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今、素振りで鍛えるべきは…

2019年04月18日 | 雑記帳
 社会学者大沢真幸が寄稿した火曜朝刊「論考2019」に考えさせられた。『「開かれた社会」への教訓』というその文章には、イチローが「打つ時とは異なるフォーム、ゴルフのスイングのようなフォームで素振りをする」ことが取り上げられている。その理由をイチローは「胸を投手に見せない意識の確認」と語った。


 その事によって、投手のボールが予想外の球種やコースであった場合に対応できる可能性の幅を広げている。イチローは打席に立ちスイングを始めてしまった後でさえバットの軌道修正をしてボールをとらえヒットへ結びつける。そのためにあの素振りがあることを知り、今の問題意識と重なるような気にさせられた。


 過日から書いている「備え」が思い浮かぶ。何事かに備えることは、具体的であるほど価値が高いとされるのが普通だ。例えば、災害時の備蓄物資などが典型的だ。しかしまた別の観点からみると、その備蓄した物資さえ頼られない状況も多いことは確かである。その時の拠り所は何か、培わねばならない力がある。


 グローバル化といい情報化といい、教育分野では様々に対応する動きが目立つ。それは英語であり、プログラミングであったりする。キャリア教育も一つの典型だろう。もちろん校種の違いによって段階はあるが「対策」だけに力点が注がれている気もする。もっと本質を捉えた「素振りの仕方」を考えてもよくないか。


 大沢は、悪球さえ打ち返すイチローの打撃を「想定を超えるどんな他者にも応じ、彼らを歓迎しようという態度の表現」と、社会的・政治的な教訓を見出している。我々が暗黙のうちに想定している無害で行儀のよい他者ばかりでは社会は築けない。今、素振りで鍛えるべきは、混乱や葛藤を乗り切る力なのだと思う。