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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

引っ越します。はてなへ

2025年06月08日 | 雑記帳
 長年付き合っていただいたこのサイトが解体されるという予告が出て、しばらくどうしたもんじゃろなと悶々としておりました。
 しかし梅雨入りを前に、とりあえず「みんな揃って(データとともに)」引っ越しすることに決めました。

 引っ越し先は「はてな」です。
 不慣れでまだもどかしい操作状態ながら、更新を始めました。
 もしよろしかったら、そちらにも足をお運びください。
 今後は雑然さや拙さを、一層のシンプルさでカバー(笑)する所存です。

 こちらです↓
https://spring254.hatenablog.com/



 この長く続いた住まいは、大家さんの解体前にどこかの区切りで引き払うつもりです。

 これまでのご愛読に感謝し、よろしかったら移転先でもお会いできることを楽しみにお待ちしております。




読書録28~「観察」が足りてない

2025年06月04日 | 読書


 著者の存在も名前も知らなかったが、『何かのためではない、特別なこと』(平川克美)で紹介されていて興味をもった。ドキュメンタリー映画の監督が、映画美学校における短期集中講座の内容が書き起こしている。実に刺激的であった。「観察映画とあるように製作論なのだがまさしく「知」といっていい。


 通常TVで観るドキュメンタリーとは全く異なる。事前リサーチもせず、テーマ設定もしない。作品自体にナレーションもBGM音楽もないという。手法の核はもちろん「観察」である。小学校低学年から聞いているごく普通の言葉だが、今改めてその深さに気づくような感覚を持った。著者はこんなふうに語る。

 私たちは日常生活の中で、観察しながら生きていないんですよ。だいたいのことは、観察せずに「これはこういうもの」って思い込んだまま通り過ぎていく。(略)よく観てよく聴くとですね、通り過ぎていた、当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなくなってくるんですよ。

 わかるよ、けれどいちいちそんなことをしていられないのが世の常だ…そんな言い訳をしながら、社会や世間の動きをTVやネット情報だけで、見た気になり聞いた気になり知った気になって、それだけでなく目の前の事象も手持ちの解釈のみで吟味せずに…そんな毎日こそがじわりと自分を縛り、弱めていないか。


 「編集」という言葉も、この本では今までの概念とは異なった様相を見せる。何かめあてやテーマを持って収集し、選択し、構築していくイメージでとらえていたが、ここでは実際の映画作りの過程で得た実感を、著者はこのように語っている。それはよくある「予定調和」や「結論ありき」の世界とかけ離れている。

 つくづく思ったのは、編集という作業は、自分が体験した「過去」を現時点から再解釈する作業であるということです。


 即効性、効率性が求められる世の中では日の当たらない思考だけれど、少なくない人たちは気づいている。「特に大事なことになればなるほど、すぐに答えようとしないほうがいい」…すぐに明示されることなど、たかがしれている。著者の作った映像が訴えてくるものを体感したい。必ず視聴し観察すると決めた。

皐月のだらだらをビリリと

2025年06月01日 | 雑記帳
 「とうとうやったか」と思った5月最終日の朝。コンビニへ行こうと財布を探したが見当たらない。日常茶飯事のモノ探しだが、実際に今まで落とした経験は一度のみ。前日の使用記憶をたどり、カードもあるし今後の弾道りを考えようとした矢先、クローゼットの棚の上にポロリと茶色い姿が…いつもこのくり返しだ。


 春山の最初の出遭いは必ずパチリと撮る

 カレンダーの5月分をビリリと裂いた。結構長かった気がするのは、何故だろう。もちろん「忙しくて…」と口にする日常ではない。とすれば、何か負担めいた気分に囚われていたのかな。いやそれほど重荷なことはなかったはずだ。読み聞かせ7回、通院(歯科もあり)3回、会議2回、山菜採り4回、他催事3回ほど…。


 今月、スープまで飲み干してしまった我が家のラーメン。九条ネギ塩。

 時間を割いていたのは読み聞かせの選書かもしれない。図書館に勤めていた当時よりも情報を多く収集し、あれがいいかこれがいいかと頭を悩ませた。書評を見て気になった本を借りたり、買ったりして読み、素直に面白いと感じるだけでは不十分で、時間枠と流れを一層考えるようになった。進歩といっていいか。


 緑濃くなった五月後半。一年のうちでも最も色映える季節だ。

 ではそのペースは気にしないで…。他に「手入れ」が必要なことは?ある。健康面はまずまずにしろ、相変わらず雑多な環境に慣れてしまい、3日で机上や棚が散らかってしまう。ミニゴミ屋敷にしないために、6月こそ…。それからPC上のあれこれも目詰まりしている。このブログも引っ越しを迫られているし…。


 この後は雨が降らない限りは、この場所へ孫と日参することが多いだろう。

 20年だらだら書き続けてきた「ここ」をどうするか。このままサイト閉鎖と共に消え去るのも案外いいかも…という考えがないわけではないが、意味を見出したい人間の性分に逆らえるか。「すべてはフロー」と語ったのは谷川俊太郎だったな。その境地に近づきたいと願うのは、綴ってきた場があったからに違いない。