すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

本が魅力的であるには

2017年09月13日 | 読書
 『ちくま』9月号を読んだ。PR誌という側面もあるので当然だけれど、今回は特に「本」そのものにまつわる様々な記述が目立ったように思う。
三つピックアップしてみたら…。


(金沢21世紀美術館)

Volume73
 「古本には、その本が通り過ぎてきた歳月、そして、かつてその本を読んだ人の思いや感情、さらには、当時その人に起こった様々なできごと、要するに、多くの未知の人びとの人生がまとわりついている感覚があるのです。」(中条省平)

 ここで語られる古本とは、都会に古くからある古書店の佇まいが似合いそうだ。ただ、そうではなくとも、私自身中古本を購入して、サイドラインが引かれた箇所があったり、ページ端が折られたり、なかには書き込みされたりする書にたまに出会うことがある。

 その時にふっと、そういう行為をした人の気配を感ずることもある。
 いわば汚れた本が引き出すその想像は、ちょっとした温かさを心にもたらしてくれることがある。


Volume74
 「しかし、あれだね、三冊読んでわかったよ。課題図書はやはり道徳的に正しい子を求めているのだね。美しい友情をはぐくみ、過去の過ちを反省し、未来に向かって生きろと鼓舞する」(斎藤美奈子)

 手練れの書評家斎藤が、小学校高学年の部の三冊(フィクション)を読んで書評したまとめがこうだ。
 予想されたことだけれど、やはり批判的に見ていて、それを「忖度感想文」と名づけていることが象徴的だ。
 確かに課題図書の多くは、簡単に結論を出すきらいがある。
 「矛盾を抱えた結末」を提示しない傾向があるのは、教育の構造的な問題と言っていいかもしれない。


Volume75
 「本を読むとものを考える様になる。余計なことを考えると、悩みが増えて不幸になる。それだけではない。政府の言うことを疑ってかかるようになったり、自分はみんなと違うと考えるようになったりする」(戸田山和久)

 「焚書映画」(!)について語っている箇所の一分である。
 1966年の仏英合作映画『華氏451』で描かれる世界の、根本思想になる考えだ。

 本とは、実はそういう存在でなければならない。
 ただ「本は危険、だから魅力的」…そんなふうに感じたり考えたりできるためには、ある程度の読書遍歴が必要かもしれない。
 まあ、課題図書だけではたどりつかないだろうなあ。