 読書
 ずっと気になっていた新書だった。ずいぶんと話題になってテレビ等でも特集が組まれたりしたので、少し間を置いて読んでみようと決めていた。刊行から4年、認知度はまだまだと思うが、書名かつキーワードである「里山資本主義」の波は確かに起こっているだろう。「六次産業化」や「過疎の強み」とも結びつく。


2017読了42
 『里山資本主義 ~日本経済は「安心の原理」で動く』
 (藻谷浩介・NHK広島取材班  角川ONEテーマ21)



 端的には、エネルギーと食料の「サブシステム」の構築、「金銭換算できない価値」の拡大という2点が中核になると思う。前者には批判・反論もあるが、後者については誰しも考えが及ぶ。著者が描く未来つまり「明るい高齢化社会」の実現をするには、やはりその点を抜きにできない。それは生き方そのものを問う。



 この著では、それほど過激に生活転換を促しているわけではない。しかし、それゆえ消費者として飼いならされてきた現実に気づくことも多い。従って、消費の仕方を変えることこそが、ある意味では大きな力になり得る。例えば若者たちの消費動向として挙げられている「ニューノーマル消費」などは納得できた。


 「自分のための消費」ではなく「つながり消費」へ。新しいものを手に入れる「所有価値」から今あるものを使う「使用価値」へ。こうした変化が顕著になれば「持続可能な社会」へ確実に結びつくだろう。数々の不安要素を転化し明るい未来をつくるシナリオは、セリフでなくト書きが重要になることを自覚したい。

23人の華を読む

2017年04月24日 | 読書
 アンソロジーとは「詞華集」を表していたが、今は特定ジャンルの作品集という意味にとらえられている。語源をもっとたどると「花集め」。そこから鉢植えに花を寄せるイメージが湧く。お気に入りの作家をめあてにしながら、他の作家の文章に触れると、そのイメージに納得する。知らない花はまだたくさんある。



2017読了39
 『最後の恋 MEN’S 』(伊坂幸太郎、他  新潮文庫)

 男性作家7人による執筆。男女による違いは正直わからない。分析できるほどの読み手でもない。個人的には朝井リョウと荻原浩の作品の仕掛けに惹かれた。恋は秘するほどに「物語」に近い気がする。それは内部情報の蓄積があり、攪拌があり、発酵があり…という過程をたどるからだ。目の付け所がスタイルになる。


2017読了40
 『見上げれば星は天に満ちて 心に残る物語~日本文学秀作選』(浅田次郎編  文春文庫)

 森鴎外の『百物語』を皮切りに12人の作家の13作品。編者の浅田は「私にとってのすぐれた小説」と書くが、文壇的に見ても?強力な布陣だ。短編小説にはストーリー、着想のインパクトが必須なことを思い知る。改めて中島敦の『山月記』には心打たれた。永井龍男は初めての気がする。小津映画のように感じた。


2017読了41
 『警官の貌』(今野 敏、他  双葉文庫)

 警察小説と言えば今野敏の『隠蔽捜査』程度しか知らない。他に3人の作家の短編が編まれている。刑事それも捜査一課に関わる人物が中心になるのが普通と思うが、ここでは主人公や主要な人物の設定が面白い。三課(窃盗等)や留置担当官、通訳捜査官…警察組織を描く醍醐味は、縦系列の中の多彩さの中にあった。

目の前の子へ「身土不二」

2017年04月23日 | 雑記帳
 その土地ならではの収穫物が、都会や遠隔地に流通することを否定しているわけではない。
 それは、経済面でもまた地域活性化を支える精神的な点においても大いに喜ぶべきことだろう。

 しかし、その前に心したいのは、その土地に育った作物や山菜などを、その土地に住む人が口にすることではないか。

 そんなことは当たり前だろう、何をいまさら…と言うなかれ。
 では、子どもたちや将来を担う若者たちは、ふだんから口にしているのか。

 学校給食の「ふるさと献立」で足りているような発想では駄目だ。

 もっと意図的に、地物を、地元産を食べさせよう。
 そういう食で、身体に栄養を送ろう。

 そういう食で育つ身体に、宿る心には、きっと大事なことが吹き込まれる。
 それが何よりの「ふるさと教育」になると信じる。

 「身土不二(しんどふじ)」とは、「身体と土はばらばらではない」という意味。
 つまり、その土地柄と季節にあったものを食べることが、「人」を作りあげていくのである。

 環境と食べ物の密接な関係は、私たちが想像している以上に大きいはずだ。
 日本全国どこでも食べられるようなモノで育った子に、本当の「秋田のよさ」が実感できるだろうか。
 ふるさとの地から離れていくことを、心の底からさみしいと思うだろうか。


 で、例えばこんなものを…食べさせて…人口流失を抑制しましょう、というとんでもなく身近な話題におとしてしまいました。





 山の恵「スジノコ」を入れたみそ汁、「タラノメ」などの天ぷらでした。

直観・理性・一行三昧

2017年04月22日 | 読書
 身体の調整には休養や運動が必要だが、心の調律はやはり読書が手軽だろう。時々生き方に関する本を手にして、日々の暮らしと対応させてみることは悪くない。残る言葉は残るし、身につかないものは何度繰り返しても通り過ぎる。思いもかけない箇所で、共通点や相違点を見つけられるのも、指南本読書の魅力だ。



2017読了36
 『あるがままに生きる』(足立幸子 ナチュラルスピリット)

 「波動」という言葉を使うような書物や話を敬遠される方は多いだろう。私自身はあまり抵抗なく接するほうだ。心の持ち方に対して、ヒントを与えてくれることが少なくない。この著の一番のポイントは「直観」である。欲望のままに選択し行動することとは別の視点と言える。「こだわり」を捨て去る訓練も面白い。


2017読了37
 『デカルト、足りてる?』(齋藤孝 集英社)

 題名が素敵である。「優柔不断に効くサプリ」という副題が添えられている。この本の肝は当然ながら「理性」。先に書いた「直観」とある面では真逆だ。しかしこの二つは「自分の心を見つめる」点で深く共通する。行動化の段階でどちらかを選択しよう。理性を働かせる「分割・列挙・選択・中庸」と手順が具体的だ。


2017読了38
 『おだやかに、シンプルに生きる』(枡野俊明 PHP文庫)

 禅語をもとにした一冊。表題の生き方を目指すために、「感情をむやみに外に向けて吐き出さないこと」が強調される。それは「怒」や「哀」だけでなく「喜」も「楽」も同様だ。「受け流す・やり過ごす」心の習慣づけが肝要になる。同時に「一行三昧」という目前の事物への集中が、日々の流れをつくっていくはずだ。

独り視聴者委員会~4月

2017年04月21日 | 雑記帳
 BSプレミアムで放送された「喝采 驚嘆と爆笑のマジック!HARAとブラボー中谷」は面白かった。対照的な二人の組み合わせの妙や、華やかなHARAの原点が大自然にあることが印象的だった。そして何よりブラボー中谷という芸人の、地道ながらも志のある活動に、同県人として誇りを感ずる嬉しい内容だった。


 警察崩れ?が流行りなのか。フジ火曜9時「CRISIS」は異端者の特捜班でよくある設定だが、NHK土曜の「4号警備」、フジ深夜「犯罪症候群」の主人公はどちらも退職刑事で、犯罪に関わっていく筋となっている。チーム解決はもう無理か…いや、テレ朝「緊急取調室」が好スタートらしい。これも異端所帯だが。



 最近、お気に入りで聴いているのが半崎美子というシンガー。サザン桑田のコメントが反響を呼んだのか、今月のメジャーデビューだ。『サクラ~卒業できなかった君へ~』もなかなかだが、2年前に発売された『明日へ向かう人』はナケル曲だ。応援ソングに時に感じる嫌味がなく、素直に浸れる唱法、声質だと思う。


 Eテレ『バリバラ』を時々見る。先週は「目を覚ませ、乙武さん バリアフリーのために」と題した放送。思わず見入ってしまった。森三中の大島のツッコミだけでも価値がある。視聴者の受け取り方は様々だろうが、玉木幸則が乙武を「感動ポルノの被害者」と称したことにひどく納得した。障害者を見る目が広がる。